『脱・私有財産の世紀』20 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<日本のPCR検査の課題>
日経電子版を読む。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63395280T00C20A9M11000/

米国や英国などは人口当たりで日本の10~20倍の検査をこなす。こうした国と日本は技術的には十分対等なはずなのに何故か日本は少ないのか? これは日本では政策的なものであることが今や知られている。

すなわち検査対象を厳しく制限してきたためで、それは医療崩壊を防ぐためと言い訳をするが、いくらでも対応法はある。素人でも早い段階でアイデアは山のように出せた。その1つが軽症者や無症状者を体育館やオリンピック村などの施設に隔離する案だ。いずれも3月の早い時期に具体的な方策を出せた。それでもこの初動の遅れを隠蔽するためか、今でもこの建前を否定しようとはしない。そしてこれについてはまだに「制度設計中」と言い訳をする。設計に半年もかかるのか?! バカじゃないか! 
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6109/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6116/trackback

検査の拠点数では、米の50分の1。 その理由の1つは「保健所の人員不足」だとするが、今は多くの公的施設が開店休業状態。彼ら公務員をそこに配置できないはずはない。図書館だって週末7時が5時閉館で窓口も半分閉鎖状態で人は余っているはず!

確かに発熱外来や感染者追跡の対応にはそれなりの知識は必要に成るだろうが、トレーニングには対してかからないはず。場合によってはAIによる交通整理も可能な筈。今では自動車保険や健康保険だってAIでお薦めのプランを紹介できるご時世!

次に検査自体の能力だが、この論説にも大学などがもつ「埋もれた検査能力の発掘」が必要だとされている。事実、前の職場の実験室には2台のリアルタイムPCR機械があったし、理系の大学院生ならば数日のトレーニングで検査はできる。そもそもRT-PCRの技術などは30年以上も前のもの。ここに32万個を網羅的に解析した老兵だっている。こうしたOBや学生をなぜ活用しない!! ここに検査のボランティアに手を挙げた老人がいる。トップに決断力と判断力がないのが全ての原因。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6132/trackback

PCRの特異度は99.9%。検査の偽陽性や偽陰性を物知り顔に説明する専門家と称する医師がいるが、いくらでも対応は可能。というかそういうことは当然起こることとしての「常道」が存在する。それが判らない、あるいはごまかすのはリテラシーの欠如。
https://blue.ap.teacup.com/salsa2001/6253.html#comment17301

国民全員を検査して陽性者を隔離すれば感染症の問題は1週間で終わる。これを小林慶一郎氏は理想論だとするが、ならば武漢は理想社会か? なぜか日本人の多くが、中国や韓国から学ぼうとしないのは愚か。

結論、日経の記事にしては突っ込みどころ満載、というか専門家が書いていないと感じる内容。



<避難所開設>
土曜10時に防災無線から台風10号により明日(日)から避難所開設の放送が流れる。とりあえず、避難の必要はないが、自宅が土砂崩れの恐れのある場所に建てている人はいるかもしれない。このところの住民の災害への意識は高まっている。



『脱・私有財産の世紀』20
YoutubeやFacebookなどを「セイレーン・サーバー」と著者は呼ぶ。 このセイレーンとは美しい歌声(サービス)で船員(ユーザー)を誘惑し、船を難破させる(コンテンツをタダ同然でかき集める)海の妖精のこと。

こうした批判に対しユーザーへの対価は不要だとする立場の人間もいる。その1人としてGoogleのチーフエコノミスト、ハル・ヴァリアンの名前を挙げる。p319 何故ならデーターは「水」と同じだとするアダム・スミスのパラドックスを挙げる。即ち、水(データー)の利用価値は高いが、豊富にあるので交換価値(=対価)はほとんど無い、それに対しダイヤ(=データーを読み解くプログラムを書ける優秀な人材)は、希少価値があるため交換価値は非常に大きい。それでも彼らの労働分配率は限定的だが。p320 その言説を表す図を321ページに挙げる。

 

これに対し、機械学習におけるデーターの価値は複雑度に応じて上昇するというのが著者らの考え。

 

こうしたセイレーン・サーバーと極めてわずかな報酬でデーターを提供するユーザーの関係を著者らは「テクノロジー封建主義」とよぶ。p 329