買い物 & 『ハンムラビ王』3 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<買い物の筈が…>
先日「ち~さん」のところでドイツ料理が話題になっていた。で、思い出したのがドイツのソーセージ。これがとても美味い。
https://ameblo.jp/changzi728/entry-12614232979.html

一時期、流行の分野(癌遺伝子)の研究をしていて、毎年潤沢に研究費が貰えていた時期があり、ドイツのエッセンというところで開催される学会に何度か参加したことがある。直行便の到着地、フランクフルトからエッセンまでかなりの距離があるが、わざわざ陸路をライン川沿いに汽車かレンタカーで北上するのはとても楽しみだった。その理由がライン川沿いの風景とドイツ料理。

最初ドイツ料理は「不味い」という先入観があったのだが、毎回美味しいハムやソーセージに驚かされた(あの血を固めたソーセージは除く)。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5774/trackback

…そんなこんなで、土曜の昼からモールに行きドイツ産ソーセージを買おうと出かけた。買い物は帰る時にと考え、まず先に何時ものスタバへGO。新人(?)の店員さんから「〇〇のスタバにも行かれていますか?」と突然の質問。偶に行くことはあるがほとんどモールのスタバが常連。どうやら両方のスタバを掛け持ちしているらしい。世間は狭い、何処で見られているかわからない(汗)

 

杭州在住組は今週末、新車のベンツやランドローパーに分乗し、郊外のプールつきの宿に遊びに行ったらしい。コロナ騒動は落ち着いたようで、マスクもなしでGO TO Travelとは羨ましい。
 

日本在住組は傷だらけの古いプリウスに乗り、マスクをかけて外出にも気を使う。何だか中国の方がはるかにリッチ(涙) そんなこと考えながら帰宅した後、気がついたらソーセージを買うのを忘れていた!



<マンホール検査>
調べた全てで問題なし。全く木の根は伸びていない。最後のマンホールは開けるのが大変なので検査は省略。秋口の検査に回す。


<BSプレミアム「中国王朝」を観る>
https://www4.nhk.or.jp/P3872/

殷と周。紂王と文王・太公望の史実。ここで生贄にされたという「羌」の出身地が、米中の共同研究により明らかにされる。方法は断首された頭蓋骨中の歯の中のSrの同位体含量比により甘粛省であることが明らかになる。2013年頃の研究、つい最近のことだ。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5845/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4938/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3886/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3114/trackback



『ハンムラビ王』3
ハンムラビ王時代のメソポタミアでは重要な決定を下す際には内臓占いをしたそうで、そのための粘土製の模型も出土しているらしい。p053 中国における甲骨文字といいこの内臓占いといい、何となく牧畜民族的発想だと感じるがどうだろう?

王は全メソポタミアを統一したあと、マリ王国を征服・破壊するが、このことがマリ文書が途絶えることでその後のハンムラビ王の消息が分からなくなったらしい。後世まで自分の偉業を残そうと考えていた王にとっては皮肉な現実(笑)p059  というのも王の王宮があるバビロンは地下水位が高く、遺跡は完全な形で発掘されなかったのが理由。

彼の偉業の1つは運河の建設。この運河建設は灌漑のためのものであったが、皮肉なことに乾燥地の灌漑はよく知られるように土地の塩化を引き起こすので年間降水量が200ミリ以下のこの地では致命的な行為でもある。前後3回ほどおこなわれたらしい。p061 
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5377/trackback

ところで彼の法典だが、実はこれが最初ではなく既に先立つ3つの法典があったらしい。1番目がBC22~21世紀のシュメール語によるウルナンム法典。2番目がBC20世紀頃の同じくシュメール語によるリピト・イシュタル法典。3番目がアッカド語で書かれたエシュヌンナ法典。そして4番目がハンムラビ法典であるらしい。因みに3番目と4番目は時代的に重なるとも。p080 つまり、現物の法典碑が1902年にスーサで発見されたが故にハンムラビ法典はこれほど有名になったということみたいだ。

しかももう1つ驚いたことには、これらの法典に綿綿と受け継がれる精神が「正義」ということらしい。国家の防衛と豊壌の確保以外に社会正義の維持が王の責務であるとされたことだ。p078 そのことを以下の様な条文で表されているという。

『強者が弱者を損なうことがないように、身寄りのない女児や寡婦に正義を回復する為に…虐げられた者に正義を回復するために…』p075

驚くべきことだ。しかもこの「正義」の回復の伝統は最初のウルナンム法典からのものだとも。否、そのよりも前からの古アッカド時代BC24~22世紀頃からのメソポタミア文献に表れるとか!