<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
アメジストリーグ,139XP,+40, 二十一分钟。
勉強意欲ゼロ(汗)
散歩;6,067歩、4.5km、12階段。
<From Anti-Corona to Anti-Next>
Wallet+を使っていたら、あの定額給付金10万円が入金されていた。それでNEKO Caféのサイトで振り込み先を確認。そしたら無事継続し、既に開店されていることも知る。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6134/trackback
この間、随分「メンバー」も替わったとか! それなら寄付のついでに行って、新メンバーと時間を過ごしたい。
https://blog.goo.ne.jp/keurig
その他に、対コロナ研究基金に寄付する。かつて学問研究の世界にいたものとして、またパンデミックには世界的解決策が唯一、必須と考える者としては、将来のパンデミックに備える先こそ相応しい。まずはここに。
https://www.miraikikin.osaka-u.ac.jp/corona/
NEKO Caféが今のコロナ対応だとするなら、研究基金は次のパンデミック対応。一律10万円ではなく、お金は行くべきところに行くべき。
…それにしても、同じ微生物学関連の研究室出身者として思う事がある。 今から半世紀前。感染症の授業で幾つかの法定伝染病(例えば狂犬病)の説明がなされる時、当時の助教授が「これは今、日本では無くなっています」というのが口癖?だった。<無い病気を何故学ぶ必要があるのだ?>という素朴な疑問を感じた。それが理由の1つで、微生物学から当時華々しく見えた分子生物学に転学する気持ちが強くなったような気がする。
人の所為にしてはいけないと思うが、こうした感じはわたしだけでないはず。日本で感染症に対する人材も予算も少なくなった理由があるような気がする。今グローバル化でいつ何度き、新たな感染症、それも極めて危険なエボラなどが日本に入ってこないとも限らない。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1444/trackback
『ショック・ドクトリン』2
長い序文に続き、第1章は電気ショックによる洗脳実験が紹介される。この実験、著者によれば拷問はカナダのマギル大学付属の研究所でユーイン・キャメロン博士の下で行われたが、p36 発端をつくったのは同僚の大学心理学科長ドナルド・ヘッブ博士による研究で、p45 これにCIAが興味を持ち、キャメロン博士に資金供与をして人体実験が遂行されたようだ。p44 ここでヘッブ博士は学生63人に感覚遮断を行ったあと、混乱と幻覚、そして一時的知的能力の低下を経験後、暗示や洗脳が容易になるとの結論を得たらしい。p45 ここで感覚遮断の方法で聴覚については防音だけでなく「ホワイトノイズ」という方法がとられたらしい。Wikiで調べてみると。 『シャーと聞こえる音』のようなものらしい。
またこの研究(拷問?)は、この感覚遮断のあとに「過負荷入力」すなわち電気ショックと録音テープを繰り返し聴かせることがあるらしいが、p50 これなどはあのオーム真理教の修行スタイルと似ているのでは?
「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!」
因みにフォローアップ調査によればキャメロン博士による治療を受けた患者の75%は治療後の方が症状は悪化したらしい。p65 人格を破壊することはできても再建はできなかったとみるべき。なおこの治療法が禁止されたのは1967年のよう。p65
第2章のショック博士はあのミルトン・フリードマンその人である。シカゴ学派を率い。新自由主義を掲げる米国政権の支援をうけた世界でのクーデターとその後の国家経営の経済学的指導を担ったシカゴボーイズの師となる人物である。著者によれば、フリードマンもケインズ主義により「歪められた」資本主義を元に戻すには意図的に激しいショックを与え白紙の状態にするのがよいと考えたとする。p68 また彼の師はあのハイエクだという。オーストリア出身の経済学・哲学者であるフリードリッヒ・ハイエクも同じシカゴ大学だったとか。p73
シカゴボーイズには2つの対照的ケーススタディーがあったという。1つは1964年の中途半端な(しかしの後半には過激な弾圧を行った)ブラジル軍事クーデーターと、他方1965年、最初から過激な弾圧をおこない白紙状態にしたスハルトによるインドネシアでの反スカルノ・クーデーターだとする。これがのちの民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権に対するピノチェトの1973年の軍事クーデーターの参考資料となったという。p96
ただし、このシカゴ学派による実験はインフレ率375%というアジェンデ政権の2倍を超えるもので破綻し、国内産業は輸入品に敗れ、GDPは15%縮小し、失業率はアジェンデ政権時の3%から30%まで記録的に上昇し大失敗に終わった。p110
この評価に対し「チリの奇跡」をいうシカゴ学派もいる。それによれば10年間は悲惨な状況が続いたが80年代半ばに持ち直したことによる。しかし10年間の悲惨な状況は改革に伴う痛みというにはあまりにも大きな犠牲だと考える。ちなみに現在(2007年段階で)上位10%の収入は83%上昇し、45%の国民は貧困ライン以下で、世界で最も貧富の差の大きい国であえることは良く知られている。(不平等指数では123国中116番)p119