『危機と決断』2 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
5.3km, 8057歩、19階



<祭日バージョン>
年金生活者が祭日でもないが、今日は朝から読書三昧、散歩三昧で暮れる。今日はついに庭にパソコンまで待ち出した。いつもの椅子だと猫背になるので低めの椅子に代えて万全の体制。風が少々あったがクリップで本のページを固定して『12世紀の修道院と社会』を纏めに入る。家にはwifiがなくケーブル接続なのでパソコンがネットに接続できないが、今はスマホで大抵十分。

 

 

昼下がり、ほぼ団地周辺の散歩路は制覇したので、新たな散歩ルートを求め団地のある台地の南側を流れる宇美川の支流、井野川を越えて反対側の貴船宮周辺まで足を伸ばしてみる。いつもは夜の散歩だが、お宮の裏の山道に入るつもりだったので明るいうちに動くことにした。

2008年に郷土史探訪と称して、一度行ったことがあるが今回はさらに新たな発見があった。それについてはまた明日にでもまとめてみたい。なお、当時あった1776年の記録が残る灯籠は今回確認できなかったが、これは文化財として何処かに保管されているのだろう?
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1037/trackback



<深く反省させられる>
先ごろ自粛要請を無視して開業しているパチンコ屋に対し「腹立たしい」という気持ちと、そこに足繁く通う者たちを「賭博中毒者」だと見下していた。そして先日、久留米のナイトパブでクラスター感染が広がり、オーナーとその従業員にコロナ感染者が出たとのニュースを聞いた時。「天罰が下った」と思った。

そうした空気を感じられたのか、先ごろ内田氏が『隣組と攻撃性』とする一文を書かれていて、それを読んでハッとした。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html

曰く、『相互監視させ、攻撃性をリリースすることを統治手段に使おうとする政治家はきわめて危険な存在』というのは鋭い。そして内田氏が指摘する<10%の集団>の中に自分が含まれることを見出して、深く反省させられた。



『危機と決断』2
ハーバードからMITに大学院で移ったのもMITではハードサイエンスが主流だったことがあるらしい。ハーバードとMITは近接していたので、その間にある雑貨店でのジョークに以下のような言葉があるらしい。

『君は数学音痴のハーバード大か、字が読めないMITの学生か?』p47

ケインズ経済学は賃金と物価には「硬直性」があるという考え方に基づいている。つまり、リアルタイムで連動していない。だから予想外の需要の減少が起こると負のスパイラルが起こるので財政、金融政策を積極的に活用すべきだとする。p48

MIT時代に伴侶であるアナ・フリードマンと出会うが、彼女はラテン文学専攻でガブリエル・ガルシア=マルケスを教えてもらったとか。p53  多分、コロンビアが生んだノーベル賞作家、ガルシア・マルケスのことだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/260/trackback

さて、MITからその後スタンフォードに移り、そこで1985年まで6年間をカルフォルニアで研究生活を送ったらしい。85年といえば、私はpost-docの2年目、もしかするとあの美しいキャンパスのどこかですれ違ったかもしれない。私はその後、大して大きな成果をあげることができなかったが、スタンフォードは本当に素晴らしい環境で二度目の青春時代を過ごさせてもらった。

この後、著者はスタンフォードからプリンストンに移り、その後実務的な世界であるFRBに移るが、この学者時代を紹介する文章の最後に著者は言う。

『政策立案者は極端な状況においては必要とあれば常識を捨て、枠にとらわれず考えなければならない』58 

今回のコロナ危機もそれに相当すると思うが、そのような政策を日本の政府は打ち出すことができるのだろうか? それが「国民全員に10万円」や「アベノマスク」であるはずはない。