『稲作伝来』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=-aNrg-q3u7w&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=9
HKS 3 #8~9。背了一个小时十三分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=Lp20GwwkMy8&list=PLoWkSnQu8dvFgVtV-AtBM3YRzbUVGljTc&index=30
#21~30 ブレチャイな,学了一个小时十九分钟语法。

http://fchi.web.fc2.com/syosinsya2.html
https://www.youtube.com/watch?v=q69gEPNy2Uk
P142-147-4/12~12/12。 一个小时二十一分钟。
中国語 講座 無料 教室。 

https://www.youtube.com/watch?v=xiUPkOFIvhU&list=PLRRe0GExdDrU5L7kN9NsU4ram19ki2_Ux&index=62
labo chai 58~62。学习二十七分钟文法。 一共四个小时二十分钟。

没有运动。



<昨日書き残したこと>
沖縄=琉球は、歴史の中で中国の領土になっても少しも不思議ではなかった。清朝の弱体化がその可能性を潰した。ある意味日本にとってこれは幸運だったのかもしれない。何故なら沖縄が中国領になっていたら、この列島も朝鮮半島と同じような状況になっていただろうと思うから。



<「関口知宏の『ヨーロッパ鉄道の旅』」>
金曜朝のこの番組はイギリスを最後にして番組が終わった。毎日、朝食を食べながら楽しんだ。最後にドーバー海峡からの眺めが紹介されていたが、天気が良ければ30キロ先のフランスが目視できるそうだ(番組では霧で見えなかった)。思ったよりもイギリスは大陸に近いものだと思った。目視できるならば古代人でも渡ってみようと思うだろう。それでもイギリスが大陸と常に距離をとりながら現在に至っているというのは面白い。むしろ、歴史の中で常に大陸からの侵略を受け続けたことが、今に至っている理由なのかもしれないね。かつてはローマ人、ノルマン人であり現在では移民?



『稲作伝来』
先史日本を復元する-シリーズ4、岩波書店、2005年初版。
見かけは一般入門書のように見えるが、内容は高度。

*縄文後期の夜臼式、<ゆうす>と読むらしい。これまで<やうす>だと思っていた。

土器の作り方が異なることは、外見からでは分からない例。粘土紐の重ね方が指の動かし方で二種類ある、これは断面を見て初めて分かる。表紙の絵はそれを表している。表紙右端の女性の指先に注目。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5930/trackback

 

土器の大きさの分布が縄文系と弥生系では異なる。これから研究者は縄文の大型容器は長期保存を目的とした煮沸による大量加工に使われたと考えた。一方の弥生は食料(稲)の安定常温保管が可能になったことから不要になったと結論する。p15 真偽は分からない、しかしそれは重要ではない。重要なのは論理の筋道が読者によくわかることだ。

 

この分野が考古学だけでなく、土壌学、植物学、農学などの総合科学で進歩したという。p17この中にはDNA学による稲などの系統樹解析なども含まれる。

稲の雲南・アッサム起源説は遺伝的多様性から唱えられたが、如何せん稲遺物の最古例が3820年前までしか出てこない。p21 それに対し長江中下流域ではかなり古いものが出土している。

現在1つの有力な説は、河姆渡遺跡のBC5000年頃>馬家浜遺跡のBC4000>良渚遺跡のBC3000年頃とされている。p22 ここに有名なホウ頭山遺跡が含まれないのは、いろいろな疑義があるかららしく、この点について<栽培稲の開始を次々と遡らせる中国考古学の現状>を厳しく批判する研究者もいる。p25

なお河姆渡では象と水牛の骨が発掘され、当時この地帯が熱帯~亜熱帯気候だとされる。p23 これは現状の野生稲の北限が北回帰線付近(広州付近)p24 であること栽培稲の出現の乖離を説明できるのかも?