地元情報あれこれ & 『十八史略で読む 三国志』 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=rqCA-PAqcdE&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=12
HKS4 #11~12-7min, 又忘记了! 背了四十二分钟单词。

运动;爬山散步285kcal和一个Zumba课

今日も絶不調でLean-lean start up状態。気分は乗らなかったが、少しでも勉強したということで目をつぶろう。尤も読書と運動の方はその分楽。中国語では「勉强:mian qiang」は「強制」の意味、何となく納得。「学校教育」はその意味では価値があるかも?(汗)



<地元の様々な情報>
1)徘徊老人?:午後昼下がり緊急町内放送が流れる。何事かと思い聞き耳をたてると、どうやら男性が行方不明になって住民への注意喚起ということだった。定年後平日に自宅にいるようになってこうした放送を何度か耳にする。詳細は判らないが(年齢情報なし)服装や背格好から徘徊老人ではないかと推察する。この団地も定年退職者が多いのは知っていたが、もしその親世代ならば80歳以上、可能性はある。 勉強が今ひとつ乗り気にならなかったこともあり、組長として(?)周辺見回の役目を果たす。 尤も小雨が降ってきたことと、スマホを家に忘れたので早々に引き返す(笑) それは兎も角、この団地は直近(2019年)の統計で世帯数1306、人口3464人。1世帯数ほぼ2.65人。団地が出来て30年以上経つので。2.65という数字には我々の親世代も多いのではと考える。なお町全体としては世帯数15,777、人口37,274人。1世帯数ほぼ2.36人。



2)外国人世帯:こうした資料を調べているうちに面白いことに気がついた。それは「大字」が名前に付くある地区は1割が外国人世帯で飛び抜けて多い(全体では2%)。早速Google mapで調べてみると、この地区は山間部が殆どだが幾つかの飛び地がある。それらは工場敷地。推察するに、もともと広い町名だったところに、大型団地が次々造成されて、それに伴い「オシャレな」町名に代わっている。実際旧町名と思われる地区は17もあるが住民はゼロとなっている。その中には現在自宅がある地区の旧名(炭焼)もある。多分、工場の方は古くからの地名をそのまま名乗っている(飛び地)ということだろう。 実際、地元のスーパーに行けば南アジア系と思われる外国人のお客さんを良く見る。工場の寮とかに住んでいる外国人なのだろうか? 30年住んでいるが、初めて知ることも多い。


3)地元のハザードマップ:今回の台風による被害は様々だが、その中でも都心部のセレブ風タワーマンションでの台風被害は住民にとって本当に想定外のことだったと思う。聞けば億ションの住人がトイレにも困っているとか。それで色々考えた。

30年前にマイホームを購入する際、自分なりに相当考え、水害や崖崩れのない場所を厳選したつもりだった。とりわけ熊本の実家が万日山の中腹の傾斜地だったので自宅を購入する際に一番気にしたのは崖崩れ。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2729/trackback

購入を決める前にわざわざ現地に雨の日出向いた。丘陵地なので水害は問題ないが、崖崩れについて実地検分が必要だと思ったからだ。さらに昔の地名(新興住宅地は新しい名前が付いていることが多い)が「炭焼」だということで雑木林ならば多分大丈夫だろうと考えたりもした。

因みに、丘陵地の地名に「水」や「龍」の字がでるとヤバイ。例)垂水、龍神など。一方、平地だと先にも述べたように「葦原>(アシハラ>ヨシハラ)吉原」や田所や田村などは避けるべき。このうちの幾つかは近くの団地の旧名に実際に残っている。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5928/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4190/trackback

ところが、それだけ色々考えたつもりでも、今から考えると「地震」が完全に頭から抜け落ちていた。もともと福岡で地震など起こるはずはないと無条件で信じていたからだが、それは先の福岡で起こった地震であてにならないことが判明した。因みに自宅は宇美断層からほぼ1キロの地点。

この3)の記事は下記のblogにインスパイヤーされたもの。
https://blog.goo.ne.jp/yamafuntouki-56/e/bd4cf90415b30a31d953ac4c4274393c




『十八史略で読む 三国志』
渡邉義浩著、朝倉書店、2012年初版。朝倉書店は学術書で有名な書店、この本も「漢文ライブラリー」シリーズの1つ
http://www.asakura.co.jp/G_11.php?sreiesname=289

先日九州博物館で開催されている『三国志展』に出かけたが、殆ど知識がないので恐らく沢山重要な展示があっただろうに受け入れる器が小さく得たものは少なかった。それで慌ててこの本で勉強しようという気になった次第。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5927/trackback

陳寿の書いた『三国志』は紀伝体を取り、歴史書として流れを掴むのは難しいという話を以前から聞いていたこともあり、ここでは編年体で書き直された本を読むことにした。それもできるだけ簡潔なというわけで代表的な『資治通鑑』の代わりに選んだのがこの本。しかもこの本は<三国時代>だけに的を絞ってあるのですぐ読めそうだ(笑)

実際、『十八史略』の紹介のところにも、これが科挙などを受けるための要点だけ抜粋した、<受験参考書>に相当すると書かれていた。p6 まさに私の求めていたもの(笑)どうやらこの本、そうしたHow toものだったこともあり、中国での評価は低く、逆に日本で初学者のための入門コースとして読まれたとか。p7  事実、とても私のレベルに合っていて読み易い。取り立ててのことはなかったが1つ注目したこととして。

孫堅が呉郡富春県の小豪族出身と書かれていた。これは杭州の西南にある富春村のことだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3829/trackback

 

一度杭州-建徳で会議&観光があった時にその側を通った。下のURLの最後の写真の付近。ここは钱塘江中流域の山中、鄙びたところでおそらくこのころの孫一族は小さな豪族だったに違いない。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2936/trackback

因みに孫堅は『一七歳の時、海賊平定で名を挙げた』という。p37 海賊と書かれる以上、それは南シナ海の賊ということになるが、17歳の時というのはwikiによれば、AD173頃になり先の「三国志」展で紹介された士爕(ししょう)の存命中で36歳くらいの時、まさに山越を懐柔し海洋交易を支配した時期に相当する。直接の交流があったかどうかは不明だが海賊を介して両者には関係があったのだろう。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5927/trackback

この時代は地球規模での寒冷化の時期だったらしい。これと黄巾の乱で(この乱も気候変動に関係あるかもしれないが)長江流域の人口増大になったとか。p62 前後の繋がりがよくわからないが、多分寒冷化で北の方では飢饉とかが起こり、同時に中原から乱を避けて人々が移動してきたということか? もう少しここらの少し説明が欲しいね。

曹操は「禅譲」の手本となるマニュアルを残したとか。つまり、その息子曹丕による禅譲、漢の滅亡は織り込み済みということか。p74