『エリュトゥーラ海案内記』という名前は古代史の中でちょくちょく聞く名前だが、調べてみると県内の幾つかの図書館に蔵書されていることがわかり、早速取り寄せることができた。貴重な本のようだ。下に示すように最初、戦後すぐ生活社より出版され、その半世紀後に改めて中央文庫より再販されたみたいだ。
『エリュトゥーラ海案内記』
著者不明、村川堅太郎訳注、中央文庫、1993年初版(生活社、1946年初版)
著者は村川氏によれば学者的態度を毛頭示してしないので実際にインド洋貿易に従事した人だとする。p23
アラビア半島南岸のアデンが「幸福なる」都市と呼ばれたのは、インド人はここまでやってきて、荷をギリシャ人と交換した中継貿易港だから。p39 最初この名前を聞いた時、ジョン・スタインベックの小説を思い出し、何らかの関係があるかと調べてみたら、小説の名前は「エデンの東」でここはアデン=Aden、Edenではなかった(笑)
インドからローマ硬貨が多数発掘されるのはアウグストゥス以降でローマ帝政の成立以降ということらしい。このことからパックスロマーナが貿易には重要だったということと、p40 ローマの輸入超過の事実もわかるとか。p77 ちなみにこの本によれば貿易品は全て贅沢品。p51
紀元前4世紀末に象が新しい武器として流行しプトレマイオス朝は紅海西岸に狩猟の拠点を建設したとか。これが後に以下に示すインド洋貿易の拠点を果たすようになる。p33
航海のスケジュールは、季節風の利用により盛夏(7月~)紅海西岸のBerenike (*Berenice)を出て約1ヶ月でアラビア南岸のOcelisあるいはCaneに到着。そこから40日くらいをかけてインド洋を横切りインド半島西南海岸のMuzirisに到着とあるが、これは完全に大洋を横断する航路で沿岸沿いの航海ではない(北西風)。p51 帰路は12~1月の逆風(東風、東南風)を利用しインド洋を横断し、紅海では南西風、南風を利用したらしい。p52
*あちこちスペルが違うのは何故?
なお海賊が出没したので弓手隊が一緒に乗ったとも。p81これは当然だろう。それでも陸路より安全だったとも。