二回目の『シルクロード』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

TVを観ていたら小泉新大臣が国際会議でSexyという言葉を使ったことで色々議論が出ていた。

こうした使い方は聞いたことがある。随分昔になるが、あるセミナーで米国の研究者がCancer stem cell theoryを「sexyだ」と言っていた。その後、この「仮説」がその後どうなったのか知らないが、、、

いずれにせよ小泉大臣は「今日日受け」する言葉を使ったのではないかと思う。sexyにこういう使い方があると日本人の多くが知ったきっかけを作ってくれたと考えていいではないか? 見掛け倒しの卒業証書でなく、ちゃんと向こうの大学を卒業したことも判る(笑)



<ダンス>
リレゲノ→エンチューファ→リレゲノ→セテンタ→リレゲノ→コーサラ



<愛情が判るね~>
飼ったことのない人には「眉唾」に聞こえるかもしれないが、意外と犬猫も人の言葉が判るものだ。
https://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/1443095da0492aaf02bdb7c813a04903




二回目の『シルクロード』
ジャン・ピエール・ドレージュ著、創元社、1992年初版。

途中で何処かで読んだような気がしてblogを検索したら案の定! 既(2015年)に読んだ(汗)。但し、前回は「取り立ててのことはない」としているが、今回は色々注目することが出てくるのは、手前味噌だがこれまでに色々学んだことがある(笑)
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4226/trackback

1世紀末か、2世紀初めに書かれたとされる『エリュトゥーラ海案内記』、古代史ではよく出てくる本だが一度読んでみたい。邦訳されているのかしら? それによればAD166年、あの『自省録』を書いた五賢帝最後の著者、マルクス・アウレリウス・アントニウスの使者と称する者がインド洋を横断しトンキンに到達しているとか。p031 『自省録』には影響を受けたものとしては思い入れがある。
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ここでも仏教は当初、道教との結合という形をとり中国に普及したとされる。p039 また其れゆえ、その中国仏教を取り入れた日本もこの道教との融合形を容易に神仏習合形に転換できたのだろう。これらのことについては『八幡神と神仏習合』に詳しく書かれていた。
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しかし逆にいえばこの道仏習合がその後、法顕らが原典をインドに求めねばならずと感じた理由かもしれない。p042 あの『法顕伝』はきわめて短いが面白かった。ネギの原産地は中国西部・中央アジアというのもあの本から仕入れた知識。因みに、パミール高原とカラコロム地域は「葱嶺」と呼ばれたらしいが、それはその地域に悉く葱が植わっていたからだとかとある。
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中国からの帆船は船底が深いのでペルシャ湾の奥のバスラまでは行けなかったらしく、p057 其れもあり、インド西南端のクイロン(Quilon)=コッラム(Kollam)で荷は積み替えられたらしいが、ここでは重税が課せられたとか。p054 またクイロンは胡椒の大産地でもあり、マルコポーロはここで胡椒が小麦のように扱われたことを、驚きを持って描写している。p060 Goggleで見ると入り組んだ湾が印象的。

当時杭州は砂糖の大産地だったらしく! これはモンゴル人により、トウキビから精製する方法がインドから伝わったとか。多少時間が前後するが、先の疑問『東京夢華録』で北宋の街、開封で砂糖が普通に普及している理由が解決した。p063 それにしても杭州が生産地?てっきり広州からだと思っていたが、、
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その普及の程度は、後にマルコポーロが杭州(キンサイ)が非常に豊かな街の理由に、ここで課せられる、塩と砂糖からの税金というのも納得だ。p080 杭州近郊の塩田といえば海宁近郊の盐官? それとも外からもたらされたもの? 多分後者でしょうね。杭州からは運河で華北に運ばれるということでしょう。事実この本の監修である長澤氏は杭州が海のシルクロードの末端であることを指摘している。p136