不調続く & 『東京夢華録』3 | Hiroshiのブログ

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<数値目標>
トレッドミル300kcalと、エアロクラス1

今日もなかなか勉強意欲が湧かない。結局、しばらく読書三昧生活をして本に飽きた頃に元の生活に戻ろうと決心。1冊読み上げさらにもう1冊状態。まだまだ飽きるほどではないので暫く続く予定。

運動だけは簡単に目標達成できるのだが…


読み上げた本の中に元朝時代の杭州(臨安)が経済的に豊かだったのは、塩税と砂糖税によると書かれてあったことをWeChatで話題にしたら、反応が来て、『西汉初年、塩を管理する官職が設置され、三国時代にその役所が臨安近郊の盐官に置かれ、清朝まで続いたとか。特に元朝に格が上がった』とも。さらに宋時代の地図を送ってくれた。


確かに近郊に塩田はあるが、むしろこの官職が盐官に置かれたことが大きいかもしれない。多分、この役所が運河の末端に置かれ華北への様々な物資の輸送の拠点になっていたに違いない。塩田は色々なところにあったはずだが、沿岸輸送と運河の接続を考えればこの地域に集積場があるのは納得できる。ここでそれを一手に引き受け塩の税金を管理したと考えれば臨安が塩の税金で潤ったというのは分かる。同じように砂糖も南方の広州などから沿岸輸送でここに集積され運河で華北に輸送されると考えると塩と同様に税金をここで取るのは都合がいい。そうしたことではないか?



『東京夢華録』3
金明池での行事が描かれているが、その場所を示す地図が本にはないので調べてみたら、どうやら外城のすぐ西側に広がっているようだ。また繁華街は東側に多いこともこの地図でわかった。
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-034.html

 

この下の地図では内城にも池(楊家湖、包公湖)があるようだが、この本が対象としている徽宗時代にあったかは不明。
http://teacher.nagano-nct.ac.jp/kubota/maps.html

 

 

包公湖というのは開封府の名裁判官、包拯(Bāo zhěng、ほうじょう)に因んだ名前か?
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5413/trackback

最後の部分は開封での庶民の季節ごとの行事や風俗を扱ったもので最後まで特に注目すべき点が見当たらず終わったのだが、たまたまよくお邪魔するblogでこの季節の「月餅」のことが話題になっていた。
https://ameblo.jp/changzi728/entry-12522697562.html

それで気がついたのだが、この本の中秋節のところに月餅について一切記載されていないことに気がついた。再度読み直してみても確かだ。そこで改めてwikiで調べると。

『「月餅」という言葉は、最初に南宋の呉自牧の『夢梁録』に現れた。当時の月餅は菱葩餅のような形をした食べ物で、後に円形を型どり、団円を寓意するようになった』と書かれていた。

あれほど細かく北宋時代の開封の庶民の生活を描写した孟元老が書き漏らすということは考え難いので、そうするとやはり南宋以後の習慣か? 歴史書というものは書かれていることだけでなく <書かれていないこと> にも注意を払う必要があると感じた。ちなみに『東京夢華録』の中秋節のところでは <贈り物をし合うという習慣> すら書かれていない。

後日、この発見(?)を中国人に知らせると感心された(笑)

このことについては先日も『書かれていないこと』としてblogに書いた通り。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5897/trackback