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名古屋伏見・BFB®メソッド・マスタースクール

きれいはカンタン!そっと触れるだけで機能が蘇る!脳に働きかける施術・呼吸法~BFB METHOD
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その一

その二


続きます^^

夏 彼の妹さんが 私の 名古屋の瑞穂グランド近くのアパートに泊まりに来てくれました。

夏…私のお誕生日に~と プレゼントにいただいたブローチは 今も 大切にとってあります。


わざわざ関東から この先の作戦に 来てくれるのだと思ってました。
でも 会ったその日は 過去の話で 涙ばかりでした。

「とっても いいお兄ちゃんだったの」と。

私は 心の中で 「偲んでどうする! 彼は 生きてんだよ!」と。
きっと 明日 この先の話になるのだろう~と 思って その日は 眠りにつきました。

日付けが変わり 朝になっても 話は同じでした。過去の話だけ。
お通夜じゃないのに 偲んだ話ばかりでした。

ダメだ!と 思いました。

二十歳の私も 二十一歳になってました。(妹さんも 同い年ですが)

任せておけない! 彼の周りに 頼りにできる人はいないこと・・・悟りました。

だから そこから 一人で 情報収集を始めました。
とにかく 情報を集めるコト!!

労働基準監督署や 大手ゼネコンへ。

3メートル以上の高所で 命綱をつけさせずに 試用期間の社員を働かせ 転落事故。
そこで 会社の落ち度を責め 権利を主張するコトも 考えてましたけど、それは 愚かなコトだとのこと。
権利の主張より やはり 人情に訴えた方が 得策だと。

大手ゼネコンでは(彼の会社では 不利になる告げ口が行くかもしれないから 他社です)、当初 私は 同じ会社の中で 名古屋に転勤させてもらうコトを考えていたのだけど

「それは ダメだ」と。

同じ会社でも 「違う支社・支店が出した障害者を押し付けられた」と 厄介者扱いされるからと。



つまり 福岡市の 九州支社へ 情に訴えて 復帰させてもらう!!

目標が決まりました。

さて どうする!!

秋に差しかかっていました。


つづく。。。
彼 22歳
私 20歳

2回目のお見舞いは 飯塚市 脊損センター

勤労学生だった私は 夜のウチに福岡に入り(福岡に泊まり) 朝一番で 飯塚行きのバスに乗って行ったり。

飛行機が取れないと 夜行電車で行ったり。。。いろいろ途中の街も 記憶の片隅に残っています。
電車で行く時は 北九州も経由したような^^


リハビリが始まると 私の想像を超える 危険でハラハラする場面ばかりでした。

まったく感覚のない 両足を支柱にして ベッドから 車椅子へ~ 車椅子から テーブルの椅子へ~ また椅子から 車椅子へ~ 車椅子から ベッドへ。。。

車椅子からベッドへの移動って ホントに 命がけのように見えました。
低いトコロから 高いトコロへ 両足を ちょうどバランスのいいトコロに置けていないと 頭からひっくり返ります。 床に向かって 真っ逆さま!!

だから リハビリで 腕の力を鍛えます。
それに反して 両足は ドンドンと 肉が落ちていってました。

肉が落ちていって 危ないのは お尻!

普通、私たちは 椅子に座っていても お布団で寝ていても 1ヶ所に体重をかけ続けていると 血行が悪くなったり・痺れていくもので・・・
そうなる前に 無意識に 体重のかかるポジションを変えています。 無意識に・・・。

でも 麻痺していると それが できません。

体重が 1点にかかり続けないように 体位を変えるのだけど 本当に変わっているかは 確認できません。

神経が通ってないから 血行も悪く すぐ褥瘡(床ずれのようなもの)が できてしまいます。

車椅子のクッション選びも 重要です。

いろんなクッションで試します。

こんにゃく みたいな圧のあるクッションが 当時は 一番 望ましいと聞きました。



第三腰椎粉砕骨折。神経が完全に断裂していました。

圧迫骨折の場合 奇跡も起こるかもだけど・・・
彼は 粉砕骨折による 完全な 神経断裂で 奇跡は 望めない。。。

現実を受け入れて 早く 前に進みはじめなくちゃ!!


私自身も 彼と一緒に生きるつもりがないなら そろそろ。。。と
周りのおとなや よく知らないおとなからとか。。。あちらこちらで お説教されるようになっていました。(学校でも 会社でもね)

車椅子になってしまった彼と 一緒に生きていこうとすること・・・世間では 批難されることなのだと 嫌というほど 思い知りました。

つづく。。。
BFBメソッド・マスタースクールに 私の恋が 関係ある??

と 言わないで 書かせてください^^

私の二十歳の恋~

ディスコのフロアで(古ッ) 金縛りになるほどの 一目惚れ^^
私の一目惚れで始まった恋。苦労なく そのままスタートしました。

って そんな馴れ初めは どうでも良くて。。
私の 身体の知識は この頃に 根っ子ができてたのかも~と まとめておきたくなりました。

忘備録として。




その彼の夢は 「橋を架けること」でした。

大学卒業して大手ゼネコンに入り 研修を済ませ 博多の地下鉄工事の現場に入りました。

私は 「迎えに来てね~」と 彼を見送りました。
それが 自分の足で歩く彼 を私が見た最後の姿でした。

入社して1ヶ月半。地下鉄工事の現場での転落事故で 彼は 第三腰椎粉砕骨折。

次に会った時は 渡辺通り沿い(たぶん)の外科病院で 看護婦詰所(?)のようなお部屋から ガラスで仕切られただけの(つまり24時間監視つき)病室のベッドに うもれていました。

ホントにね ベッドに埋まってる感じでした。

まだ 「歩けなくなる」コトは 隠されてました。大きな手術のあと ショックを与えて 回復が遅れないように!と。

「足先・・・まったく感覚ないんだよなぁ。。。」と 暗い呟く彼に 私ってば 明るく嘘ばっかり並べてましたvv

騙すコトも 愛情ですvv
騙すコトで 彼の術後も順調に回復して・・・

福岡の街中の病院での手術が落ち着いた頃 福岡県飯塚市に 労災が初めてつくった(1979.6.1設立) と言う 脊損センターに転院しました。

二十歳の私、 スカイメートをつかって 名古屋から福岡へ~ 遠距離恋愛(?遠距離お見舞い?)がスタートしました。

飯塚脊損センター

ここが 後の 国際・車椅子テニス 発祥の地 と なります。

福岡県飯塚市。 とにかく 遠い! 遠いから お見舞いの家族とか 私のような彼女が泊まれる宿泊施設も隣接して 用意されていました。

設備も万全でした。ケースワーカーさんとも仲良くなり いろいろ 私も勉強しました。

同じ脊損(脊椎損傷)の人ばかりではなく 頸損(頚椎損傷)の人もいました。
脊損と一口に言っても 腰椎、胸椎・・・では ホントに まったく できるコトが違います。

頸損になると 手も使えなく・・・
女の子は 生理の時。。。ホントに 可哀想でした。自分で処理できなくてね。

「自殺もできないの。。。」って言葉を聞きました。

若い…彼と同年代の男の子で 怪我をしてから(脊損とわかってから)、彼女が来なくなって、精神を患っていった子もいました。

と言うか 脊損になった遠い彼のトコロに 飛行機代払って通う私の方が 珍しがられてました。

冷めなかっただけなんですけどね^^
冷めれた方が 楽だったかも。。大好きでした^^

「橋を架ける」彼の夢は 私の夢になっていました。


つづく。。。



毎回 施術を見せて頂いて(ナツコさんのセルフのモデルさんへの)感動します。ツーっと一回り小さくなるし 色も血色が良くなります。いつも すごいなぁと思います。
人への答えも すごく おもしろいです。

と いつも ひたむきな 尚ちゃん^^
ホントに いつも・ずっと ありがとうございます。

安全な施術!! に こだわって作り上げたBFBメソッド。
その 魂を受け継いでくださっています。


 
愛知県豊橋市のAromaria愛知県豊橋市のAromaria