BFBメソッド・マスタースクールに 私の恋が 関係ある??
と 言わないで 書かせてください^^
私の二十歳の恋~
ディスコのフロアで(古ッ) 金縛りになるほどの 一目惚れ^^
私の一目惚れで始まった恋。苦労なく そのままスタートしました。
って そんな馴れ初めは どうでも良くて。。
私の 身体の知識は この頃に 根っ子ができてたのかも~と まとめておきたくなりました。
忘備録として。
その彼の夢は 「橋を架けること」でした。
大学卒業して大手ゼネコンに入り 研修を済ませ 博多の地下鉄工事の現場に入りました。
私は 「迎えに来てね~」と 彼を見送りました。
それが 自分の足で歩く彼 を私が見た最後の姿でした。
入社して1ヶ月半。地下鉄工事の現場での転落事故で 彼は 第三腰椎粉砕骨折。
次に会った時は 渡辺通り沿い(たぶん)の外科病院で 看護婦詰所(?)のようなお部屋から ガラスで仕切られただけの(つまり24時間監視つき)病室のベッドに うもれていました。
ホントにね ベッドに埋まってる感じでした。
まだ 「歩けなくなる」コトは 隠されてました。大きな手術のあと ショックを与えて 回復が遅れないように!と。
「足先・・・まったく感覚ないんだよなぁ。。。」と 暗い呟く彼に 私ってば 明るく嘘ばっかり並べてましたvv
騙すコトも 愛情ですvv
騙すコトで 彼の術後も順調に回復して・・・
福岡の街中の病院での手術が落ち着いた頃 福岡県飯塚市に 労災が初めてつくった(1979.6.1設立) と言う 脊損センターに転院しました。
二十歳の私、 スカイメートをつかって 名古屋から福岡へ~ 遠距離恋愛(?遠距離お見舞い?)がスタートしました。
飯塚脊損センター
ここが 後の 国際・車椅子テニス 発祥の地 と なります。
福岡県飯塚市。 とにかく 遠い! 遠いから お見舞いの家族とか 私のような彼女が泊まれる宿泊施設も隣接して 用意されていました。
設備も万全でした。ケースワーカーさんとも仲良くなり いろいろ 私も勉強しました。
同じ脊損(脊椎損傷)の人ばかりではなく 頸損(頚椎損傷)の人もいました。
脊損と一口に言っても 腰椎、胸椎・・・では ホントに まったく できるコトが違います。
頸損になると 手も使えなく・・・
女の子は 生理の時。。。ホントに 可哀想でした。自分で処理できなくてね。
「自殺もできないの。。。」って言葉を聞きました。
若い…彼と同年代の男の子で 怪我をしてから(脊損とわかってから)、彼女が来なくなって、精神を患っていった子もいました。
と言うか 脊損になった遠い彼のトコロに 飛行機代払って通う私の方が 珍しがられてました。
冷めなかっただけなんですけどね^^
冷めれた方が 楽だったかも。。大好きでした^^
「橋を架ける」彼の夢は 私の夢になっていました。
つづく。。。