笑える乳がん闘病記
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2022.12.17 追記
こうやって振り返ると、
私はバンドなければ、
というかメンバーが居なければ、
そこらへんでのたれ死んでたかも、
と思うくらいお世話になってます。
とにかく一緒にいて楽。
それでは、本編をどうぞ。
4クール目10 ルームシェアでつけられた嫌なあだ名
私が住んでる場所通称、
ドッグハウス。
うちのバンドのギター担当の、
こふじと住んでるシェアハウスです。
こふじ👇
こふじは漫画も書いてます。
引っ越す前の、第一期ドッグハウスは埼玉にあり、
別のメンバーも一緒に住んでましたが、
そいつが行方不明になったので、
今はこふじと2人でシェアハウスしています。
※バンドマンは結構結構行方不明になる
私、
17歳で学校をクビになったあたりから、
家出少女みたく住所不定で、
ずっとフラフラしてたのですよね。
実家に問題があったわけでもないので、
実家にも住まわせて貰ってましたが。
ベースの俊司の実家にも、
昔からよく入り浸ってたし。
ドラムの大佐の実家には、
随分長いこと居候させてもらってたり。
ギターのこふじの実家に、
居候してた時もあるし。
行方不明になったメンバーの家に、
住んでた時期もあります。
なので、
メンバーからは、
「何も出せないドラえもん」
と言われてました。
割と押し入れサイズで生きられちゃうし。
でも、私は、
何も出せないし、何もしない。
愛しづらいキャラクターすぎる。
ーつづき
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