スポーツの視点 -9ページ目

G大阪の躍進。

 G大阪が鹿島に勝ち点1差に迫っている。Jリーグが誕生してから12年、関西のチームが栄冠を手にしたことはない。今シーズンの戦いを見る限り、初の戴冠も十分に期待できる。

 

今年のG大阪は愚直なまでに「つなぐスタイル」を貫く。どんな相手でも打ち合いを挑み、力でねじ伏せようとする。カウンター攻撃のためにてぐすねをひいて待っている相手でも、その姿勢は変わらない。時にカウンターで失点を食らうが、選手に動じるそぶりはない。クライフが率いたバルセロナを見ているといえば言い過ぎだろうか。ただ、同じ匂いは漂っている。面白さで言えばJリーグ随一だろう。

 

ここまでG大阪の得点は55でリーグ一位。失点37は下から4番目。それでも得失点差はプラス18でリーグ一位と、圧倒的な攻撃力が目に浮かぶ。前線では大黒、アラウージョ、フェルナンジーニョが自由に動き得点を狙う。普通なら混雑しそうなものの、抜群のコンビネーションで適度な距離感が保たれている。その背後でタクトをふるうのが遠藤。チームの心臓としてパスを自在に操る。左サイドはU-20代表でも活躍した、現在売り出し中の家長。右サイドは二川、渡辺、橋本と流動的だが、基礎技術は高く役者は揃っている。

 

昨シーズンまでは長身のマグロンがいたこともあり高さを織り交ぜら攻撃を見せていたが、今年は趣が違う。ボールがワンタッチ、ツータッチで動くため、相手のDFは後手に回る。なおかつ前線に人をかけて攻めるため、攻撃が単発で終わらない。また、前線からも執拗にFWがボールを追い回すため、ボールを奪う位置も高くなる。ツボにはまれば、相手はお手上げ状態になる。

 

まだ21節。あと残すは13節、まだドラマは用意されているだろう。9月24日には、現在首位の鹿島との直接対決がある。G大阪は首位に立ってシーズン終盤を戦った経験はない。真価を問われるのは首位に立ってからだろう。最もいいサッカーをするチームが優勝するとは限らないのが、サッカーである。首位の座を守る立場に立っても、攻め続けられるか、G大阪が優勝する鍵はそこにある気がする。

 

甲子園哀歌!!

 今年の夏の甲子園は、高校野球の負の一ページとして語り継がれていくのだろう。開幕直前になって明徳義塾高校で野球部員の喫煙と下級生に対する暴力行為が発覚。高野連への報告を怠ったこともあって、出場辞退という前代未聞の展開となった。

 

大会はというと、駒大苫小牧の2連覇という57年ぶりの歴史的偉業で幕を閉じた。昨年初めて津軽海峡を渡った優勝旗は今年もまた北海道の地へ持ち帰られた。大会の総入場者数は昨年の71万6000人を大幅に上回り、77万6000人を記録。夏の風物詩としての存在の大きさを示した。ところが優勝から二日後、またしても不祥事が発覚。しかも発信源は優勝校の駒大苫小牧だった。野球部部長による部員に対する暴力行為があったという。またしても高野連への報告の遅れが明らかになった。

 

一昔前のスポーツ界において鉄拳制裁や厳しい上下関係は特殊ではなく、その閉鎖的な体質もあって表にはなかなか出てこなかった。監督、コーチは絶対的存在であり、上下関係は非常に厳しいものだった。青春時代に殴られた記憶がある人も多いのではないだろうか。その背景には、スポーツを体育の一環として組み込んできたことがある。体育は教育の一種であり、上意下達を基本とした教育がなされたきた。強くなるためには、どんな苦労もいとわない。そんな姿が共感を呼んできた。熱血教師が手を挙げるのは、選手のためだという論理が横行してきた。教育と暴力の線引きは難しいものだが、スポーツ界では暴力のほうに寄っていても、当事者たちは疑問を感じなかった。今回の相次ぐ不祥事は教育と暴力、この線引きが監督、選手、保護者の間で共有されていなかったことが大きな原因だ。

 

高校野球は教育の一環として礼節を重んじ、初々しく熱心で爽やかなプレーが共感を呼んできた。プレーボール前の挨拶、一塁へのヘッドスライディングなどは高校野球の専売特許だ。また、各都道府県の代表が集まりプレーする姿は、全国に散らばった人の郷土意識の盛り上げにも一役買っているだろう。

 

しかし、高校野球は今回の不祥事からも明らかなように負の側面も抱える。昨年、高野連にこうした不祥事が報告された件数は500件以上にのぼるという。また、文部科学省の中山大臣による開会式のスピーチにあったように、野球留学の是非も古くて新しい問題だ。これは、甲子園に出場するために他府県から有望な選手を集めてくることである。さらに、プロの選手を輩出したさいに監督がプロ球団から受け取る裏金の存在も長年、指摘されている。

 

こうした問題に対処するために高野連は指針を出し、基準を示すべきである。不祥事に対する高野連への報告の遅れは、出場停止といった厳しい態度で臨んでもいいはずだ。そうすれば、教育と暴力の線引きにも敏感になる。また、野球留学や裏金については、問題の解明に乗り出すべきである。高校野球を廃れさせないためにも、透明性は欠かせない。今回のように大人が主役になる甲子園はもう見たくない。

 

審判にもらった勝ち点3.

 プレミアリーグが昨日開幕し、今日アーセナルの開幕戦が行われた。対する相手はニューカッスル。エムレ(インテル)やパーカー(チェルシー)を補強し、まずまずの戦力を整え、今年は昨シーズンの雪辱に燃えているはずだ。相手はすでにインタートトカップを戦っており、すでに公式戦を経験している。

 

アーセナルはといえば、キャプテンのビエラをユベントスに引き抜かれ、補強も実質的にフレブ(シュトットガルト)のみと、昨シーズンより見劣りする陣容になった。それでも、若手の台頭で今シーズンを戦おうというのがベンゲルの腹積もりなのだろう。チェルシーが相変わらずお金を使う中、厳しいシーズンになりそうだが、ベルカンプのラストシーズンということもあり頑張って欲しい。

 

試合は、序盤から両チームともボールへの寄せが早く、中盤での潰し合いが繰り広げられる。ニューカッスルの新加入選手エムレとパーカーは中盤の汗かき役として早くも存在感を出している。対するアーセナルはというと、パススピードに変化を付けるハイテンポなパスゲームは、ニューカッスルの頑張りもあって鳴りを潜めていた。

 

ゲームが動いたのは前半の終わり。ジウベウトの持ったボールにジェナスがタックルしたプレーに対し、審判がカードを提示する。その色はなんと赤。アーセナルファンの私から見ても、レッドに相当するプレーには見えない。コメンテーターも「ベリー アンラッキー」を連呼する。これで11対10.ニューカッスルはその後の時間を10人で戦わなければならなかった。

 

後半開始後、アーセナルは人的優位を生かし、ボールを保持するが、チャンスに結びつかない。頼みのアンリにはブームソングがタイトにマークし、封じ込めている。時間だけがどんどん過ぎていく。10人の相手に攻めあぐむのでは、先が思いやられる。

 

ただ、残り10分にさしかかる前にゲームが動く。右サイドから侵入してきたリュングベリがペナルティーエリアで倒される。審判が笛を吹いてペナルティーアークを指差す。リュングベリを倒したゾッピアは顔を覆う。しかし、このプレー、PKかは判断の分かれるところだ。リュングベリが倒れたシーンは、確かにゾッピアが接触しているが、足をひかっけたようなプレーではない。後ろから少しつついたといえるものだった。

 

このPKをアンリが決め、ようやく先制。その後、途中交代のファンペルシがリュングベリのクロスにあわせ追加点を上げ、ゲームを決める。

 

アーセナルの本来のサッカーは見れなかったが、結果は2-0で勝利。審判の判定に大きく助けられた面もあるが、ひとまず安心。次はアウェーでチェルシー戦。どうにか負けずに乗り切れればいいだろう。アーセナルの優勝に立ちはだかる最初の大きな関門だ。


二強時代へ突入。

 世界のスポーツ用品業界は二強時代を迎える。スポーツ用品世界二位のアディダス・サロモンは3日、米大手のリーボック・インターナショナルを買収することで合意した。買収額は約31億ユーロ(約4200億円)。この締結に伴い、アディダスは約939億円のキャッシュフローを抱え、シナジー効果の一つとして年間1億2500万ユーロ(約175億円)のコストが節約できるという。

 

2004年実績で比較すると、リーボック買収後のアディダスの年間売り上げ規模は約111億ドル(約1兆3700億円)に迫る。アディダスは世界の需要の五割強を占める北米での事業を強化し、ナイキの背中を追う。世界のスポーツ用品業界は1990年代以降ナイキが他の追随を許していなかったが、この買収により新しい時代の幕が上がる。

 

日本市場に目を移すと、ミズノの売上高が約1000億円、デサントが約650億円、ヨーロッパでの成功によりスポーツ用品市場の最大手に躍り出たアッシクスが約1800億円とアディダス、ナイキの牙城に遠く及ばない。今後、アディダス、ナイキ間での競争が激化した場合、日本のメーカーが買収目標になる可能性もある。存在感を示し、適正な株価を保ち、自社の経営に細心の目配りが必要となってくる。また、ドイツのスポーツ用品業界二位のプーマなども、有力ブランドながら苦戦を強いられている。プーマはもともとアディダスと同じ会社だったこともあり、今後の動向が注目されている。

 

この合併によって、スポーツ用品業界に次の一手があるかもしれない。

Love The Earth スポーツサミット2005!!

 2005年7月30日、7月31日に「Love The Earth スポーツサミット2005」が名古屋で開催される。30日は名古屋能楽堂。31日は愛・地球博の会場である長久手会場内のEXPOドームで行われる。31日には、スポーツサミットの理念に賛同した世界的チェリスト、ヨーヨー・マ氏も登場し、特別コンサートも行われるという。

 

テーマはスポーツと環境。国内外のトップアスリートや国際スポーツ競技団体、スポーツ産業界、国連諸機関の代表者がプレゼンテーションを行い、それぞれの立場から地球環境や未来への想い、今後の取り組みについて語られるそうだ。サミットの目的は、次世代にスポーツができる環境を残すために、「スポーツと環境の共同宣言」を全世界に発信していくことを目的としている。

 

30日の「スポーツサミット・プレゼンテーション」は、国連諸機関の代表者、グローンバル・スポーツ・アライアンスの常任理事、IOCとJOCの委員である水野正人(ミズノ取締役社長)、スキー活躍してきた荻原兄弟を招いて行われた。普段、能などに使われる能楽堂だが、こうしたシンポジウムに使用されることは珍しいという。さすがというべきか、プレゼンテーションを行う登壇者は皆、足袋を履き、橋掛りを通り入場してくる。能の伝統は尊い。ただ、スーツ姿に足袋はどうもしっくりこない。しかも、普段履きなれない足袋のせいなのか、歩く姿もぎこちないものだった。

 

現在、環境に対する視線は、貧困と同じく熱い。先のグレンイーグルスサミットでも地球温暖化と貧困対策が柱として置かれた。そうした中で、スポーツが環境に果たす役割というのが、今回のプレゼンテーションを通した主旨だった。プレゼンテーションでは、「sastainable~(持続可能な)」という言葉が度々聞かれ、一つのキーワードとなっていた。国連諸機関の代表者は、「国連スポーツと体育の国際年」の担当官、国連教育科学文化機関(UNESCO)、国連環境計画(UNEP)。この面々からもスポーツが果たす役割の多様性が見て取れるだろう。

 

社会開発や教育の問題を語るとき、スポーツはワンランク下に置かれてきた。また、貧困にあえぐ人々にとって、スポーツは贅沢だとの認識がなされてきた。それを変えうる機運が今年打ち出した、「スポーツと体育の国際年」にはある。スポーツをする権利は基本的人権の一つであることが明記されているのだ。

 

スポーツは人種、民族、国境の壁を越えることのできる唯一の手段だ。スポーツをすることで、ルールを遵守し、相手を思いやり、試合後はお互いを称え合うことを知る。スポーツマンシップという言葉があるが、イギリスのオックスフォード辞典によると、良い仲間との意味もある。スポーツを通じて良い仲間を増やす。少々、突飛な発想かもしれないが、その連鎖が世界平和につながる。FIFAのブラッター会長も、「我々のスポーツで世界をより良い場所に」とパリの100周年の総会で語っている。

 

スポーツと環境の結び付きは1994年の冬季リレハンメルオリンピックにさかのぼる。「Greening Olympic」と掲げられ環境に配慮した大会運営がなされた。それ以後、環境への配慮は、オリンピック招致において、必要不可欠になった。また、世界大会でも同様のことが言える。今回、開催が決定したロンドン2012オリンピックでも「one planet olympic」を掲げ、環境に配慮し、オリンピック後も持続可能な都市計画が策定されている。

 

また、環境対策はミクロの視点でも世界各国行われている。その一つがNPO法人グローバル・スポーツ・アライアンスだ。環境保全を推進するエコフラッグやスポーツ用品の再利用を促進するスポーツエコネットなどの活動を通し、高付加価値・低環境負荷の社会作りを提唱している。

 

環境とスポーツをテーマにした今回のシンポジウムは実りが多く私の視野を広げるものとなった。国内外の講演者の話を聞くことで、私の抱いていたスポーツの方向性は間違っていないことを再確認した。

今後、プロ野球が発展するために。

 プロ野球が今、曲がり角を迎えているのは周知の事実である。企業がチームを持つ説明責任を果たせなくなり、近鉄は球団を手放す決断をした。それを契機に一気に球界再編へと動いたのが昨年のプロ野球再編問題である。運営費用を親会社の宣伝広告費として、補填する現状は今も変わらない。プロ野球を支えてきた「巨人ブランド」は視聴率の低下によって、ブランド価値の危機に陥っている。予算に占める人件費の割合はこの10年の間に大きく増した。有望な選手の大リーグ流出は止まらない。

 

この現状に対して、プロ野球はどうするべきなのだろうか。プロ野球が一人勝ちできる時代は去った。今後はエンターテイメント産業の中で比較的優位な地位を占めることを主眼にすべきだ。つまり、ゲームを見せるだけの姿勢からの脱却が必要だ。処方箋として三つ考えられる。一つ目はリーグのガバナンス強化。二つ目はステークホルダーに配慮した経営。三つ目は情報公開だ。

 リーグのガバナンス強化は、先に述べたプロスポーツリーグの特異性、スポーツビジネスの商品特性による。完全な自由競争がなく、商品開発が質の高いゲームの創出を指すため、リーグのガバナンス強化は欠かせない。現在、日本プロ野球界は根来コミッショナーを置いているが、権限がほとんどない。リーグに関する決定事項はオーナー会議で決まる。談合のようなオーナー会議で、劇的な変化を生み出すのはきわめて難しい。オーナー達がプロ野球の現状に危機感を抱いているのならば、外部から人材を連れてくる必要がある。経営感覚があり、プロ野球界の問題を認識している人に権限を与え、改革を断行すれば、ガバナンスの強化を成り立たせることができる。具体的には放映権料の共同管理や年俸の抑制などによって、戦力均衡の土台を築く必要がある。また、自治体に支援を仰ぐためにはリーグ全体で動かなければ、支持は取り付けられない。プロとアマにそびえ立つ大きな壁を壊す作業も必要だ。現状にメスを入れて膿を出す作業を行わないと、巨人が競争力を保てなくなった時に、プロ野球全体が傾いてしまう。

 

次にステークホルダーに配慮した経営である。その中でもファンの顧客満足度を主眼に置かなければならない。ファンが球場を埋めてこそ、メディアバリューが向上し、スポンサーがつく。この正の循環は、ファンがいなくなったとき、負の循環に変わる。一度、負の循環に変われば、坂道を転げるように落ちていく。そして、正の循環を取り戻すのには時間がかかる。Jリーグを例に取れば、開幕後の人気が嘘のように二年後バブルがはじけた。JリーグもW杯を契機に上向きつつあるが、開幕時の人気を取り戻すには至っていない。ファンを主眼に置くことは異論がないだろうが、その他のステークホルダーにも配慮しなければならない。しかも、六種類のステークホルダーは全て同じベクトルを向いているとは限らない。競技とビジネスのバランスを取らなければ、人件費は右肩上がり、経営は行き詰まりを迎える。また、監督、選手に関しても、人件費は一種の投資だという考え方を持たなければならない。それを、短期的、長期的に見ていく複眼的な視野が必要となってくる。つまり、経営戦略を立て、それを実践する経営が必要となってくる。

 最後に情報公開である。プロ野球のチームにおいて財務資料は公開されていない。近鉄が抱えていた赤字額も推計である。また、昨年発覚した楽天の一場(当時明大)選手の裏金問題も古くて新しい問題である。上場していないため、財務資料の公開は義務付けられてはいないが、公開することで利点も多く生まれてくる。まず、裏金のような使途不明金が減る。次にチームの財務情報を選手、経営者が共有できる。これは人件費の高騰に歯止めをかけるかもしれない。また、情報公開により、公共性を担保でき、自治体の支援を受けられる可能性もある。大リーグは財務資料の情報公開は行っている。Jリーグも2007年から財務資料の情報公開が義務付けられている。

 

プロ野球に横たわる問題は大きい。しかし、ビジネスの視点を持てば、金鉱脈がまだ多く眠っている。それを嗅ぎつけたからこそ、楽天やソフトバンクなど日本を代表するIT企業が参入したのだろう。プロ野球の古きよき時代を偲ぶのではなく、未来の繁栄に目を向け、各チームがアイデアを出し合い切磋琢磨していくべきだ。


 【参考文献】

スポーツ産業論入門 原田宗彦編著 杏林書院

Jリーグのマネジメント 広瀬一郎 東洋経済

合併、売却、新規参入。たかが・・・されどプロ野球 小林至 宝島社

NPB(日本プロ野球機構)のHP http://www.npb.or.jp/

JリーグのHP http://www.j-league.or.jp/

プロスポーツリーグの経済学 近鉄合併問題の本質=マネジメントの欠如 http://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0139.html


 

スポーツビジネスの顧客満足

 プロ野球におけるスポーツビジネスのリスクは、プロスポーツリーグの特異性、スポーツビジネスの商品特性を理解しないまま運営することだ。ステークホルダーが誰であるかを把握しないことには、運営に関して大きなリスクを負うことになる。赤字だからといって、高額な選手を大量に解雇し、黒字化を果たしたところで理解は得られない。プロスポーツチームにとっては黒字化も大事だが、勝利も追及しなければならない。ステークホルダー間のバランスを保つことが重要になってくる。

 

また、リーグ産業はハイリスクーハイリターン型でリスクが高く、安定した収入を上げることは難しい。ゲームが商品であるため、品質が常に担保されているとは限らない。有望な選手を獲得したからといって、活躍するとは限らない。巨人などは、毎年、補強活動に余念がないが、近年は優勝から遠ざかっている。つまり、費用対効果の試算がしにくい。ただし、商品の質をチームの勝敗あるいはチーム力にだけに頼る経営では安定しない。勝敗は経営にとって必要条件であるが、絶対条件ではない。5年ほど前の阪神はリーグのお荷物球団として、毎年Bクラスが定位置であったが、多くの観客が甲子園に詰め掛けた。これを、関西人の特性として片付けるわけにはいかない。
 経営の安定化には、スタジアムに足を運ぶ観客の満足度が重要になってくる。ひいきのチームが勝つことは、観客の満足度を満たす大きな要因になる。しかし、負ければ観客には何も残らないというのであれば、商品に大きな問題があるといえる。負けても(それなり)に楽しいとかんじてもらうことが必要である。観客がスタジアムで過ごす数時間に入場料という対価が払われていることを頭に入れなければならない。ホスピタリティーという言葉を最近よく耳にするが、プロスポーツにとってもこれは重要になってくる。スポーツビジネスが盛んな大リーグでは、ここに余念がない。野球場に託児所やバッティングセンター、バーベキュー場などがあり、人々は思い思いの過ごし方をしている。要するに、大リーグの球場は、競技場であり、憩いの場であり、社交場なのである。

スポーツビジネスの商品特性(プロ野球)

スポーツビジネスにおける商品特性は三つ挙げられる。一つ目は商品が「ゲーム」であること。二つ目は、権利ビジネスであること。三つ目は、装置産業であること。

スポーツビジネスは言うまでもなくエンターテイメント産業だ。人に非日常の娯楽を提供し、その対価としてお金をもらう。現在、人々は多様な娯楽の中から、限られた可処分所得と余暇時間を使う。そこでは、野球を見るか、映画を見るか、それともゲームをやるかという、ステーキを食べに行くのかという選択が行われる。他のエンターテイメントビジネスとスポーツビジネスの最も大きな違いは、「ゲーム」が商品であることだ。芸能人であれば歌を歌うことが商品になり、画家であれば描いた絵が商品になる。しかし、スポーツ興行においては、巨人がいくら最強軍団であっても試合をする対戦相手が存在しなければ、スポーツチームとは呼べない。清原選手がいくらメディアに露出しようとも試合に出なければ、ただのタレントでしかない。すなわち、スポーツ興行として捉えた時の商品価値は、チームや選手単独では成立せず、対戦相手が存在し、試合やレースを行って初めて商品価値が生まれるという特性を持つ。


スポーツ興行においては、対戦相手や選手はフィールドの上では互いに凌ぎを削って戦うが、その反面、試合という商品を生み出すためには互いの協調が必要になる。常にどちらかが一方的に勝つような予定調和試合が続けば、ファンはそっぽを向いてしまうだろうし、対戦相手がなくなってしまったら商品は生み出せなくなってしまう。競争の側面がある一方で協調の側面も必要なのである。つまり、品質向上においては「高いレベルでの拮抗状態」をつくることが至上命題となる。巨人の商品価値が最も向上するためには、競合する他チームが高いレベルで均衡しており、その中で勝利することである。従って商品価値は巨人に帰属するのではなくて、「巨人のプレーするゲーム」に帰属するのである。観客はゲームに対価(入場料)を払うのであって、巨人を見るために対価を払うのではない。


次に、スポーツビジネスは権利ビジネスという側面を持っている。ゲームから派生した「二次的な商品」がそれにあたる。ファンの増大はメディアを引きつけ、さらに企業を引きつけることは前に述べた。ゲームから生じた放映権料や選手やチームの肖像権などの二次的な派生商品を管理、運営できるかがプロスポーツにおいて重要になる。


メディアが主体となって生み出したプロ野球の場合は、各チームによってそうした権利を管理、運営している。メディアからもたらされる収益はスポーツビジネスの上で大きな役割を果たし、これが度々、批判の対象となる巨人の一極化を生み出している。また、プロ野球の事業全体がメディアに振り回された結果、禍根を長く残している。わが国の野球は、プロとアマ、さらには学生野球とそれぞれの団体間で交流がほとんどない。プロ野球は読売新聞、アマ野球は毎日新聞、高校野球は朝日新聞といった具合である。野球におけるメディア産業の攻防は各年代とプロアマ間に高い壁を残して今日に至っている。


また、プロ野球は過去の試合の映像を管理、運営する組織がなかったため、過去の映像が存在しない。「江夏の二十一球」などの映像は商品価値として大きな価値を持ちそうな物だが、残念ながら映像として残っていない。選手の肖像権の管理、運営については議論があるが、それについては本論文の趣旨から逸れるので言及しない。


最後に装置産業の側面について述べる。装置産業とは製鉄業や鉄道業のように初期段階において、多額の投資をする産業のことを指す。製鉄業であれば、鉄を精製するための高炉であり、鉄道業であれば、路線や電車車両あたる。これらは初期段階では収益が確定せず、多額の赤字からスタートする。


プロスポーツビジネスもそれと同じ特徴を持つ。「ゲーム」を生産する場は競技場や球場といった施設である。これがなければ、ゲームが成り立たないのは自明の理だ。また、入場料を払いゲームを見に来るファンにとっても、施設は必要不可欠である。施設の建設には多額の資金を要する。2002年のW杯のために新設されたスタジアムの全ては地方自治体が支援を行っている。これらのスタジアムはJリーグのチームに転用されている。また、アメリカの四大プロスポーツにおいても、施設には自治体の支援がなされている。自治体の支援とは、市民の税金が投入されていることを指す。これが、ステークホルダーとして自治体を捉える視点である。


ただ、プロ野球に目を向けると自治体がステークホルダーであるという点は、様相が少し異なっている。プロ野球が企業名を冠としているからなのか、Jリーグのように自治体の支援をほとんど受けていない。プロ野球のチームの多くの施設は民間で運営されており、別会計となっている。しかも、球場から派生する利益は基本的に全て球場に吸い取られてきた。典型的なのが横浜スタジアム(市出資の会社)と横浜ベイスターズとの関係である。スタジアムは場内の広告からの売上、売店からのテナント料はほとんど全て、そしてチケット代の25.5%を持っていく。

 

この結果、横浜スタジアムは、太陽ホエールズが移転した1978年度からは黒字経営を続け、優勝した1998年には売上50億円、当期利益13億円を稼ぎ出している。そして、観客動員に苦しむ現在でも、当期利益5億円以上を確保している。さらに特筆すべきは、長期負債のない無借金経営を行っている。

 

一方、横浜ベイスターズの経営は楽ではない。決算が公表されていないため未確認情報だが、ここ数年は赤字転落したという話も伝わってきている。スタジアム内の広告看板にしても、売店のテナント料にしても、横浜ベイスターズあってのものであることは明白であるのに、市の主張は、一民間企業に便宜を図るわけにはいかないで一貫しているという。

 

自治体の支援についてはJリーグとプロ野球の理念の違いがある。Jリーグにおいては理念が明確にされているが、プロ野球においては理念が何かは明確ではない。両団体のHPを見比べればその差は一目瞭然だ。Jリーグにおいては、その理念に、豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達への寄与を掲げている。これが自治体の支援を受ける拠り所となっている。プロ野球が地域に目を向けていくなら連携は欠かせない。自治体を巻き込む戦略が必要になってくる。また、プロ野球をビジネスとして成り立たせるためには、球団と球場の一体運営は欠かせなくなるだろう。プロ野球とて一軍だけでなく、二軍もある。地域密着を掲げるのは何も一軍だけとは限らない。大リーグの独立リーグやマイナーリーグは地域に根付いた営業活動を行っており、黒字を計上しているところも少なくない。日本の場合、データが公表されていないため確認しようがないが、二軍は全て赤字だろう。

























リーグスポーツの特異性(プロ野球)

 電通などでスポーツビジネスを手掛けてきた広瀬一郎氏によると、プロスポーツのリーグ産業の特異性は、二つあると指摘している。一つ目は単独で勝っても意味はないため、完全な意味での自由市場はない。二つ目は自治体が重要な顧客である(各自治体は競技場の公設により生産段階でのコストを負担しているため、スポーツにおける公共性は必須)。この二つの特異性から市場が制約を受けることは必然となる。これはスポーツリーグの生成過程に原因がある。世界のあらゆる競技はカルテル型のビジネスモデルをとっている。1992年にできたイングランドのプレミアリーグは、参加者が決まってから制度を作るというカルテル型で、共存共栄型であり、制度は既存参加者の権益を守るために設計されている。

 

これはプロ野球界にも当てはまる。プロ野球の歴史は1936年にさかのぼる。その年に第一回職業野球リーグ戦が行われた。その後、14年間の一リーグ制を経て、1950年に、現在のセリーグ、パリーグの形となった。その際の参加者は一リーグ制の参加チームを基に決定された。制度はその後、設計された。

 

また、プロ野球はアメリカ型のスポーツリーグと同様、自由競争による淘汰が存在しない。つまり、閉鎖型のリーグを形成しており、弱い球団は淘汰されようがなく、ずっと共同体としてリーグに留まることができる。今季から新たに参入した楽天がどれだけ負けようがリーグからの退場はない。その結果、優勝を争えなくなったチームには、残りの試合が消化試合の様相を濃く帯びてしまう。昨年、パリーグが打ち出したプレーオフ制度は、そうした弊害を取り除く一つの解かもしれない。しかし、それもペナントレースの覇者の意味とは何かを考えれば、頭の痛い問題が横たわる。Jリーグを例に取れば、J1とJ2というカテゴリーがあることで、自由競争のいい部分を享受している。順位が悪ければ、降格する危険性があることは試合に緊張感を与えている。また、最近ではFIFA世界クラブ選手権の出現により、アジアから世界へと続く道も開かれた。サッカーは多元化していくことで、自由競争のいい部分を各レベルで得ようとしている。


 

また、前出の広瀬氏はプロスポーツにおいてのステークホルダーを6種類に分類している。(1)ファン、(2)メディア、(3)企業、(4)自治体、(5)所有者、株主、事業者(6)監督、選手などの競技関係者

 「プロスポーツ」というマーケットには、全く別の論理によって対価を支払う4種類の顧客が存在する。第一にファン。ファンは入場料を払い、試合会場を埋めてくれる。ファンが増えるとメディアに取り上げられる。そこで第二の顧客、TVが登場する。対価として「放映権料」が支払われる。TVという顧客は、「メディア」というステークホルダーに所属し、「報道する媒体」と「放送権料を支払う顧客」の二つの顔を持つ。メディアが取り上げると、「メディア価値」が生ずる。そこでその価値を第三の顧客「企業」が利用する。対価は「スポンサー料」や「マーチャンダイジング料」である。第四の顧客は「行政、自治体」である。この顧客は「地域の振興」や「文化の振興」「教育的な目的」「健康の増進」などの成果、便益を求めて対価を支払う。ただし、必ずしも直接キャッシュでは負担はしない。最大の負担は、ゲームの生産の場である「スポーツ施設」の整備である。

 

売り手としては、「所有者、株主、事業者」と「監督、選手などの競技関係者」の二者が存在する。スポーツは社会の中で関与者(ステークホルダー)が多岐にわたり、多様な利害関係を取り結んでいる。「ステークホルダー型」の経営とは、「株主中心」主義的な経営に対比してできた概念で、簡単に言えば「全ての利害関与者に配慮して経営せよ」ということである。




長嶋茂雄、巨人終身名誉監督!!

 日本人の誰もが好意的に受け入れてくれる存在は非常に少ない。キャラクターで言えば、ドラえもんやサザエさんといったところか。企業では、日本のリーディングカンパニーであるトヨタなのかもしれない。では、人となると誰だろう。長嶋さんは、そういった存在になれる数少ない人材の一人だろう。

 東京六大学時代からV9、メークドラマまで幅広い世代間の話題に事欠かない。さしずめ、最近ではアテネの「長嶋ジャパン」といったところか。

 7月3日の巨人対広島戦に長嶋さんが観戦に訪れた。アテネオリンピック前に脳梗塞で倒れて以来、1年4ヵ月ぶりの公式の場での登場だ。「ミスター」がスクリーンに映し出されると、球場内は割れんばかりの歓声と拍手で埋め尽くされた。巨人ナインも初回の守備につくと、帽子を取って一礼。長嶋人気の健在ぶり、偉大さを改めて見せつけた。

 しかし、長嶋ブランドに頼りすぎるのはいかがなものだろうか。球界、巨人とも長嶋ブランドを最大限に活用してきた。アテネオリンピックの際、長嶋監督不在にもかかわらず、「長嶋ジャパン」で最後まで戦い抜いた。「長嶋監督のために」を冠として、選手は一致団結、懸命に戦った。しかも、銅メダル獲得後、長嶋さんから選手に向けてのメッセージが送られるというドラマ付きだった。

 巨人も節目節目で長嶋ブランドへ依存してきた。93年の巨人監督復帰はJリーグ人気に対抗するため。現在、巨人の視聴率は低迷。巨人の運営を支えてきた放映権料の見直し論にまで発展してきている。また、清原以外のスター選手は不在。その清原も西武から移籍、生え抜きとはいえない。おまけに今年も成績は振るわない。球界再編騒動以降、巨人は軋みが目立つ。

 長嶋さんは今後も野球界のために、病魔と闘いながらも奔走してくれるだろう。それに応えるためには、球界,巨人とも新しいブランドを育成しなければならない。そうでなければ、長嶋さんの思いは報われない。逆風下の今が正念場だ。