日本国憲法には、国民の三大権利と三大義務というのがあります。
今さらなんだというお話しですが、そういえばこうした話は、
最近あまり聞かれないな…と、ふと感じたしだいです。
三大権利は、生存、教育、参政
三大義務は、勤労、教育、そして納税です。
こうして並べると、権利と義務は表と裏、一体といった感じがします。
生存するためには働きましょう。
教育を受ける権利の土台は義務教育です。
そして税金の使われ方を、一票で評価する。
例えばこんな風に読むことができます。
これが1947(昭和22)年5月3日の理想です。
いま国が豊かになって、権利も義務も強調されなくなりました。
生存が脅かされることは表向きありません。ほとんどの人が大学まで行きます。
天下泰平なので、選挙にいかなくても困りません。
三大権利って権利なのかな?!というほど言葉が希薄さを感じさせます。
これを平和ボケと言ったのでしょうが、今では平和ボケも死語かもしれません。
このように権利の意識が薄れると、義務も同じようにバランスしますね。
働かなくてもよい人生を選択しようとする意識が強くなり、
教育を受ける意味も、必要性も見いだせなくなり、
社会の構成員であるとの自覚がなければ納税意識も育ちません。
いつの間にか、日本は、こんな風になってしまいました。
憲法に込められた権利と義務は、
国民の在り方を示す骨みたいなものですが、その骨がなくなったら…
国民なんて、いなくなってしまいますね。
移民、ジェンダー…誰も置き去りにしない社会…
これらは国民不在の議論なのだなと、憲法を読んで気づきました。
憲法に立ち返るのか、憲法が古いので書き換えるのか。
国の在り方を考えていかないと、親子の会話もできなくなるな…
5月3日を前にして、そんなことを思う日々です。
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