「お金ができたら、社会に貢献しよう。」

資本主義に浸かりすぎたために、日本人はそんな意識になってしまったそうです、

例えば大谷選手が、子供たちにグローブをプレゼントした。

英語塾とコラボして、留学制度をプレゼントした。それはお金持ちだからだ…

そんなさもしい発想しか湧かなくなってしまったといいます。

しかしそういうものではないのかな…正直、そんな風に思いましたが、

つまり、私も資本主義に浸かっている一人だということなのだなと理解しました。

この違いが判る人は、資本主義以前から生きて来た方か、

資本主義をよほど学び、脱却した人なのでしょう。

 

この方がいうには、資本主義以前の日本は、

「贈与」という経済で社会が成り立っていたというのです。

互いに与え合うという経済です。

社会の構成員である皆が家族という思考でしょうか。

実際の家族で考えればわかりやすいです。

子どもを躾けて、子供から対価をもらう人はいません。

家族のためにご飯をつくる。ご飯を作ってお金をもらう人はいません。

傍を楽にするのが仕事だからです。

ですから日本人は仕事の量をいとわないのです。

むしろ、仕事をすればするほど傍が楽になる思うので、喜びが湧くのです。

相手も感謝してくれる、よし私も何かお手伝いしよう!という心になる。

 

ところが西洋文化に洗脳されて、仕事が、労働になってしまいました。

社会的家族の一員が、ある時から、労働者になってしまいました。

傍を楽にするために働くのではなく、自分のために働くようになってしまった。

利他よりも、自利が強く前に出されるようになったわけです。

自分のために働く代償は、お金です。

心がお金に向いてしまったので、笑顔、感謝の心が見えなくなりました。

ということで、お金が、日本人の伝統と文化を破壊した…

今日はそんなお話しを伺いました。

 

お金が無くても、昔の日本人は、社会に貢献できたのですね。

行為そのものがすべて「贈与」。贈与がお金である必要はまったくない。

ここに戻ることはできないものでしょうか。

 

さまざまな側面で、制度疲労を起こしている日本社会です。

精神と馴染まないことを80年、150年とやってきたことが、

制度疲労を起している本当の原因かもしれません。

この問題、引き続き考えて参ります。素晴らしいきっかけをいただきました。

 

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