2024/06/12 自分にありがとうを言う時 その3 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2024/06/12

💠自分にありがとうを言う時💠その3

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

横浜から沖縄への引越しを2日後に控えたその日、ギックリ腰のために行ったクリニックの待合室で脳卒中を起こし救急搬送入院となった昨日今日の主人公。

左利きのその人は左半身付随の身を病院のベッドに横たえ、思い浮かぶままに己れとここまで関わってきてくれたダンナ、両親はじめたくさんの人たち、何よりもどんな時も自分を見捨てず嫌わないでくれた何ものかへの謝りと感謝の日を過ごしていた。

そうしたある朝目覚めると、動くことはないと担当医から告げられていた利き手の左手が動くことに気づく。左足も同様。

え?何が起きた?と思っているところに定時の院長回診。

院長先生は、型通りカルテを見ながら入室。そして動かないはずの左手を振りながら『ハ〜イ!』と微笑む彼女と向き合う。

彼女を見る院長先生は、手に持ったカルテに目をやり、もう一度彼女を見、持っていたカルテを床に落としてしまった。

そんな、そんなはずがない、彼女の左半身はどうやったって動くはずがない。
カルテにはドイツ語か何かで、彼女の症状についての絶望的な、すべての望みを断つような記述があったのではないか。

彼女はどこまでも明るく、何事もなかったように手を振り続けたが『検査だ!検査だ!』と叫びまくる院長先生の指示によってその後さまざまな検査を受けさせられることになる。

結果。

担当医は診察室で彼女と向かい合い、こう述べた。

この言葉は医師として使いたくないのですが、奇跡が起きました。
あなたの脳には、卒中を起こした跡もありません。
早くここ(彼の勤務する病院)から、出て行ってください。

暴れて仕方ないとか、入院費の未納とか、そんなことのカケラもない彼女に告げられたのは、病院から出て行け、の一言だった。そこに退院という言葉は使われてなかった。

この日までの彼女に施されたのがどのような治療だったかは、わからない。

けれど、脳卒中と診断を下し、それなりの治療計画を立てていただろうに、病院側からすれば治療費を請求するようなことを何もしていないのに、脳卒中を起こした跡さえないこの患者(と言っていいのかどうかもわからない存在)は一刻も早く病院から出て行ってもらうのが最善、と判断したのだろう。

言い様によっては、彼女が搬送されて来た時からのことはすべて狂言として訴えたいくらいのものがあったかもしれない。

それくらい病院にとってはあり得ないこと、あってはならないことだったのだ。

退院証明は出たのかな?なんて思ってしまった。

ここにもまた、自分の体に向かって言い続けた『ありがとう』が、治るはずのないものを治した現実がありました。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️私たちは自分を治す力を持っている

今日もワクワク絶好調❣️

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