2024/06/11 自分にありがとうを言う時 その2 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2024/06/11

💠自分にありがとうを言う時💠その2

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

その2
ギックリ腰の治療のために行ったクリニックの待合室で卒中で倒れた女性。

それはいくつもの〆切に追われ、そのさなか横浜から沖縄への引越しの準備をしている時の出来事。

寝食もままならないまま、いよいよギックリ腰のためにまったく身動きできない状態になって、病院に行った。

治療が終わり、会計のために待合室にいるその時、彼女は倒れ救急搬送、入院となった。

救急搬送される時、聴覚には異常がないのか『若いのに気の毒ね〜、脳卒中だなんて』という声が聞こえたという。

気づけばそこは病院のベッド。左半身不随の我が身。何も考えられない中、一つだけ願いが叶ったと思ったという。

とにかく寝たかった。
今その願いは無限と言っていいほどに叶えられている!

こういう思考をプラス思考というのかな。

しばらくしてこれまでのあれこれが頭の中を巡る。

とにかくいつもがんばらねば一つで自分一人を叱咤激励してきた彼女、ボロボロの自分に謝らねば、と思ったという。
家族両親始め、関わって来たすべての人たちにもどんなに迷惑をかけてきたのか、一人一人に謝らねば、と思ったという。

自分の体には頭の先からつま先まで『脳さん、ごめんなさい、細胞さん、ごめんなさい』というように。

それをなん度も繰り返して眠ったある日、夢の中で『それでも(どんなにボロボロに扱われていても)ボクたちは、あなたのことが好きなんだよ』という声が聞こえたという。

そうなのか、そうなんだ、いついっとき振り返ることもせず、ひたすらがんばらねば一つで叱咤激励ならともかく、叱咤叱咤の連続だった自分のことを彼らは嫌うこともせずに好いてくれていたのか。

謝りの涙は感謝の涙に変わった。

そして、利き腕の左の動かない体になったけれど、生きているだけでいい、左半身が元のように動いても動かなくても、どっちでもいいという気持ちになったという。

動くことや動かないことはなんでもないこと。それより今ここに生きていること、それだけで御の字、そう思った時、動いても動かなくてもどっちでもいいと思えたのだという。

どれくらいの月日、彼女が『ありがとう』を言い続けたのか。

そうして目覚めたある日、動かないはずの左手が動くのを発見。

え?

絶対動くことはない、と医師から言われていたけど?

でも、ほら、私の左手、動いてるじゃん。左足も、動くじゃん。

この後、彼女の病室には、定時回診のため医師が登場する。(この項6/12につづく)

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️人間には治る力がある

今日もワクワク絶好調❣️

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