❤️スゴい須永の今日から美婆トレ❤️
2024/05/17
💠ソーサー💠その5
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
ある日、新幹線を乗り継いで知り合いに会いに行った。
単なる知り合いではない。
年下でありながら、私の心と体を思って折々にたくさんの情報を届けてくれる知り合いだった。
令和の今、会えずとも連絡の手段はたくさんある。でもやっぱり、顔を見て体温を感じながらの会話に勝るものはない、と思っている。
そんな、日頃なかなか会えない大切な知り合いに会いに来たのだった。
会えなかった時間を取り戻すほどに話したいことがあり、今、向き合っていることについて、聞かせてほしいものもあった。
なんでも安心して話したい。そして聞きたい。
それだけだった。
そして私の通された居間は、そこでこれから始まる楽しい、そして実りある会話にふさわしい落ち着いた居心地のよいその場所だった。
そんな場面に必要なものは、なんだろう。
何もなくていいと言えばそうだけど、もしそこに何かを出すとしたら。
コーヒー、紅茶、お茶の類はどうだろう。
いいよね。
その時は、ご主人がコーヒーを淹れてくれた。日頃から研究されているらしく、どうやろな、と言いながらテーブルに置かれたマグカップを見た瞬間、私の中にそのコーヒーはNGと判定されていた。
なぜ。
もう何年も前のことなのに、なぜか私の中で消化できないままになっている疑問の一つ。
ソーサーがなかったから。
マグカップだったからしかたないとは言える。
それは目に見えるもの。
カッコつけるようだけど、私はコーヒーを出す側の立ち位置みたいなものにこだわっていたように思う。
その時はわからなかったけれど、遠来の客をもてなそうと思う時、私ならコーヒーの味もさることながら、心和むような器や出し方、脇役たちを考えるだろうと思った。
ご主人の中に強くあるのは、本の通りに作ったものが果たしていかばかりなものか、研究者というか実験をくり返し、理想とする味、おいしい味がすべてであって、私がアレコレ思うことはどうでもいいことなのにちがいなかった。
ご主人は、昨日よりも今日、おいしいものを淹れて出すことが何よりのもてなしと考えていたのだ、きっと。乱暴にいえば淹れたコーヒーの容れ物なんてなんだって構わない、肝心なのは味、アジなんだよ、アジ、そんなあたりだろうか。
私は実験室に行ったとは思ってなかったから、そのもてなしはNGとしか思えなくてもしかたなかった。
いっそビーカーにでも入ったコーヒーなら、お、これは今日の試作ですな、なんて研究者気分で飲めたかもしれない。
そこには、もてなすもてなされるの関係はない。
そう、研究熱心なご主人は、遠来の客である私でさえも、我がコーヒー道を共に行く人間の一人としてしか見ることができてなかった。今ならわかる。
また、日々精進の試作を出すことこそ、ご主人にとっては最高のもてなしだった。
けれど、私の中にコーヒー道を極める協賛の意はなかった。
だから。
どんなにご主人がバリスタの本と首っ引きで淹れてくれても、私にはそのもてなしの意図は伝わらなかった。
そして、そのことが私の気分を害したのだ。
その時私の中でご主人のされたことはもてなしになってない、という意味で目の前のコーヒーを『おいしくない』と決めつけたけど、彼は彼なりにもてなしてくれていたわけだ。
ただ、彼の立ち位置はカフェの店員ではなく、商品開発研究室の研究員だったってこと。
その時の私はカフェの店員からコーヒーを出してほしかったのだ。
そしてそのことは、ソーサー1枚のある無しに象徴されていた。
ソーサー1枚で人間飲む感じるおいしさの判定が変わってしまった、というお話でした。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️コーヒーブレイクって
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠