2024/05/18 コーヒーを飲む時 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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 2024/05/18

💠コーヒーを飲む時💠

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

私の中でコーヒーを飲む時というのは、コーヒーブレイクという言葉の通り、しばしの休息を得るためのものであり、気分転換、リセット、次なる何かの行動をいい気分で始めるためのもの、そんな意味がある、と思っている。

だから、そこに出されるコーヒーなりお茶たちは、そこに流れる居心地のよい時間に添える静かな脇役という位置付け。

だからこそ、ソーサーが必要であり、目や耳に障るもののない状態が好ましい、と私は思っている。

二十年ほど前の東北自動車道花輪のサービスエリア。

おしゃれでもなんでもない食堂で出されたコーヒー。

そこで飲んだコーヒーのおいしさが今でも思い出される。

舌に感じるおいしさだけではなく、そのコーヒーを飲んだ時のホッとするような感覚、おいしさが全身に染み渡るような、そんな感覚があった。

というか、盆に乗せられたコーヒーは、テーブルに置かれた時点で、さあどうぞ、お飲みください、と私を誘った気がする。

それはあまりに擬人化が過ぎるかもしれない。

それに、テーブルに置いたのは店員ではなく、セルフサービスだから自分自身だったと思うけどね。

でも、目の前のコーヒーを見た時、飲みたい、という気持ちが自分の中にあった。

そしてそのコーヒーは、私の期待をいい方に大きく裏切るおいしさだった。

あの時のコーヒーが私の中のコーヒーブレイクの原点なような気がする。

コーヒーを飲む時、それは命の危機に瀕しているような時とはちがう。

とりあえずの衣食住が満たされている中で、次々とこなして行くアレコレたちを、いくらかでもよいものとするために、いくらかでもいい気分で取り組むためのコーヒーブレイク。

頭や体やもしかしたら魂にこびりついた汚れ、ホコリ、スス、そんな目に見えない厄のようなもの、そんなものを払う時のちょっとした行動、それが私の中のコーヒーブレイク。

ちょっとお茶にしようか、そう思う時、自分は魂の階段をわずかではあっても、また一段、上がって行く気がする。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️いい気分で

今日もワクワク絶好調❣️

  💠あなたに後押し💠須永商会💠