2024/05/02 家、または家路 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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2024/05/02

💠家、または家路💠

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

ある保育園長さんの記事。

保育園が子どもたちにとって家なようなものでありたい。それが彼女のコンセプトのようだった。

彼女の言う家とは、帰りたくなる所、とのことだった。

あんまりその保育園の家度(居心地のよさを表す尺度のようなもの、この通信の中だけでしか通用しないかも)が高くて、お迎えに来た保護者を困らせては本末転倒だろう、なんていうのは要らぬ気遣い。

そんな保育園になら、どんな保護者も安心して通わせることができるだろう。

家とは居心地のよいところ、帰りたくなる所。心身の疲れが回復されて、次への気持ちを整えてくれる所。そんなところだろうか。

家路をたどるとは、だからどんなに疲れていても一刻でも早く、と自分を励まして足を運べるもの。

学校で働いている頃、誰に追われているわけでもないのに、玄関を開けて家に入り、鍵を閉めた瞬間、あー、帰って来た、という安堵感のようなものが毎日あった。

けれど、もし帰り着いた家には家族がいて、その家族とうまくゆかないことがあったらどうだろう。

平等な話し合いのできる家族なら、事あることがより居心地のよい家族への道筋となるかもしれない。

でも何か、どうしても相入れることのできないことがあるとしたら。

そこは居心地のよい場所にはならない。

ガマンするか家を出るか。
家を出るだけの力が備わるまでガマンするか。

家というハードの中で家族というソフトと暮らすのが多くの人間。

幸せになるために生まれて来たのだから、家族と暮らす家は帰りたくなるところであってほしい。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️居心地のよいところ、家

今日もワクワク絶好調❣️

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