2024/05/01 私は『作るだけ』 その6 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2024/05/01

💠私は『作るだけ』💠その6

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

私がたまたま目にした記事の主人公は90歳を超えてなお現役の看護師であり、後進の指導もされてる方、看護学校の時の同級生のお兄さんと結婚されている。

このお兄さんが素晴らしいと思った。

このお兄さん、未来の夫は、結婚して共稼ぎをするにあたって、こう言ったという。

家の事は、最低限のことはやるけど省略できるものはできる限り省略しよう。
炊事はぼくはできないからきみにやってほしい。
あとの家事は手の空いている方がやればいい。

正確でないところもあるかもしれないが、概略このようなことだった。

このお兄さんの素晴らしいところは、有言実行、この結婚前の約束をしっかり守り通したこと。

手の空いてる方がやればいいって言ったよな、オレは手が空かないんだよ、なんて一度も言ってない、と思われる。

何より、彼女は看護の仕事が好きだった。そのことを夫はよく理解していたのだろう。
仕事、それも好きな仕事ならやり甲斐もあろうというもの、そのことに男女差はない。
今時なら、個人差はない、と言えばいいのだろうか。

家の事、特にも食事の支度と子育ては、どちらもその時しかできない、時を待てない事だから、時に仕事以上に優先される。

産む性を持っているからか、子育て担当は母親になりがちではある。
だからこそ、彼女が仕事に行けなくなりそうな時、夫婦は自分たちの子どもをどうやって見るか、そのたびに相談して最善策を考え実行していったように思われた。

共稼ぎの夫婦なら、たとえパートであっても、給料をもらう仕事をしている相手への尊敬があってほしい。

この立ち位置とか、考え方は、職業に貴賎なく、男女平等、互いを尊重する上に成り立っていると思った。

互いが仕事に誇りを持っている姿をうれしく思える気持ちも見える。

あなたは何もしなくていいのよ、と脱いだ服もそのままでよしとするような母親のもとでは育つと思われない感覚。

目立たないだけで、家庭の中の家事の平等、ということは、やってる家では当たり前に昔からされていることかもしれない。

でも、育つ時には見てこなかったことでも、いざ結婚生活、共同生活を始めようという時、起こるべきことを想定しての平等な話し合いを持てるかどうかは、それまでの育ち方、そして学んできたことと関係あるのかもしれない。

私の周りでは、この度のかつての同僚のところだけしか、わからないけれど。

家事の好きな人はバンバンやればいい。そのことがストレス解消だったり気分転換になったりすることはある。

手作りの料理を否定しない。

でも、添加物てんこ盛りの弁当その他、買ってきたものをそのまま並べる、温めて並べる、それも否定しない。

疲れ切ることなく、同じ食卓を囲んで食べながら会話のある家庭の方が楽しいだろうと思うから。

何を優先するのか、個人のレベルでも家族のレベルでも多様化していることも否定しない。

でも、家族の中のいつも同じ人間だけが何かのストレスを抱えるのはまちがっている。

なぜなら、家とは心身を休め養い次へのやる気を生み出すところ、と思っているから。

それは、私のような一人暮らしの人間も同じ。

共同生活者がいるなら、その存在もまた、食べ物ではないけど、明日へのやる気につながるものであってほしい。
つながらないことがわかっているなら、家とか家族から離れた方がいいんじゃないかな。

諸事情により離れることのできない現実がある時、相談する人があれば相談する、それもなければガマンする。
人生には必要なことしか起きない、と自分に言い聞かせながら。

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️家と家族は心身を休めるためのもの

今日もワクワク絶好調❣️

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