なぜか急にさみしさが襲ってくるときがある。
そんな時、一分一秒がものすごく長く感じられる。まったく時間が進まない。
こんな時がある。それは事実である。
ここからは私の妄言である。
少し待てば、きっと寂しさは通り過ぎて行ってくれると頭ではわかっている。
そう自分に言い聞かせたとしても思考を巡らせるだけの暇がある以上、通り過ぎてくれるのを待つのは途方もないことのようにその時点では見えてしまう。
待てば終わるはずなのに。一瞬我慢すればいいはずなのに。
女の人が今のパートナーを不満に思うこと以外で浮気をしてしまうときってこういうときなんじゃないかな。
さみしさに抗えない。
かまってくれる相手がそのさみしいが通過しているその時にたまたま居合わせてくれなかったとき。
自分の中でのどうしようもないさみしさと、相手の負担になられてはいけない、めんどくさいと思われたくないという自制心が綱引きをしている状態。
相手に今は寄りかからないでいなきゃという抑制が強ければ強いほど苦しい。
そんな時、かまってくれる相手がたまたま現れたら、自分でかけた絞首をほどく反動かのようにとても快楽が強くなる。
ふと寂しさという感情の逃げ道ができてそのさみしさが快楽という感情へ形を変える。
少しほかの男の人が話してくれるだけで寂しさが一瞬の快楽へと姿を変える。
んで、大体こういう時に限ってパートナーから連絡がきたりすると「なんでよりによって今なの!私が寂しい時には構ってくれなかったのに!(タイミングの悪いやつだな)」となりがちになるのが恋愛ドラマとかでよく見かけるパターンだと思う。
しかしこの現象はよくあることである。”なんで?”ではなく”妥当なタイミング”だと思うのである。
宿題を今やろうと思ってたのになんでよりによって今「宿題やったの!?」って聞かれなきゃいけないんだよ。みたいな『なんでよりによって今なの!?』現象とでもいったん名付けておこう。
この現象の裏にはきっと自分の時間への捉え方が大きく作用していると思う。
つまり、今までの抑制や圧力、ストレスといったいつもは感じないはずの感情を持つことによって、いつもは感じないはずの時の流れが発生するというものである。
女の一瞬の快楽の話でいえば、いつも感じている何らかしらの緊張状態や自己抑制によって、感情の逃げ道がある時間はその感情の反動で相対的に存在感のあるものとなるのだろう。
(この快楽があるんだろうなということは否定しないが、それを行動に移すかどうかはその人の美徳がどこまでかっこいいかによると思う。)
そんな寂しさに襲われないようにするにはやはり、普段から多少は忙しくしていることが一番なのかなと思う。また、襲われてしまった時には、自分の信頼すると決めたパートナーの言葉を思い起こしたり、いざというときの抑制された感情のはけ口(友人や従妹など)を事前に考えておくことも大切なことなのかなと思った。
やっぱり峰不二子はつよい。
後書き
7月はなかなかに痺れた。大学という名の戦闘を終えて帰路についたのに、月4投稿を掲げてしまった以上未だこうして息をつくことが許されていない。やはり痺れるね。8月は夏だけど冬眠しよう。

