おぢのキモさ【考察】 | Benjamin

Benjamin

わたしのあたまのなか。

 おぢきもい。←わかるわかる。

 女の子だと一度は感じたことある感覚なんじゃないかな。


 なんできもいのかを少し言語化してみた。(←暇かよってなw)

 先日エレガント人生さんの「自己肯定感が高すぎるおじさんを適当にあしらうパパ活女子」という動画で、たった8分見ただけなのにホラー映画2時間分くらいの精神的疲労を負う体験をした。これがおぢのキモさを言語化するに至ったきっかけである。


結論からいきましょう。
 おぢへのキモさの根源、それはおぢの感情の処理までしないといけないというところにある。

 「PJという名の介護」というコメントが書き込まれていたが、そこにすべてが詰まっている秀逸な表現だと思う。


 パパ活でのパパとは、今まで女性経験が全くありませんという人は少数のように思う。むしろ20代や若かりし頃は一般的な恋愛もそれなりに経験してきたんだろうなと思う人のほうが多いのではないかと想像する。
 その今までの経験や女性たちがキモいおぢというバケモノを生むには一助となっているような気がしてならない。


 ”自分の感情と理性の見境が付いていない愚かさが露呈していると女側が感じること”これがキモさの根っこにあると思う。

 理性で自分の見え方や立場をわきまえていればいいのに、自分のモテた経験や若い女の子とイチャイチャしたいという感情が理性の制御を上回ることによって女の子はオエーーーーっていう感情を抱くのだと思う。

 (確かに感情がないとお金が動かないわけで女側もお金が欲しくてやっているのであれば感情によってしか恩恵は受けられないと言ってしまえばそれまでだが。それでもより一層キモいがブーストされる原因が感情であることもまた事実なように思う。)


 逆の視点で考えてみると、ちゃんとおぢの理性が上回って、あくまでも商売女と客と割り切ることができていれば、女の子も良客として扱ってくるだろう。
 現実世界においてもイケおじ枠に分類されている人はほぼ100%女の子に自分の感情の部分を見せていない。(ここで大事なのは、感情=下心がないわけではなくあくまでも”見せていないことが一貫されている”ことにある。)



 結局大人とは何かみたいな話題へ発展しそうになってきたが、自分の感情は自分でコントロールし、処理できるようになることが成熟した大人になるということであり、自立するということなのではないか。それができないで感情(≒下心)を露呈してくるから厄介で周囲を不快にする。
 これはメンヘラが男の人から嫌われるという構図にも転写することができるだろう。
 さらには職場のセクハラやキモいおじさんたちすべてにも通ずる話であるように思う。


 話を戻すと、お金の対価以上の感情の処理を突き付けられたとき、女の子はオエーーーーーーーーーーっとなるのではなかろうか。
 (そのオエーーを覆せるのは愛の力のみ。要するにおぢには無理。いい関係を保ちたいなら感情は出すことができません。悲しいですね。それがお金で見せかけの事実を買うということです。)




PS 有言実行のために1日2本書いた。
さすがに脳に糖分が必要かも。