Gardianinho~polisherman diary~ -3ページ目

Gardianinho~polisherman diary~

サッカー・長万部・モノ

土曜日の午前中、私は一児の父になった。

妻は、母になった。

弟は、叔父になった。

親は、祖父母になった。

 

家族が増える、というのは色々な変化をもたらす。

生活は子供中心になるし、一個人としては責任が増える。

 

・・・と色々偉そうなことを冒頭で書いたのだが、実はまだ我が子に会えていないのである。

 

当初から里帰り出産を計画しており、緊急事態宣言が出る前には実家へ帰っていたし、最近では里帰り予定の方の事故が話題になったが、単純に2か月以上妻とは会えていない事実だけ、ここに記しておく。

 

このコロナと戦い始めた時代での出産ルポを、自分なりにまとめておこうと思う。

 

 

【コロナ対策】

これは地域どころか病院に依存するので、一概に言えないが、妻の出産した病院は、どちらかといえば厳格な処置をしていた。

簡単に言うと、県外からの人間の扱いは海外からの帰国者と同じである。

県外からの来訪者は県内に入り2週間後、感染のない場合のみ接触が許される、というもの。

普通の社会人では、2週間以上の休みを取って、かつ外泊というのは至難の業である。

というわけで、私自身、臨月の妻と会うのは諦めざるを得なかった。

 

当然、立ち合いもかなり厳しい状態で、立ち合いどころか面会も禁止。私どころか義母も会えないのである。

里帰り出産のメリットは何より“近くに母がいる”のはずなのに、今回の里帰り出産に関しては首都圏から田舎へ行くことへのコロナリスク回避のメリットしかなかった。

 

【立ち合いが無かったこと】

上述したが、面会どころか立ち合いもしていないので、現時点で自分が書けるのは、状況のみ。

立ち会えない以上、病院から電話がくる=緊急事態なので、ある意味便りが無いのがいい便りな状態であった。当然、陣痛のしんどさで妻は私と連絡を取る余裕がないはずだし、病院もzoom中継などしてくれるわけではない。病院に行く、の連絡からの時間は結局5時間もなかったのだが、体感的にはとても長いように感じた。リビングと廊下をうろうろし、とにかくぼーっとしていた。あまりに長く、連絡待ってるよのラインを送ろうとしたちょうどその時に写真が送られてきて、ただただ涙が出た。

自分の無力さとか、かなり無念な気持ちもあった。

 

【後日談】

あまりに状況がわからなく、かつ妻の言葉も足らずな部分や心配さもあり、その日の晩に助産師に電話をつなげてもらい、流れを事細かに聞くことが出来た。第三者からの大丈夫です、の一言はとても心強かった。

 

 

 

今日は一旦ここまで。次回は退院&役所手続き編??

 

かれこれ、そろそろ帰国して一年。
小面だったり火鍋の味は流石に忘れかけている。

先日、嫁とコメダ珈琲でモーニングをした。
なんて事ない普通の週末だが、嫁が初デートで行った以来だね、と話を切り出した。

時に、お店だったり、そのメニューだったり味で、情景を思い出すことがある。

ヤマザキの薄皮あんぱんといえば、サッカーしていた頃の公式戦の日の朝メニューだったし、東洋水産の焼きそば弁当といえば、長万部での日々だ。

最近で言えば、梶谷のシガーフライが岡山での日々だし、スタバのホットのカフェモカは重慶での日々である。

カフェモカだけは違和感があるだろうから説明せねばなるまい。
重慶時代、毎日異文化の中生活していく中で、週末は少しでも日本感がある時間を過ごした。その中の一つが、ゆっくりとコーヒーショップで時間を過ごすことだった。最寄りがスターバックスであり、コーヒーの発音よりもモカの発音の方が店員に通じやすいという理由で、なんとなくいつもモカを飲んでいた。なので、スタバでモカ片手に過ごす時は、重慶WBCの地下のスタバを思い出すのである。

さて、夫婦で同じ屋根の下で生活し始めて間もなく一年。嫁の味、がそろそろわかってきたなあ。


ほぼ毎年年末年始にはブログを書いているはずなのに、何を思ったか今回は書き損ねてしまった。挙げ句の果てには先週の週半ばに高熱で久々のダウン。インフルではなかったのが救いだが、身体にはそれなりのダメージが残っている。
子育てに関する知識を入れる間もなく時間だけがどんどん過ぎてく日々である。それだけ充実している、と言い換えられなくも無いが。



さて、今年の箱根駅伝でも話題になったナイキのシューズ。いよいよ世界陸連がストップをかけるとの噂が出てきている。

個人的な感想だが、これには反対。過去の水着のレーザーレーサーと比較しても、異なる点がいくつかある。

一つは、そこそこの金額で世界中誰でも着用出来る点。
レーザーレーサーはかなり高価であり、その着圧の高さから1人で着用ができなかったと言う。一方ヴェイパーフライは3万で購入出来る。少し高価であるが、今日のサッカーシューズもトップモデルはそんなものである。

もう一つは、エキップメントが記録を作ることの否定はないと思っているから。レーザーレーサーもこの点については共通認識。
サッカーでは今尚発売されているプレデターシリーズは当初ゴールを増やすためのスパイクとしてFIFAがadidasにお願いしたものだ。エキップメントの進化で動きやすくなった、早くなった。そんなのあってしかりでは無いのかな。当然、人間の能力限界を超える様な道具はダメだけど。


オリンピックも近いことだし早期な結論を願う。
そんなことより、早く風邪を完治させねば…

中国勤務から帰国して、日本で働き始めてからあっという間に4ヶ月が経った。


いよいよ嫁と生活をし始め(新婚生活?)、生活は一新。給料の下がり具合、と言っても元のベースに戻っただけだが、にも慣れつつある。


中国に行っている間に、世間はかなり変わったらしい。

いわゆる働き方改革である。


休日出勤後の代休が義務付けられた上に、有給を取れと指示。
以前の適当な休暇管理とは大違いで、面を食らっている。
個人的には、倒れん程度に働く分にはいいやんけ、と思いつつもそうはいかない世の中らしい。


なんとなく代休だけで過ごしていたら、有給をとれ!とお叱りを食らってしまった。

リハビリと新職場に慣れるのに別にいいやんけ!とも言えず、渋々有給取得計画を出す羽目になってしまった。


さて、新職場と日々の思いを徒然なるままに書こうと思う。


西の旧職場とは大きく違って、まあ無法地帯のところに来てしまった、というのが正直なところ。

まさか自分が上司の代わりに仕事をこなしてしまう、という恐ろしい絵図になるとは思わなかった。

本社、中国と経験したことによって、あらゆるものの見方を得られた自負がある。
それのまとめとして得られたのが、きっと働き方だったのではないかな、と思うのが今日この頃である。

現場との向き合い方、仕事への取り組み方、、、知識以外の面についてとても学べた。
それだけに、日本に帰ってくると、上司が如何に適当な事をしているのかが目について仕方ない。自由気ままに仕事をした上に荒らしまくって残飯処理は自分の役目。休日に出勤すれば空いた時間は何もせずに携帯片手にイヤホンをし動画を見ているオチである。
経験値は別にしろこんな人より給料が低いのか…とショックを受けている。


これ以上書くと愚痴のオンパレードになりかねないので省くが、帰国してからの仕事については、信念がある。



一つは若くして中国行ったやつは違うんだ、と思われたいという気持ち。
そしてお世話になった人たちに、みなさんのおかげで今レベルの高い仕事ができている、と示すための恩返し。

この二つが大きなモチベーションである。

昔出張ベースで中国に行っていた頃に、現地の人に言われた一言が今につながっている。

『中国に行った人はみんな偉くなっている。だからお前も早く偉くなって、俺らがお前を育てたと胸張って言いたい』

彼にとっては酔っ払いの戯言だったのだろうが、自分にとっては大きい一言だった。もちろん自分も酔っ払いだったが。

小さい会社だけに、しっかり働けば数個上の先輩方は抜ける、これがモチベーションである。



そして帰国してからの職場では、最初はギラついた目で現場を回っていたために怖くて怪しい人というイメージを持たれたらしいが、今は仲良くやっている。何より仕事は楽しく、だ。楽しくやっていればやがて成績は出る。



今の感覚を忘れずに職務を遂行したい。ただ、上の仕事の尻拭いを除いて、だが……






気づけば新時代の到来だった。

世間は10連休だったが、個人としては4月30日が出勤だったので、3連休+6連休だった。

まあ、休みとしては長すぎた。
とは言え、久々にサッカーの試合に出て、甥っ子たちと風呂に入って、鎌倉に大仏を見に行き、弟と酒を飲み、一般参賀に行き…と、まあ旅行はせずともそれなりに充実した連休ではあった。

嫁さんに一生に一度!と言われ行った一般参賀だが、行く価値はあった。予想以上に暑かったことを除き、自分が日本人であることのアイデンティティを感じたし、何故天皇が凄いのかが、上手く言葉に表せないが、感じるものがあった。
とにかく圧倒的なオーラが天皇にはあったし、雅子さまの黄色のドレスの美しさには驚愕。ガラスの反射で佳子さまがよく見えなかったこと以外はパーフェクトだった。象徴というぼやけた立場の天皇にはなるが、象徴と言われる所以はそのオーラからくるものなのだろう。

色々書きたいことがあるが今日はここまで。
続きは明日。