Gardianinho~polisherman diary~ -2ページ目

Gardianinho~polisherman diary~

サッカー・長万部・モノ

ついに?節目の30歳を迎えた。


特に変わりは無いし、何も無ければ少なくともコレまでの人生分働き続けなければならないと思うと、人生まだまだと感じる。


年末から一人暮らしになり、広い家に一人というのはどこか肌寒く、静かさの中の暮らしというのは中々慣れない。

あちこちに見える子どもの跡や妻の小道具が尚更孤独感を加速させる。

とはいえ、我慢?してきたサッカー三昧の日々も悪くない日常である。



ここ数年、SNSが(根拠のない)情報源として確立されてきた今、日々色々な情報を吸収出来る。


普通のサラリーマンとして、最近感じるのは上の世代が『コレからは君たちの世代が〜』なんてよく口にするが、それは時代についていけなくなった人間の戯言でしかなく、結局権限を持つのは上の世代なのだから、少しでも時代をシェアしなければならない、ということ。


なるべき内容の説明に加え時代背景を盛り込む作業は飽き飽きするし、古めかしきべき論でしか仕事が出来ない上の世代はもはや老害でしかないな、と。

今までこうだったから、なんて経験論だけではついていけない時代の流れの早さに気づいて欲しい。そこで経験や知識は裏切らず助けになるのだから。


オリンピックなどのコンテンツの影響もあるが、30を迎えて改めて向上心とは何かと日々見つめ直している。

仕事においてはそれは好奇心でしかなく、製造業に身を置く者としては、今まで会社になかった価値観や新たなスタンダードを外で学び中で反映させること。

井の中の蛙とはよく言うが、自らの経験だけで周りの人間を動かす時代は終わるべきなのだろう。


中国時代、彼らの新しいものに対する吸収力には感銘を受けた。保守的な日本はおそらく今後彼らの変化についていくことは難しいだろう。

だからこそ、べき論と時代の流れの乖離を掴み、アップデートさせて仕事に落とし込む。


30代、これからの仕事は時代に合わせたスタンダードを落とし込むことに注力したい。


節目の日を家族と過ごせなかったのは残念だが、縄跳びをブンブンさせ、スコップを器用に使い、鼻ほじりながらビデオ通話に登場する我が子に一種の安堵を覚えながら、一人の生活を充実させようじゃないか。

お盆明けぐらいから会社でもポツポツ、コロナ感染者が出るようになってきた。

クラスター発生というよりかは、1人出ては回復、1人出ては回復、のような感染源に繋がりのない感じ。

そんな中、自分は関係ないが同じ詰所を介する者同士の感染、即ち社内感染が発生。

自分自身も家は妊婦と1歳の長男なので気を使って生活していた。手指のアルコールは頻繁に、とにかく消毒。

そんな中火曜日朝に話した人が数時間後味覚不調を感じ同日昼に抗体検査で陽性。PCRやってないけどほぼアウトは確実でしょう、と。


流石に焦った。国のガイドライン『マスクを外した状態で15分以上の会話』には間違いなく該当しないが、感染者と明らかな接触があったのは確か。リスクを熟考し、妻に事情を電話した。俺自身の身の保証ができないのでひとつ屋根の下で過ごすにはハイリスク過ぎるという意見と妻の危ない人間を家に入れることは出来ないという意見で(珍しく)一致したため、その日は車中泊を試みた。

その晩、最近のコロナウイルスに対する情報を考慮して金曜日までに何も症状無ければ帰るという意見に対して妻は念の為PCR受けるべきという意見だった。結論、金曜日にPCRを受けて陰性を確認してから帰宅する、となった。

翌朝、流石に車中泊はしんどかった。仕事中も何度か頭が飛ぶ。堪忍して一泊5000円以下のビジネスホテルで過ごすことにした。会社の近くに宿泊したので朝がいつもよりゆっくりだったのは言うまでもない。

さて金曜日定時にあがりPCRを受ける。鼻の奥に棒を突っ込まれるのはいつも嫌である。とにかくむせる。

土曜日は仕事で時間を潰し、吉報を待つが結局連絡が来ず日曜日に持ち越し。妻から買い出し行けないじゃない!とお怒りメールが入り日曜朝はスーパーで買い物をし時間を潰す。

まだかな、まだかな、と呑気に車を走らせていると電話が鳴る。相手は病院。あれ、陰性はメールでお知らせのはずだぞ、と思いポカーンとしながら聞くと陽性です、と。

その後の自分は意外と冷静で、妊婦がいるという家の事情からホテル療養を希望したが空いてないとのことで実家と相談してお世話になることを決めた。

水曜日、保健所と電話している時にふとホテル空きないですか、と聞く。実家は水回り共用だし、出来ればお世話になりたくないのが本音だ。するとまさかの市外であればいけると思います、との返事。なんやねん!と突っ込みたくなったがお陰で金曜日よりホテル療養が出来ることになった。水回りを自由に使えるのはストレスの妨げになりありがたかった。

結局感染から10日間の中で自分の症状は軽い味覚嗅覚障害だけだった。ほぼ無症状だったといって良いだろう。


そして今、退所してこのブログを書いている。

今回の流れでまとめておきたいのは以下の点。


・現在(2021.9)では少し待てばホテル療養出来る可能性は高い。家庭内感染を防ぐためにとにかく保健所とやりとりすべき。

・自治体のレベル差はかなり大きい。住んでる自治体、実家の自治体、ホテルの自治体にお世話になった訳だが三者三様。とにかく自分で情報収集が必要。



そして感染して思うが、直近感染者が減っているというが嘘。無症状の人間は一般的には感染者の1割らしいが実際そんなことないと思う。今の保健所は感染経路の突き止めを行わず家庭内感染を防ぐのみだし毎日報道している感染者数なんか全く当てにならない。ただワクチンの効果はあるのだと思うが。


兎にも角にも家には迷惑かけた。今日から日常を取り戻していこう。



気付けば妻子と一緒に暮らし始めてから1ヶ月が経ち、年末年始の休みも終えた。

時折自分に見せる子どもの笑顔はそれこそ天使なのだが、未だ泣き止まなかったり抱っこ寝の後の布団タッチダウンに3連続失敗しギャン泣きさせたり、思うようにいかない日々が続く。

とは言え絵本の読み聞かせは基本的に静かに聞いてくれるし、妻目線だと全くなってないの一言だろうが、6ヶ月のブランクを考えてもこんなもんかという日々である。


先日放送された逃げ恥スペシャルはコロナ流行直前に出産を控えたみくりさんと育休、コロナ禍のリアルな所を過ごした平匡さんの話が展開された。
似た境遇だったので色々感情移入してしまったが、最初のスタートライン、即ち出産からしばらくの期間に一緒に過ごせたか否かの差はあるのだろうな、というのが感想であった。
津崎家はコロナ流行直前に出産、流行前から別居。自分自身は出産時点でコロナ禍であり、『コロナが怖いかわからない時点で出産を迎えた』か、『コロナは怖い前提で出産を迎えた』の差は受け取り方に差があるのではないだろうか(この話は全く妻には共感してもらえなかった)。
ここで書くと言い訳に聞こえてしまうのだが、スタートラインに一緒にいれば、そのあと離れた生活をしていても愛情が早く湧く、というか子ども自身も最初から父親の存在を知る中で生活がスタートする。一方スタートラインに同時に立てなかった場合は、子どもは知らないところからスタートする訳で、ある意味母子の出来上がった生活に踏み込んでいかなければならない訳で、ある種の難しさが伴うと思う。

自分自身出来上がったとこに入らなければならない訳で、そこには育児をしながら決まっていくルールは中々存在しない。妻のルールがか決まりなく絶対で、容易に変更出来る領域ではない。
そんな中で、ようやく何かルールらしきものを見つかりつつある今日この頃。

何より、夫婦が笑って過ごせないと子は笑って過ごせない。当たり前だが、それがそうなるよう日々の行いを心がけなければ。


社会人になってから、格闘技をYouTubeで見るようになった。
子供の頃はK1全盛期で、パンチ、キックの両方あってこそ格闘技だと思ってた。

しかし、マイクタイソンやタイソンヒューリー、そしてなぜかパンチが当たらないナジームハメドやロマチェンコ、を観ているうちにあれ?ボクシングって面白い?と思うようになった。
極め付けはミーハーではあるが井上尚弥である。

WBSSは感動もんだったし、ある程度規則性に則っているボクシングという競技は面白い。


格闘技には階級というものがある。
重ければパワー、軽ければアジリティ。階級が変われば同じ競技でも違うように見えてしまう。

彼らにつきものなのが減量。少しでも重い方が有利なのが鉄則だ(だからといってポッチャリさんに一度負けたジョシュアはいかがなものか)。

サッカーしかした事のない自分にとって、常に体重を維持する事がコンディション維持のコツだと思い込んでいた自分にとって未知の世界。

という事で、このお盆は家族にも会えず一人で暇なので、減量を試みることにした。

テーマとしては以下の通り。
・連休初日の体重を基準とし、そこから5%の体重を落とす
・達成後の褒美として、千葉市にある家系ラーメンの直系の店に行けることにする

そして、3日目の夕方にして早くも達成できた。
最初の体重が57kgだったので、5%だと2.85kgである。

短い期間で何が自分の身体に起きたか、簡単にまとめる。

初日

減量はランニングと食事制限がメイン。固形物はほとんど取らなかった。結果として1.5kg減量。
お腹周りの膨らみ方が変わった?ぐらい。きっと水分が抜けた程度なのだろう。
ちなみにランニングは10kmと5kmを1セットずつ。
食事はビタミンのために野菜ジュース、ホエイのために牛乳、ソイのために豆乳。あとコーヒー。

2日目

朝からランをしたのだが、まるっきし走れない。エネルギー不足によるハンガーノックだったのだろう。低糖質のパン、うどん、初日と同じ飲料。長風呂で発汗した。0.5kgも落ちなかった。

3日目

前日の失敗を糧にゆで卵など少しエネルギーを取る。
朝ランで残り0.5kgまでは行った。スーパー銭湯に出向き、サウナで発汗。さらに追い込みのスローロングディスタンスラン。これが効いて目標達成(ランニング直後)。口元が乾きヘロヘロになりながら帰宅したのは言うまでもない。
お腹の肉がなくなり、全体的に細くなった。



元の体重が57kgで3kg近くの減量は思った以上にしんどかった。
今回の減量で得たことは、、
・減量中もある程度糖質は必要。ガス欠になると減量そのものが行えない
・お腹の肉は意外と早く落ちる
・どんな手段を使っても、とにかく代謝をあげるのがカギ
・減量して身体が軽くなった感はイマイチわからないが、研ぎ澄まされた感覚になる
・自分の身体との対話が進む。いける、無理がはっきりわかる
・ダイエットはあるべき姿に身体を調節すること、減量は身体から少しでも無駄を絞ること

この辺だろうか。自分の体を知るいい機会になった。
さて、明日はラーメンだ!!

土曜日の午前中、私は一児の父になった。

妻は、母になった。

弟は、叔父になった。

親は、祖父母になった。

 

家族が増える、というのは色々な変化をもたらす。

生活は子供中心になるし、一個人としては責任が増える。

 

・・・と色々偉そうなことを冒頭で書いたのだが、実はまだ我が子に会えていないのである。

 

当初から里帰り出産を計画しており、緊急事態宣言が出る前には実家へ帰っていたし、最近では里帰り予定の方の事故が話題になったが、単純に2か月以上妻とは会えていない事実だけ、ここに記しておく。

 

このコロナと戦い始めた時代での出産ルポを、自分なりにまとめておこうと思う。

 

 

【コロナ対策】

これは地域どころか病院に依存するので、一概に言えないが、妻の出産した病院は、どちらかといえば厳格な処置をしていた。

簡単に言うと、県外からの人間の扱いは海外からの帰国者と同じである。

県外からの来訪者は県内に入り2週間後、感染のない場合のみ接触が許される、というもの。

普通の社会人では、2週間以上の休みを取って、かつ外泊というのは至難の業である。

というわけで、私自身、臨月の妻と会うのは諦めざるを得なかった。

 

当然、立ち合いもかなり厳しい状態で、立ち合いどころか面会も禁止。私どころか義母も会えないのである。

里帰り出産のメリットは何より“近くに母がいる”のはずなのに、今回の里帰り出産に関しては首都圏から田舎へ行くことへのコロナリスク回避のメリットしかなかった。

 

【立ち合いが無かったこと】

上述したが、面会どころか立ち合いもしていないので、現時点で自分が書けるのは、状況のみ。

立ち会えない以上、病院から電話がくる=緊急事態なので、ある意味便りが無いのがいい便りな状態であった。当然、陣痛のしんどさで妻は私と連絡を取る余裕がないはずだし、病院もzoom中継などしてくれるわけではない。病院に行く、の連絡からの時間は結局5時間もなかったのだが、体感的にはとても長いように感じた。リビングと廊下をうろうろし、とにかくぼーっとしていた。あまりに長く、連絡待ってるよのラインを送ろうとしたちょうどその時に写真が送られてきて、ただただ涙が出た。

自分の無力さとか、かなり無念な気持ちもあった。

 

【後日談】

あまりに状況がわからなく、かつ妻の言葉も足らずな部分や心配さもあり、その日の晩に助産師に電話をつなげてもらい、流れを事細かに聞くことが出来た。第三者からの大丈夫です、の一言はとても心強かった。

 

 

 

今日は一旦ここまで。次回は退院&役所手続き編??