コロナ禍と育児と逃げ恥 | Gardianinho~polisherman diary~

Gardianinho~polisherman diary~

サッカー・長万部・モノ

気付けば妻子と一緒に暮らし始めてから1ヶ月が経ち、年末年始の休みも終えた。

時折自分に見せる子どもの笑顔はそれこそ天使なのだが、未だ泣き止まなかったり抱っこ寝の後の布団タッチダウンに3連続失敗しギャン泣きさせたり、思うようにいかない日々が続く。

とは言え絵本の読み聞かせは基本的に静かに聞いてくれるし、妻目線だと全くなってないの一言だろうが、6ヶ月のブランクを考えてもこんなもんかという日々である。


先日放送された逃げ恥スペシャルはコロナ流行直前に出産を控えたみくりさんと育休、コロナ禍のリアルな所を過ごした平匡さんの話が展開された。
似た境遇だったので色々感情移入してしまったが、最初のスタートライン、即ち出産からしばらくの期間に一緒に過ごせたか否かの差はあるのだろうな、というのが感想であった。
津崎家はコロナ流行直前に出産、流行前から別居。自分自身は出産時点でコロナ禍であり、『コロナが怖いかわからない時点で出産を迎えた』か、『コロナは怖い前提で出産を迎えた』の差は受け取り方に差があるのではないだろうか(この話は全く妻には共感してもらえなかった)。
ここで書くと言い訳に聞こえてしまうのだが、スタートラインに一緒にいれば、そのあと離れた生活をしていても愛情が早く湧く、というか子ども自身も最初から父親の存在を知る中で生活がスタートする。一方スタートラインに同時に立てなかった場合は、子どもは知らないところからスタートする訳で、ある意味母子の出来上がった生活に踏み込んでいかなければならない訳で、ある種の難しさが伴うと思う。

自分自身出来上がったとこに入らなければならない訳で、そこには育児をしながら決まっていくルールは中々存在しない。妻のルールがか決まりなく絶対で、容易に変更出来る領域ではない。
そんな中で、ようやく何かルールらしきものを見つかりつつある今日この頃。

何より、夫婦が笑って過ごせないと子は笑って過ごせない。当たり前だが、それがそうなるよう日々の行いを心がけなければ。