気まぐれ厨房「親父亭」番外編25~鯨 | 気まぐれ厨房「親父亭」

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消えつつある日本の食文化・・・・クジラ
     食べられなくなる日が来るのでしょうか
     子供の頃の思い出が甦る懐かしい味

 
2014年3月31日、国際司法裁判所が「南極海で実施している日本の調査捕鯨が違法である」という判決を下したと報道されました。
若い人たちにとって鯨の肉は馴染みの薄いものだと思いますが、私が子供の頃にはごく一般的な食材でした。
郷里が捕鯨基地のあった下関に近かったからでしょうか、魚屋さんに行けばいつでも売っていましたし、鯨(ケ゛イ)テキ、鯨カツ、竜田揚げ、生姜と一緒に甘辛く煮たものなどがよく食卓に上がりました。
小学校の給食にも頻繁に登場していて、カレーのお肉も鯨が多かったような気がします。
刺身は解凍が進むとだんだん血も一緒に解けてくるので、子供の頃はあまり好きではありませんでした。(今は喜んでいただきます)
薄くスライスして茹でた鯨の皮(私の郷里ではオバイケと呼んでいました)を酢味噌で食べていました。
鯨のベーコンや保存食の塩鯨などもありました。
「なくてはならない」というほどに恋焦がれるものではありませんが、私にとって鯨はノスタルジックな食べ物で、とくに母が作った竜田揚げとか生姜の香りに包まれた煮物は今でも恋しく思います。
今回裁判を争ったのはオーストラリアで、鯨を食すという文化はありません。
カンガルーやワニを食べるのが野蛮ではなくて、鯨やイルカを食べることが極めて野蛮であるように訴えるのはちょっと解せません。
水産庁は判決を受けて今年の南極海での調査捕鯨の中止を決定しましたが、北西太平洋では判決の対象になっていないために継続する方針とのこと。
個人的には鯨が食べられないからといって問題はないのですが、食文化として鯨が根付いている地方の人や仕事としてたずさわっている人にとっては困った話だと思います。
日本での捕鯨の歴史は極めて古く、縄文時代にまで遡るとのことで、江戸時代に至っては「鯨組」と称して組織的な捕鯨が行なわれるようになりました。
有名な和歌山県太地町の追い込み漁も江戸時代初期に始まりました。
日本食文化として今日まで根強く残っているだけではなく、骨は装飾品などに、脂肪は投下用の油として、ヒゲや皮や内臓もいろんな用途がありました。
 
渋谷にある「元祖くじら屋」のホームページ上に「昭和25年創業のくじら料理専門の老舗」「調査捕鯨で捕獲されたミンク鯨をまるごと一頭使い、頭から尻尾まで、鯨料理一筋の料理長が吟味した一品をお出しいたしております」と書かれているではありませんか。
いずれなくなってしまうかもしれない・・・と思うと、なぜか食べたくなるのが人情で、過日行って来ました。
鯨の皮やベーコンなどは時々食べる機会がありますが、鯨肉は久しぶり(10年以上前に、長崎の思案橋にある専門店でいやというほど食べて以来)のことでした。
注文したのは刺身と唐揚げの二品で、最初に刺身が出てきました。
たっぷりのおろし生姜を入れた下地をつけてまず一口。
ほんのり甘くて、美味い!お酒に合います。
次は唐揚げ、竜田揚げと違い片栗粉が白いまま揚がっていて、レモンを絞ってかけていただきます。
身が柔らかくてあっさり味、これもイケル!
オーストラリアの人に何も言わずに食べさせたら「オー、ワンダフル!」「日本食、スバラシイデス」なんて言って抱きついてくるかも知れません。
 
有名な沼津の「魚がし鮨」が東京駅にありますが、そこにも「2014 春の鯨フェア~日本の伝統食文化を応援いたします~」というポスターが貼ってあり、鯨料理メニューが紹介されていました。
はたして鯨は食べられなくなってしまうのでしょうか。食いしん坊の私はそんなことばかり考えています。