温かいご飯、納豆、中トロ、うなぎ、天ぷら・・・
可愛い子供に、あれもこれも食べさせたい親心
今では「労働基準法違反」として厳しい処分を受けますが、昔は奉公人が主家から休みをもらえるのは年にたった2回・・・薮入りという正月と盆の16日のたった2日間限りでした。
先週今週と関東では記録的な大雪ですが、旧暦でいうとちょうど今の季節が正月の藪入りにあたります。寒い最中の里帰りだったと思われます。
しかも新米の奉公人は年端もいかず里心がついてはいけないというので、最初の2年間は宿入りが許されませんでした。
薮入りは親元に帰ったり祖先の墓に参ったり友だちや親類を尋ねたりする貴重な1日で、初めは正月だけでしたが、江戸中期以降になってお盆にも薮入りをさせるようになったそうです。
正月の「薮入り」に対し、お盆を「後の薮入り」ともいいますが、元来先祖の霊を祀るための里帰りであって、奉公人だけでなく嫁や婿も実家に帰りました。
それが次第に慰労のための休暇となり、芝居見物をしたり遊びに行ったりするようになったそうです。
3年目に初めての薮入りを迎える・・・どんなに嬉しかったことでしょう。
非常に忙しい様子のたとえや、嬉しいことや楽しいことが重なることのたとえとして「盆と正月がいっぺんに来た」という慣用句がありますが、決まった休暇のなかった昔の奉公人にとって、まさに盆と正月は年に2度しかない貴重なお休みでした。
住み込みで奉公しているため、日頃は親や家族にはほとんど逢えませんでしたので、短い休みでもどんなに嬉しかったか計り知れません。
今日では死語となった「薮入り」ですが、落語の世界でその様子を知ることができます。
幕開きは裏長屋の熊五郎の家。
息子の亀が奉公に出て3年が経ち、初めての薮入りを迎えるという前夜、待つ身の親のほうもなかなか眠ることができません。
明日になったら亀ちゃんの好物を食べさせてやろうと思案をします。
何といっても炊き立てのご飯が一番! 「焚きたての温かい飯を食わしてやれよ。納豆好きだったから買っておけ。海苔を焼いてやんな。刺身は中トロを2人前。俺も相伴にあずかろうじゃないか。それから、軍鶏・・・」その後、うなぎ、天ぷら、寿司、宝来豆、カステラと並べるからカミさんはあきれ返ってしまいます。
「そんなに食べられやしませんよ」
熊さんは寝ないで一晩中騒いでいますが、「5時!」と聞くや飛び起きます。
夜明け前から表に出て、玄関の掃除をしながら落ち着きません。
そしてすっかり大きくなった亀が戻ってきます。両手をついて熊さんに
「めっきりお寒くなりまして・・・」と立派な挨拶をする成長ぶりに涙してしまいます。
「ままずは風呂に行って来い」と送り出し、置いて行った財布を女房がひょいと覗きますと、5円札が小さく折り畳んで3枚も入っていました。
「まさか盗んだんじゃ・・・」と女房、「俺の子に限って、そんな・・・」と返した熊さんですが、たしかに奉公人の小遣いにしては多すぎます。
現代の貨幣価値でどれくらいでしょう・・・大雑把に1銭を100円で計算すると15万円。お店の小僧が小遣いに貰う金額ではありません。
「あいつ、やりやがったな。ただじゃおかねえ・・・」風呂から戻った亀を熊さんがいきなりどやしつけ、亀の返答が気に入らないと拳固をくらわします。
「ネズミを捕って交番に届けて懸賞に当たったんだい。盗んだんじゃあない。旦那が子供がこんな大金持ってちゃいけないと預かってくれて、今朝持たせてくれたんだい」
亀は泣きじゃくりながら答えます。
「みろ、てめえが余計なこと言うから・・・。うたぐったりしてすまねえ。そうか、うまくやったな。よかったな。これからも主人を大事にしろよ。チュー(忠)のおかげだからな」
というのがサゲです。
ペストは元々ネズミの病気で、その血を吸ったノミにかまれることによって感染するといわれています。
明治33(1899)年に国外から侵入して流行った時期があり、予防のために東京市が1匹5銭で買い上げていたそうですが、噺に出てくるような懸賞制度があったかどうかは定かではありません。
ただし1926年以降、日本でのペスト患者の発生はありません。
先代の三遊亭金馬の薮入りが有名ですが、その音源によると、熊さんが亀ちゃんに食べさせようと口にした食べ物は次のとおりです。
「暖かい飯に、納豆を買ってやって、海苔を焼いて、卵を炒って、汁粉を食わしてやりたい。刺身は中トロ、軍鶏、鰻の中串をご飯に混ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨くないし、寿司にも連れて行きたい。 宝来豆にカステラも買ってやれ・・・」
と出てきます。
長屋住まいで決して裕福でなくっても、久しぶりに帰ってくる子供に美味しいものをたくさん食べさせてあげたいという親心。
いつの時代も同じですね。