雄略天皇 泊瀬朝倉宮 伝承地その2 白山神社(白山比咩神社) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成30年4月5日(木)】

 

【泊瀬朝倉宮】(安康天皇3年~)  所在地:桜井市黒崎 字 宮の本339 白山神社

第21代雄略天皇 在位:安康天皇3年(AD456)~雄略天皇23年(AD479)

 

脇本遺跡からR165沿いに東に700m程行くと国道をまたいで白山神社(正式名は白山比咩神社)が鎮座しています。この白山神社を泊瀬朝倉宮とする説は文芸評論家で桜井出身の保田與重郎氏が古来より伝えられている「天の森」が立地的にも宮を営むには相応しくないと、その麓であるここ白山神社を宮跡に推定したということです。

 

国道をまたいで南に参道があります。

 

境内には万葉集発祥の地として雄略天皇の歌碑があります。

 

泊瀬朝倉宮の可能性ですが、特にここから何かが出土したわけでもないので、何とも言えませんが、脇本遺跡から700mしか離れてないことから、ここも脇本遺跡の一部だと考えると可能性はあると思います。

 

雄略天皇 丹比高鷲原陵