孝明天皇典侍 今城重子墓(三宝寺) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年12月3日(日)参拝】

 

孝明天皇典侍 今城重子墓 所在地:京都市右京区鳴滝松本町32三宝寺

 

9日ぶりに再び三宝寺へ。前回では色鮮やかな紅葉も色褪せて冬の気配…。

               

 

               

                                        右へ行くと今城媋子が眠る常寂光院墓

 

               

真っすぐ行くと今城家墓地へ                       その真ん中に建ってるのが…

 

               

今城重子墓                               

 

明治34年7月18日没

 

今城重子 いまき-しげこ

1828 - 1901 幕末の女官。今城定章の娘。母は松平主膳光政の娘。千種有文の義妹。文政11年9月16日生まれ。嘉永1(1848)年、孝明天皇後宮に近侍し、万延元年少将内侍となる。義兄有文や岩倉具視らと意を通じ、安政5(1858)年、朋美の「神州万歳賢策」は重子を経て天皇に内奏されたという。和宮降嫁に際しても堀河紀子と共にこれを推進したため、のちに朝廷内の尊攘派から「四奸両嬪」のひとりとして排撃され、文久念宮中を追われ辞官隠居、翌年落飾を命じられた。けいおう(1868)年、許されて旧位に復した。明治34年7月18日死去。74歳。墓所は京都三宝寺。

<参考文献>大久保利謙『岩倉具視』