仁孝天皇後宮 藤原媋子墓(常寂光院墓域) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成29年11月24日(金)参拝】

 

仁孝天皇後宮 今城媋子墓 所在地:京都府京都市右京区鳴滝松本町(三宝寺内)

 

久々の嵐電「宇多野」駅。 福王子交差点からR162を770m北上すると三宝寺右折の看板。

               

 

               

 

               

 

               

墓地の方向へ登っていきます。

 

               

ここは宮内庁治定の常寂光院墓。

 

               

ここには仁孝皇子常寂光院宮が葬られていますが、目的は皇子ではなく…

 

               

皇子墓の左手に小さい墓石。

 

               

皇子の生母、藤原媋子墓です。                    藤原媋子の文字が確認できます。

 

               

                                        親子ツーショット!

             

               

常寂光院墓の奥にも治定外の靈明院墓がありました。

 

掌侍:今城媋子いまき-たつこ(1809-1875) - 今城定成女 江戸時代後期の女官。
文化6年10月17日生まれ。仁孝天皇後宮につかえ掌侍(ないしのじょう)となる。弘化(こうか)3年天皇の死去後,剃髪(ていはつ)して孝順院と号した。嘉永(かえい)7年召し使いの失火内裏(だいり)が類焼した責任をとわれ閉門となった。明治8年6月7日死去。67歳。京都出身。初名は敏子。通称は満喜,おまき,今参など。

第五皇子:常寂光院宮(1832)

 

ここ三宝寺も紅葉真っ盛り!