【平成29年11月22日(水)参拝】
引き続き後月輪陵。
仁孝天皇後宮 新待賢門院 藤原雅子墓 所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺
これにてここ月輪陵(後月輪陵)も終了です。都合14回…なんかやっぱ感慨深いですね。
正親町 雅子(おおぎまち なおこ、享和3年11月1日(1803年12月14日) - 安政3年7月6日(1856年8月6日))は、江戸時代後期の女院(最後の女院)。父は正親町実光。母は四辻公亨の娘千栄子。子に孝明天皇のほか二皇子一皇女をもうけた。正親町家は閑院流洞院家の支流にあたる名門で、家格は羽林家。
1820年(文政3年)仁孝天皇の後宮に入って権典侍となり、翌1821年(文政4年)典侍となる。
1842年(天保13年)正五位下に叙され、翌1843年(天保14年)には藤大納言局と称した。
弘化3年(1846年)、仁孝天皇が崩御し、祺子の養子となっていた統仁親王(孝明天皇)が即位する。
1850年(嘉永3年)准三后となって院号宣下を受け新待賢門院と号した。
月輪陵は今回で終わりなので御朱印を頂いてきました。