今回の参詣は、神楽坂にある赤城神社へ。

 

第一四五回 赤城神社 今回

第一四五回 赤城神社の例大祭 次回

というふうに掲載します。

 

当社は、群馬県の赤城山を御神体とする赤城神社の分祀社。

鎌倉時代の正安二年(1300)に、上野国から牛込に移住した大胡氏が、牛込早稲田の田島村という地に御分霊を祀り創建した。牛込の鎮守で、祭神は磐筒雄命(いわつつおのみこと)。

 

 

 

 

寛正元年(1460)、太田道灌により牛込台へ、弘治元年(1555)に現在地へ移る。江戸幕府により江戸十社のひとつに定められた。当時の御神体はムカデだったという。(当社ホームページ参照)

 

 

 

 

手水舎はかなりスタイリッシュで簡素。

 

 

 

 

境内はとても広い。2010年に新社殿が完成したばかりで綺麗。

 

 

 

 

かつての赤城神社の様子。

 

 

 

 

赤城神社再生プロジェクトとして、老朽化した神社全体を建替えた。かつて境内にあった赤城幼稚園は少子化に伴い閉園、その跡地に三井不動産レジデンシャルが期限付きで借り受けマンションを建設、賃借権と賃貸収入の一部を得て、境内全域を美しく改装することができた。

今年10月に新社殿が完成した日本橋室町の福徳神社 も、三井不動産と当社の様に、相互協力によって生まれ変われたのかも。(室町は三井が占める地域だし。)

 

 

 

 

 

御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載

赤城神社

お祀りしている神様

   「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)

合殿「赤城姫命」(あかぎひめのみこと)

 

後伏見帝の正安二年九月、上野国赤城

 

山なる赤城神社の分霊を今の早稲田鶴

巻町の森中に小祠を勧請。其後百六十

餘年を経て寛政元年太田道灌持資が牛

込亳へ遷座。其後大胡宮内小輔重行が

神域を尊び今の地に、始めて 「赤城大

明神」 と称えるようになった。 かくて

天和三年幕府は命じて江戸大社の列に

加え、牛込の総鎮守となる。

 

 

 

 

本殿脇の絵馬所。

当社特有のかたちをした狛犬像が描かれている。

このかわいらしい変わり種の狛犬像は、ストラップ風お守りとして神札所で授与している。

 

 

 

 

境内社

こちらは本殿前に鎮座する蛍雪天神本宮(けいせつてんじんほんぐう)。

戦災で焼失した北野神社を、旺文社の寄付により再建された。社号の蛍雪は旺文社が刊行している大学受験生向けの月刊誌の名前からつけられた。「夏は螢の光で冬は雪明かりで勉強する、転じて苦労して勉学に励む」という意。中国故事である「蛍雪の功」に由来する。

(写真は例大祭の時のもの)

 

御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載

 

螢雪天神 本宮

ご祭神 菅原道真公

 

かつて横寺町に鎮座し朝日天満宮と称さ

 

れ、江戸二十五社の一つに列しておりま

した。その後信徒なき為、明治九年三月

當境内にご遷座。先の戦災により焼失し

たものを、平成十七年十月現在横寺町に

ある旺文社の御寄進により『螢雪天神』と

して復興した。『螢雪』とは中国の故事で、

苦労して勉学に励む事を意味します。『学

問の神様』として全国の受験生の皆さん

を応援しています。

 

 

 

 

本殿がある丘を下ると、こちらにも境内社などが安置されている。

これは観音像かな。

 

 

 

 

その奥にあるのが境内社三社。

 

 

 

 

 

改装前からありそうな年季の入ったお狐様。

右が子抱き、左が宝珠を抱える。

 

 

 

 

真ん中が出世稲荷神社。 右が八耳神社(やつみみじんじゃ)。左が葵神社。

 

御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載

赤城出世稲荷神社

ご祭神 宇迦御霊命/保食命 うかのみたまのみこと うけもちのみこと

創記は詳らかではありませんが、赤城神社が当地にお遷りすつ以

前(弘治元年1555年)から地主の神と尊ばれ鎮座。出世開運

のご利益があるとして大名・公家の崇敬を受けておりました。

また穀物・食物を司る神様として、五穀豊穣、衣食住、商工業繁

栄のご神徳を備えておいでです。現在は神楽坂商店街などの商売

繁盛と近隣サラリーマンの崇敬を集めております。戦前まで5月

5日の例祭日にはお神楽が奉納されていました。

 

八耳神社

ご祭神 上宮之廐戸豊總八耳命 うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと(別称・・聖徳太子) ※

戦禍で焼失した昔の「太子堂」です。この八耳様は「あらゆる事

を聞き分ける天の耳」を持つ聖徳太子であり、聡明な知恵を授か

ることができます。なにか悩み事のある時は「八耳様・八耳様・

八耳様」と三回唱えてからお参りすると、自ずと良い考えが浮か

ぶと伝えられる。また耳の神様として広く信仰を集め、耳の病気

や煩いを治してくれるとして、全国各地から参拝に訪れている。

合殿に大国主大神、丹生大神、を祀ります。

 

葵神社

ご祭神 徳川初代将軍徳川家康公

牛込西五軒町の天台宗宝蔵院に鎮座していたが、明治元年 神仏

混合を廃止された際に當境内へ遷座。徳川初代将軍として江戸

時代の政治、文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をさ

れました。かつては江戸市民の家康公への信仰対象でしたが、

現在は神楽坂の「東照宮」として親しまれ、学問と産業の祈願成

就を願って、参拝する方に心の安らぎを与えてくれます。

 

 

次回

第百四十五回その2 赤城神社例大祭(赤城元町)

へ続きます。 

 

 

 

 

写真は2008.8.13、同12.23、2014.9.20、同11.27撮影

 

社号 赤城神社 あかぎじんじゃ

祭神 磐筒雄命(いわつつおのみこと)合殿赤城姫命(あかぎひめのみこと)

創建 正安二年(1300)

祭日

末社 蛍雪天神本宮・御祭神 菅原道真公、

    赤城出世稲荷神社・御祭神 宇迦御霊命(うがのみたまのみこと)/保食命(うけもちのみこと)、

    八耳神社・御祭神 上宮之厩戸豊聰八耳命(うえのみやのうまやどのとよとやつみみのみこと)、

    葵神社・御祭神 徳川家康公

社務所 あり

所在地 新宿区元赤城町1-10