今回の参詣は、日本橋の再開発と共に新社殿が完成したばかりの福徳神社へ。

コレド室町2の向かいに鎮座。真新しい社殿が完成。福徳の森として生まれ変わりました。

 

 

 

 

場所は三越前駅最寄の再開発めまぐるしい日本橋室町。

今年の3月20日にコレド室町2、3が続々とオープンし、急激に人気を得たスポット。

 

 

 

 

三越前の中央通りからYUITOの間にある新浮世小路を入ると目の前に当社があります。

あちこちに神社へつながる道があるので、この参道まで廻って通る人が今のところ少なくて淋しいですが。

 

 

 

 

2014.10.10撮影

 

現場の警備員さんに伺ったところ、23日に明け渡し、24日に一般の方が参拝できるとのこと。

外観はもう出来上がっているだけに、待ち遠しい。

 

 

 

 

2014.8.23

 

遷宮直前の様子。

2011年4月ごろから一時的に社務所前の広場に鎮座。

 

 

 

 

仮宮が透明なケースの中に入って祀られていました。

 

 

 

 

遷座直前の10月10日、仮宮と思われていたお社が新調されていました。

この新しいお社が、そのまま新社殿に入るのでしょうか。

 

御由緒

当社は福徳神社・福徳稲荷などと呼ばれ貞観年間には既に福徳村に鎮座していたと伝わる。

また別名を芽吹神社ともいい、慶長十九年(1614)に将軍徳川秀忠が参拝した折、鳥居に若芽が萌え出たのを観て別名芽吹神社と命名されたという。

天正十八年(1590)に関東入府した徳川家康が当社を度々参拝、さらには冒頭の通り二代秀忠も参拝しただけでなく、元和五年(1619)には、御城内の弁天の神霊を将軍自ら納められた。

当社は徳川将軍家と大変ゆかりが有ることがうかがえ、縁起の良い神社。

また、当神社は江戸時代に富くじ発行を許された数少ない神社で、社務所では『芽吹き富籤守』を授与して下さいます。社号にあやかって福徳円満なご神徳があるかも。

 

 

福徳神社御由緒 刊行物より体改行などそのまま記載

主祭神

倉稲魂命『宇迦之御魂神』(五穀主宰の神)

相殿

天穂日命『天孫降臨に先だち大国主命と和す』

大己貴命『大国主命』(出雲の首長)

少名彦命(医薬・温泉・酒造の神・武将の崇敬厚し)

事代主命(大国主命の子物事よく知る神・国土経営に努む)

三穂津媛命(大国主命の后神)

江戸時代前後に合祀

太田道灌(戦国時代の武将・江戸城を築城)

弁財天(インドの神・江戸城より勧請する)

徳川家康『東照宮』(徳川幕府を江戸に開く)

当神社の創祀された時は明らかではないが、当社に伝わる略記によると、貞観年間

(清和天皇・八五九~八七六年)に既に鎮座していたようである。

当社は武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名をとって社号とした。
その鎮座する社地広く社殿も宏壮にして社の四隣は森林、或いは田畑に囲まれ、農家が散在してい

る片田舎であった。土地の人は神社の森を稲荷の森と呼び、その森の一端に建てられていた里程標

(石造一里塚)を「稲荷の一里塚」と言っていた。後に明暦三年酉年(一六五七)正月八日の大地震に

より崩壊し碑石散乱したのを時の人々が残存した破片を集め保存を計ったと伝えられる。

今、その碑銘の写しをここに揚げてみると

表 宮戸川邊り宇賀の池上に
  立る一里塚より此福徳村
  稲荷森塚迄一理

裏 貞観元年卯年
  三つき吉祥日

とあってそこに、そもそも当社は元来武将の信仰があつく、源義家朝臣・みなもとのよしいえ
あそん(一〇三九~一一〇六年)が深く崇敬されていたことが記されていたと伝わっている。江戸幕府以

前には太田道灌公を合祀し、その兜・矢・鏃などが奉納されたと伝わっている。
徳川家康公入府し、天正十八年(一五九〇)八月・初めて参詣しその後参詣は数度に及び、更に二

代将軍秀忠公は慶長十九年(一六一四)正月八日に参詣し「福徳とはまことにめでたい神号である」

と賞賛した。この時、当社古例である椚(クヌギ)の皮付きの鳥居に春の若芽の萌え出でたのを御覧

になり、当社の又の名を『芽吹(めぶき)神社』とつけられた。元和五年(一六一九)二月に御城内

の弁天宮を当神社に合祀するにあたり将軍自ら神霊を納められ、大和錦の幌を奉納し更に『社地縄

張を三百三十坪』と定められた。

 

 

 

 

豊年満作之圖

建て替え工事中の仮囲いの壁に描かれたものより

当社所蔵の絵図で、福徳村はかつて田園地帯もあったらしい。

 

 

 

 

その豊作の様子を描いたのが豊年満作の図。

絵図右上に「福徳稲荷社」が見える。

 

 

 

 

移転続きの神社

2006年頃の様子。

 

明暦の大火で崩壊、天保の改革で水野忠邦の命令で神職や出家が移転を余儀なくされ神社は一端消滅。地元民の嘆願により川岸に再興するも、関東大震災・第二次世界大戦で焼失、その都度立て直されてきた。

 

 

 

 

当時は社務所の屋上に鎮座していた。

昭和48年、現在地に社務所兼神社として鎮座。2006年ごろからビルの建て替え工事に伴い、福徳茶屋(現COREDO室町2)の店内に遷座、社務所が完成するとその庭先に仮遷座。

そしてようやく今年10月24日、真新しい社殿に160坪の大きな境内を有して竣工。

 

 

 

 

神社夜景の様子。

 

 

 

 

24日の落成が楽しみです。

きっと開扉された御社殿は美しいでしょうね。また参詣しに来なくては。

 

 

 

 

日本橋界隈は、ショッピング、歴史散策、江戸情緒、美術館、美食と、文化的にも豊かな街。

20時までに閉まるお店が圧倒的なので、夜はひと気が少ないですが、ライトアップしている風光明媚な歴史的建築物が多く、散歩するだけでも楽しいところ。

 

 

 

 

社号 福徳神社 ふくとくじんじゃ 

別名 福徳稲荷・芽吹神社

祭神 主祭神:倉稲魂命、相殿:天穂日命・大己貴命・少名彦命

    事代主命・三穂津媛命・太田道灌・弁財天・東照大権現

創建 貞観年間

祭日 二月初午、五月例大祭

末社

社務所 社務所兼神札所あり

住所 中央区日本橋室町2-4-14