B級アイドルネタは、奥が深くてキリがありませんね。

とりあえず、今回で一先ず打ち止めにします。

キララとウララ」は、84年にデビューした女の子二人組みのアイドルです。

「80年代のピンク・レディー」なんて言われたこともあったようです。

キララこと、大谷香奈子とウララこと天野なぎさの二人組みで、シングル「センチメンタル・ボーイ」でデビューしています。

キララとウララが一部で有名なのは、キララこと大谷香奈子の方が、後にあの小室哲哉の最初の奥さんになったからでしょうか。(もちろん、その後離婚しましたが・・・)

彼女たちの場合も、80年代アイドルに多く見られるように、テクノポップ的な要素を取り入れた音作りがなされています。

デビュー曲「センチメンタル・ボーイ」の作・編曲は、元ブルー・コメッツの井上大輔で、本来テクノ系の人ではないのですが、やはり時代の流れは無視できなかったのでしょうか、頑張って、テクノっぽい曲に仕上げています。

イントロ部分でボーカルをボコーダー処理しているあたり、一瞬、Perfumeみたいです。

キララとウララ 「センチメンタル・ボーイ



なんとなく、F1のテーマ曲みたいなアレンジに時代を感じますね。

この曲で注目したいのは、インカムを着けていると言う点でしょうか。

たぶん、テクノっぽい雰囲気を演出するための小道具なんでしょうけど、結果的に、よりダイナミックな振り付けが可能になって、より「歌って踊れるアイドル」っぽくなっています。

今じゃ、Perfumeや安室奈美恵など、踊りながら歌う人達にとっては当たり前のアイテムになっているインカムですが、当時は新鮮でした。

もしかしたら、最初にインカムを使ったアイドルは彼女たちかも知れません。(ちゃんと調べたわけではないので、断言は出来ませんが・・・)

ちなみに、この曲はその後、辻 希美と加護亜依のユニット、W(ダブルユー)にカバーされています。

キララとウララの曲で、一番テレビで流れたのは、セカンドシングルの「多感期のフラミンゴ」でしょう。

と言っても、ヒットしたと言うわけではなく、キリンの清涼飲料水「Kilala」のCMソングに使われて、彼女たちも出演したからでした。

当時、キリンはTBSの「ザ・ベストテン」のスポンサーだったため、番組の合間にこの曲が流れていたようですが、「ザ・ベストテン」自体に彼女達が出演することはありませんでした。

ヒットチャート的には、結局、100位以内にも入りませんでした。

まあ、その辺がB級のB級たる所以なんでしょうが。

キララとウララ 「多感期のフラミンゴ



テクノ的な要素は薄まって、普通のアイドルっぽい曲になってますが、たぶんCMとの絡みがあったからなんでしょうか。

キララとウララは、結局、5枚のシングルとアルバム「ダブル・ファンタジー」一枚を残して、86年に解散しています。

キララこと大谷香奈子は小室哲哉と離婚後、ビジネスの世界に転進して、ペットの洋服の製造・販売で成功し、今も実業家として活躍しているようです。

ウララこと天野なぎさは、90年にシンガー・ソングライター、天野歩美として再デビューし、92年までにシングル3枚とアルバム2枚を出しています。が、その後の音楽活動歴は不明です。

彼女達の唯一のアルバム「ダブル・ファンタジー」は、作家陣に細野晴臣、井上大輔、所ジョージ、EPO等、バックにはティン・パン・アレイ系のミュージシャンと、豪華な顔ぶれが参加しています。

このアルバムは、一部ではテクノ歌謡系の幻の名盤として、中古市場で高い値段が付いていたようですが、2007年にめでたく復刻CDが再発されて、今でも店頭で売られています。



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「花の82年組」の最後にデビューしたアイドルグループが「ソフトクリーム」という女の子三人組でした。

メンバーは遠藤由美子、天野千英、大塚真実の3人で、当時、まだ高校生でした。

82年の12月にシングル、「熱帯魚のタキシード」でデビューしています。

このグループも、80年代アイドルに多く見られるように、テクノ系の人脈が絡んでいます。

デビュー曲「熱帯魚のタキシード」の作家陣は、作詞が島 武実、作曲が佐久間正英と、二人とも当時、YMOと双璧をなしていたテクノポップ系バンド、プラスティックスのメンバーでした。

そんな訳で、デビュー曲も少々テクノっぽい曲調になっています。

ソフトクリーム 「熱帯魚のタキシード」



この曲は、テレビ東京の番組「テレビほとんど冗談」のテーマソングとして使われたため、売れなかった割には、覚えている人も多いかもしれません。

ソフトクリームの特徴は、シングル曲が番組のテーマ曲やCMソングとして使われたケースが多く、その点、他のB級アイドル達より恵まれていたのかも知れません。

所属事務所が大手の渡辺プロダクションだったため、事務所の力もあったのでしょうか。

セカンドシングル「すっぱい失敗」はTBSテレビの「西田敏行・桜田淳子のもちろん正解」と言う番組のテーマソングに使われていました。

そして、彼女達の曲で、一番知られていると思われるのはサード・シングルの「スキよ!ダイスキ君」ではないでしょうか。

この曲は、ヤクルト・ジョアのCMソングとして使われました。

そのCMは当時、ヤクルトスワローズの投手で国民的アイドルだった荒木大輔が出演して話題になったものなので、覚えている方も多いかもしれません。

ソフトクリーム 「スキよ!ダイスキ君」



今聴くと、ありふれたアイドル・ポップにしか聴こえませんが、当時としては、曲の構成、アレンジがユニークだったらしく、後のおニャン子路線にも影響を与えたという説もあります。

ソフトクリームは、結局、7枚のシングルと、アルバム1枚を出して、85年に解散しています。

彼女たちも、伝説のB級アイドルとして、いまだに根強い人気があるらしく、現在でもポニー・キャニオンから「Myこれ!クション ソフトクリームBEST」というベスト盤CDが発売されています。

お好きな方はどうぞ。



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80年代には「テクノ歌謡アイドル」と呼ばれる人達がいました。

たぶん名称は後から付いたのでしょうが、Perfumeのご先祖に当たる人達です。

そんな中に真鍋ちえみという女の子がいました。

アイドルラッシュの「花の82年組」の一人としてデビューしています。

ソロ活動と並行してパンジーと言う女の子三人組のユニットとしても活動していました。

ソロとしては3枚のシングルとアルバム1枚を残しています。

真鍋ちえみの場合、今考えると、作家陣に恵まれていました。

デビュー曲、「ねらわれた少女」は作詞が阿久悠、作曲/編曲が細野晴臣

作編曲が、当時YMOの細野氏と言うことは、曲調は当然テクノ歌謡路線と言うことになります。 

この曲は、今やテクノ歌謡の隠れた名曲と言われています。(あくまで一部でですけど・・・)

と言うことで

真鍋ちえみ 「ねらわれた少女」



どこかクラフトワーク辺りを思わせるサウンドは、確かにテクノです。

そして、セカンドシングル「ロマンティックしましょう」は、なんと作詞が安井かずみ、作曲が加藤和彦と言う豪華さです。

真鍋ちえみ 「ロマンティックしましょう」




当時「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」と言ったヨーロッパ三部作を製作していた加藤氏らしい、ヨーロッパテイストあふれる曲ですね。

そして、サードシングルの「ナイトレイン・美少女」は、再び阿久悠、細野晴臣コンビに戻るのですが、編曲はムーンライダースの岡田徹が担当しています。

真鍋ちえみ 「ナイトレイン・美少女」(前半は映画の場面で、曲は後半の方に出てきます。)



ロックの方々もいろんな仕事をしてたんですね。

真鍋ちえみは、「不思議・少女」と言うアルバムを一枚だけ残していますが、これはその後CD化されて、なんと、現在でも店頭で販売されています。

このアルバムは、当然、細野晴臣、加藤和彦が楽曲を提供していますが、それに加えて、バックのミュージシャンがやたら豪華です。

スーパーバイザーとして細野晴臣が参加、YMOサポートメンバーの松武秀樹がプログラミング、清水信之編曲、矢野顕子、大貫妙子、大村憲司、林立夫、村上”ポンタ”秀一、等、当時、日本のロックを支えていた代表的なミュージシャンがずらりと顔を揃えています。

今でもこのメンツを揃えるとなったら、めちゃくちゃ大変な事・・・というか、不可能かも知れません。

当時ですら、それほど有名でもない一アイドルのアルバムに、何でコレだけ豪華な顔ぶれが集まったのか、今となっては謎です。



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一部では知られているけれど、知らない人は全く知らない。

泡のようにポッと現れて、いつの間にか消えていったアイドルたちのお話です。

80年代に「スターボー」と言う三人組女性アイドルグループがいました。

82年にデビューして、3枚のシングル盤と1枚のアルバムを残し、84年には解散しています。

82年と言えば「花の82年組」と言われるぐらい、アイドルの当たり年でした。

中森明菜、松本伊代、小泉今日子、早見優、石川秀美、堀ちえみ、と言った錚々たるメンバーがデビューしています。

そんな人たちの陰で、あまりスポットライトを浴びることなく消えていったのが「スターボー」と言うグループでした。

スターボーで特筆すべきは、デビュー曲の「ハートブレイク太陽族」(凄いタイトルですが・・・)で松本隆、細野晴臣という、「はっぴいえんど」コンビが作詞作曲を担当していたと言う点でしょうか。

当時、細野氏がYMOのメンバーだったためか、スターボーもデビュー曲はテクノ歌謡路線でした。

コンセプトも宇宙から来た三銃士(!)という設定で、ボーイッシュなテクノカットに宇宙っぽいイメージのレオタード姿と言う、今から考えると、最初からかなりキワモノっぽい路線でのスタートでした。

メンバーの名前もナガト、イマト、ヤエトと、カタカナ表記で最後に必ず「ト」を付けて中性っぽくするという念の入れようでした。

まあ、こんな感じです。

スターボー 「ハートブレイク太陽族」



最初から思いっきりB級感全開ですが、案の定、この曲はレコード売り上げ7千枚、オリコンチャート最高で98位という、散々な結果に終わりました。

で、第二弾シングルはがらりと路線を変えて、キャンディーズばりの正統派女の子アイドルスタイルに
変身。

メンバーの名前も、ナミ、ナギ、メグに変わり、タイトルも「たんぽぽ畑でつかまえて」と、いかにもアイドルっぽいものになりました。

作家陣も作詞:麻生香太郎、作曲/編曲:馬飼野康二とベタな歌謡曲路線の人達に代わっています。

スターボー 「たんぽぽ畑でつかまえて」



「変わり過ぎだろ!」と、思わず突っ込みも入れたくなりますが、この曲もパッとせず、シングルをもう一枚とアルバム「STARBOW 1」を残して消えていきました。

ところが世の中解らんもので、B級アイドルマニアの間では根強い人気があるらしく、彼女たちの唯一のアルバム「STARBOW 1」は2006年に紙ジャケ仕様で再発され、今でも店頭で売られています。

細野テクノ歌謡路線が再評価されたと言うことでしょうか。



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歌う映画スターは結構いますが、個人的に一番好きなのは小林旭です。

小林旭といえば、映画「渡り鳥シリーズ」ですが、歌の方も、「さすらい」「北」「流れ者」と言ったイメージの歌が多いですね。

ヒット曲も多い人ですが、そんな中から一曲。

小林旭 「北へ」



こういうジックリと聞かせる曲も良いですが、一方で、小林旭はコミカルな歌も得意な人です。

小林旭のコミックソングと言えば、コレでしょう。

小林旭 「自動車ショー歌」



高度成長期のテーマソングみたいな曲ですね。


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