こんにちは!
8月1日のInstagram初Live
【身近な駐在妻さんへのインタビュー】
「これから渡航予定のプレ駐在妻さんに
リアル話を聞いてみよう!」を
ブログのほうにも残しておきたくて
文字でまとめました。
音声30分聞いている時間ないよ~
という方におススメです
【身近な駐在妻に話を聞いてみよう企画】
バックナンバー
私のリアルなお友達への
インタビュー記事です。
こちらもご興味ありましたら
覗いてみてくださいね~。
(別ブログとなります)
1人目はこちら→さおりさん
2人目はこちら→Rさん
3人目はこちら→Kさん
4人目はこちら→Tさん
5人目はこちら→はるなさん
今回のInstaLiveインタビュー2人目は
ニューヨークへの渡航数日前の
ままあやこさん。
働きたい駐在妻さんたちにあたらしい道を
示してくれる働き方
日本にある企業のフルリモート正社員として
シンガポールで働いていらっしゃいました!
以前、その働き方に至った経緯や想いついて
インタビューさせてもらったのですが
今回は旦那さんがシンガポールからアメリカへ
スライドとなり、母子で一度日本へ帰国して
数か月生活してこれからアメリカへ渡航する
気持ちなどを聞かせてもらいました
→あやこさんのInstagramはこちら
では早速インタビュー内容をお届けしますねーー
シンガポール5年弱の赴任の後、アメリカへのスライド辞令が出ました。シンガポールのアメリカ大使館がコロナのせいか閉まっていたので、2020年末に家族で一度日本に帰って、日本のアメリカ大使館でビザの手続きをして1月に夫は先にアメリカのニューヨークへ。
母子は渡航待ちの間、1月から8月まで実家の近くに賃貸を借りて生活。洗濯機、エアコン、ソファ、ダイニングテーブル、デスクとかの家具や家電は月決めのレンタルで対応。
仕事は、シンガポールに滞在中に就職をした日本の会社で、フルリモートという働き方で仕事を続けており、起業で経営者の方の数字のブロックを外すサポートなどもしています。
一時帰国中も、9時―5時の仕事をしつつ、その前後の時間で、シンガポールへの引越前に預けている倉庫から、必要なものだけを出したり、日本から何を持っていくか考えたり、いつまでどの家具を借りるかなど、細かいスケジューリングと考えることが多すぎて頭の中が常にパンクしていました(笑)
自分もバンコクに駐在員の娘として生活していたことも、駐在員として生活していたこともあり、シンガポールも含め、アジアは慣れていてハードルは低かったけれど、国が違うとまた必要なものも変わってくるんですよね。冬もあるので、どんな格好をすればよいのかな?とか考えることが増え、倉庫から冬ふとんや冬服を出したり、と荷物も増えています。
仕事をしながらなので、実家の近くに住み親にたくさん助けてもらいました。
近所の人にも助けてもらえて、いいご縁もありましたね。
子どもは、日本の公立小学校に半年ほど通いました。子どもだちはシンガポールのインターナショナルスクールに通っており、日本の学校に馴染めるか親も心配で、本人もそのままアメリカに引っ越したいというほど不安だったようで・・・。
賃貸物件を決める時に、事前に市の学務課に連絡して、「馴染めるところに住みたいと思っている、受け入れてくれる環境、学校がいいがおすすめあるか?」と聞いてみたくらいです。もちろん、答えてはくれませんでしたが💦
特に下の子は2歳からローカル幼稚園だったのもあり、日本人の学校が始めて。マイペースな子だから、迷惑かけないかな、白い目で見られないかなとか、と心配していけど、自由な感じの学校で、お友達も優しくて、2人とも楽しく通ってくれました!
日本の生活めっちゃ楽しくて!ホームに帰った安心感がありますね。日本いいなって母子ともに感じて、子どもは「アメリカに行きたくない」とまで言っていました。
ワンオペ半年は初めてで、仕事をしながら各種タスクをこなしていくのは大変だったけれど、5年前シンガポールに来る前のワンオペ3か月に比べたら、子どもたちの年齢が上がっていた分、子どもが戦力になってくれたし、自分たちで約束してお友達と遊びに行けるようになっていたし、そこまでワンオペ感がなかったですね、だから意外と大丈夫!だったかな。
周りに親切な方が多くて、日本は優しいなぁとしみじみ感じました。なのでまた離れる寂しさもありますね。
コロナ禍で県を跨ぐ移動の抵抗はあったけど、海が近くて、静かな海を散歩できたりして日本滞在期間で気持ちがリフレッシュできました!
コロナ禍では先の状況ははっきりとわからないので、このタイミングを決めました。現地ではローカル小学校へ通うことになり、その新学期が8月からなので8月上旬に母子渡航することに。自分たちでタイミングを決めることを大事にしました。
夫からの話によると、ニューヨークのコロナの状況はマスクはつけているけれど、学校も対面授業しているし、店内飲食もできていて、通常に近い生活はできているみたいですね。
ワクチンも夫は既に2回接種を終えており、私自身も現地についたらすぐに打つ予定です。
コンビニに行くぐらいの感覚で、駅前の薬屋さんで打てるみたい。
私自身が小6-中3までバンコクに住んでいたのですが、当初小6で学校変わるのはとても嫌で、行ってからもホームシックになって、小6が終わった時に一度日本に帰って祖父母の家にお世話になったこともあったぐらい。でも、慣れたらバンコクの生活が楽しくて、今でもその時の友達と仲良くしていて、とっても貴重な体験だったなと思っています。
なので、チャンスがあったら家族で海外に住みたいなとずっと思っており、それが私にとって一番のプライオリティなんです。
上の子は高学年で、友達の存在が大きくなっているお年頃。日本の学校で新しい友達ができて、離れてしまうのは少し可哀想だと思う気持ちもありますが、シンガポールからアメリカスライドが決まった時から、家族で行くとみなで決めてはいたので、子どもたちも自分で折り合いをつけてくれている感じですね。アメリカのローカル校へ行くのはちょっと嫌みたいですが、シンガポールのインター校でも強く生きてきたので、大丈夫だと思っています。
アメリカは、旅行でも行ったことなく、どんな暮らしになるのかイメージがまだ沸いていません。白人の中にアジア人がいる環境もあんまり経験したことがないからドキドキするし、怖い気持ちもあります。親も子も自分の居場所作りを一からしていくことは、不安もあるが、いいご縁があることを信じて頑張ろうと思っています!
コントロールできないことが多い中で、「変わらないこと」が一つでもあるとマインド的に安定していられるというのがすごくあると感じます。
シンガポール行きが決まった時は、自分の仕事を辞めなければいけなかったので、とても辛かったんです。この辛い状況を、人のせい、環境のせいにして、解決できないイライラが消えなくてしんどかった。「なぜ私だけ履歴書かかなきゃいけないの?」と夫と喧嘩になったこともあります。
今回は、"フルリモートワーク正社員として働くスタイル”をシンガポールで確立できていたので、スライドの話が決まった時も、気持ちがそこまで落ちなかったですね。
どの国に行っても、どこでも働き続けられる、自分にとってコアにもなっている「働く」ということが「変わらない」こととしてあるから、前回ほど落ち込まなかったですね。
日本とアメリカだと時差の問題は出てくるのですが、会社と相談して、1日のコアタイムを決めて仕事をする形で続ける予定です。
また、気持ちが落ちた時、自分でコントロールできないことが多いときは、「これがベストなんだ」と思うようにしています。そして「自分で決めること」を大事にしています。ちょっとしたことでもよくて、散歩するとか、瞑想するとか、お風呂に入るとか自分で決めたことをやる、自分でコントロールできることがいくつかあると、コントロールできないことがあっても心がやられにくくなる気がするので!
スライド異動が出るか出ないか、1年ぐらい決まらない時期が続いていて、コントロールできないことに振り回されている感じが嫌だ!と思ったので、次の春には母子で日本に帰ると決めたら、アメリカ行きが決まりました(笑)
自分で決めることが大事!!
<完>
動画でご覧になりたい方は、こちらのアーカイブをご覧くださいね!
https://www.instagram.com/p/CSCLKnqlbiv/
いかがでしたでしょうか。
彼女との会話の中で、コロナ禍の流れもあり、働き方が変わってきたね、という話に。より柔軟になってきていると肌で感じているそうです。大手の企業に勤めていてお友達が、パートナーの駐在で海外転勤ことが決まったそうですが、会社側がフルリモート対応してくれて退職せずに帯同できることになったという話も。
大きな会社でも柔軟に変化してきているという明るい話ですね!
日本の労働力が減っていく中で、割と女性が働き続けられる環境ってできていくんじゃないかな?コロナで振り回されることが多いけれど、確実にリモートでできることが増えているというか、それが実証されたということは、世界のどこにいても働きたいと思う女性にとっては良い流れですね
このインタビューがどなたかの背中をちょっと押すものになれば幸いです。
お読みくださりありがとうございます。