言葉の曖昧さに騙されて理解した気になる。

これって現代人の病でしょうか。

 

こんにちはBJです。

AIの話です。

のっけから楽しい話。

 

「AIの冬」がくるかもね。

 

なんです。

なに言ってんだと思いました。

思ってください。

理由は、2つです。

 

・倫理と言う不思議な枷(かせ)。

・次元の呪い。

 

「訳わかんないよ。」なんて言わないで読んでくださいね。

まず、「AIの冬」って何なのか?

 

AIを構成する技術や環境の停滞です。

 

これ、以前にもありました。

40年ぐらい前に初めてAIと言う名前に驚いた私。

なんじゃそら、って調べると「インテリジェント××」とついた機器たち。

・・・こんなもんかって思いましたよ。

そしてすぐに「AIと言う名前」だけ残して忘れられました。

 

AIと言う名前だけではなく中身の議論と汎用性が話題になっている昨今。

やっと「AIの春」が来ているのですが、その前の「冬の時期」が結構長かったのです。

春を呼んだのは「機械学習」と言う技術が有効と思われているから。

機械学習とは、型を決めるだけで後はAIの独自学習に任せる方法。

前にチェスの話を書いたでしょ、あれの複雑系です。

 

なんか、向かうところ敵なしに見えるAIですが、すでに冬の兆しが・・

では、まず倫理と言う不思議な枷なんですが、倫理と言う言葉自体が曖昧なのでもっと具体的に言いますと。

 

個人情報の保護。

 

ってことですよ、分かり易いでしょ。

昔、個人情報保護法は天下の悪法だと書いたことがあります。

何故なら「個人情報」というものに上限が無いからです。

どこまでも広がっていくから。

ここにAIが引っ掛かりました。

個人がデータから特定されてはいけないって、分かり易い「お叱り」で。

まったく。

真面目なAIだから引っかかりましたけどね。

スマホ、ドラレコ(GPS)なんかは貴方の行動を位置情報として取っていますし、車載のカメラは無断で道端の人を録画しています。

えっ!位置情報だけでは個人の特定なんか無理でしょ。

なんてね。

甘いのですよ。

スマホやドラレコなんかには、シリアル番号ってのがありまして、簡単にイコール個人に行き着くのです。

車のナンバーと同じですよ。

まぁ、真面目なAIはデータ取得のために真面目に個人情報に向き合っているのでこんな騒ぎになりました。

AIが正しく作動するために必要不可欠なのは偏りの無いデータなんです。

 

データが取れなければ「張り子のトラ」なんですよ。

 

この倫理観に基づいた「個人情報の保護」。

この壁は厚くて高いのです。

これが1つ目。

2つ目は次回。

ではまた。

 

AIにとって「機械学習」は、ある種のブレークスルーでした。

今後の問題にもなにがしかの対応策が出てきて欲しいと思う反面。

今の機能ぐらいでちょうどいいんじゃないと思ったりしています。

 

 

痛烈な非難の根底に深い理解があると思います。

徂徠さんと仁斎さん。

なんともうらやましい関係。

 

こんにちはBJです。

今回は小説の話。

はい、最近1,540円で購入した小説。

「オリーヴ・キタリッジの生活」作者はエリザベス・ストラウト。

一言で表すとしたら。

 

毒だわぁ、この小説。

 

何とも「やりきれない話」が続いていく連作短編集です。

なにがやりきれないかって・・・・・

人が生活していく中で隠しておきたい事や秘めてきた想いが淡々と語られていきます。

舞台はアメリカの片田舎。

そこに住み着いている人達なんですけど。

何処に住んでいようが人の心に嵐が来ることがあるでしょ。

その一生に一回か二回、吹き荒れる嵐を淡々と語っていきます。

そのうえ、

 

まずいことに「共感」してしまう・・・

 

だって、語られていることが自分自身の環境や考えにすんなり馴染むから。

私だけではない、多くの人の共感を得る「毒」です。

振り返って見ればそうだよなみたいな、楽しくない思い出。

恨み、妬み、事故。

どんな家庭にも起こりうる小さな諍い。

 

そうなんですよ。

個性を持った人達が寄り集まって小さな集団をつくる。

そんな「家庭」と呼ばれているものが、無事に続くわけがない。

同じような生活だと言っても、同じではない。

皆と同じような生活だからとローラーでひき潰したような一般的な家庭と思いたくても、それは無理なんです。

 

小説の中では、さまざまな事件が起こります。

大きい事件だったり、事件とも言えない行き違いだったり。

やりきれないのは、解決したように思えた後も書いていることです。

本当に解決したの?って。

 

でも、生活は続く。

 

そんな感じ。

そこが辛いのです、けど。

そうなんですよね、生活は続いて行くのです。

主人公は、オリーヴですが短編の中で主役であったりわき役であったり。

時には、端役であったりします。

端役?

はい、思い出の中で語られるだけ、ほんの数行。

 

自分が飢えてるのをこわがってはいけない。

飢えをこわがったら、そのへんのおバカさんと同じになる。

 

これがほとんどです。

これって食べ物の話では無いと・・・・

なんとも素敵な小説です。

さすが、ピュリッツアー賞をもぎ取っているだけある。

お勧めします。

私と同じ毒を飲んでください。

毒の効き目は、かなり個人差があると思います。

この小説の読み方は、文庫本の「あとがき」に書いてあります。

用法を守って正しく服用して(読んで)ください。

 

でね。

いかにこの世が地獄かってことが分かります。

ではまた。

 

もう一つ読みたい本がある。

どうしようか考え中。

新書で買うか、古本屋で待つか・・・

 

 

文庫本を買いました。

1,540円(税込み)高いなぁ・・・

面白くなければすぐ古本屋行きです。

 

こんにちはBJです。

春めいてきましたね。

今回は、反省と今後の話です。

反省?

はい、「考える機械たち」を読むにあたって没頭しすぎないように軽い本を間に挟むことにしましたでしょ。

ところが、見つけ出したのは探していた「荻生徂徠」。

当然、こちらにも没頭することとなり頭の中はパンク寸前です。

そこで無理やり2つの本を共通項でしばりたいとか・・・・

 

なにやってんだ。

 

って反省してます。

まぁ、共通項として「型」を思いついたのは気に入っておりますが。

なんにしろ頭から離れてくれない訳でして・・・

 

特に「徂徠さん」。

なんか取り憑かれているような感じです。

「弁名」を読んでますけど、(内容は今後書く予定ですので置いといて。)

気になっていることがあります。

 

伊藤仁斎さん、私が「仁斎先生」とよく書く人。

この人の名前が随所に出てくるのですよ。

でね。

仁斎説を徂徠さんが否定するわけなんです。

パッと見には、論敵への強烈な糾弾なのですが・・・・

 

弁名を書いた頃は、徂徠さん50代です。

仁斎先生はすでに故人となっており両雄が面と向かって会談することは一度もありませんでした。

本当に残念です。

でも、当の徂徠さんはもっと残念だったようで・・・

二人で語り合いたかったのだろうと思っております。

だから、仁斎さんを頭の中に作り上げて会話をしていたのだと思います。

まぁ、仮想現実の仁斎さんってことでしょうか。

 

何でそう思うか。

だってね、弁名の中で「仁斎先生」と呼んでいるのです。

何度も何度も。

全部、仁斎先生の立ち上げた「古義学」への非難なんですけど。

だったら「古義学では」って書けばいいものを。

やっぱり「仁斎先生は」って名前で書いております。

 

私と対等に語り合えるのは伊藤仁斎のみ。

 

って宣言しているかのようです。

こう言う時間を超えた関係って憧れますね。

 

他方、AIに関しては、連日メディアで取り上げられております。

なにが正解かなんてわかりませんよ。

技術って、ある程度進化すると人間の生活なんて無視しますからね。

これは、前にも書きましたが。

 

AIに対する議論を止めないこと。

 

それだけが必須だと思っております。

賛否の議論が鎮火するとAIは地下に潜ります。

地下で淡々と作業を続けます。

それだけは許してはいけない。

AIは、常に白日の下で議論すべきです。

 

と言う事で今回は終わり。

ではまた。

 

ひょっとするとルシアベルリン以来の発見かも知れない。

そんな予感がしている文庫本です。

いや、楽しみだな。

 

 

ちょっと読みたい本が出てきました。

探しに行ってきます。

 

こんにちはBJです。

今回は、AIの話。

皆さんは、将棋・囲碁・チェスと言った勝負の世界をご存知でしょうか。

どれか一つぐらいは知ってますよね。

それでね、最近の新聞紙面での将棋や囲碁の××戦解説に

 

AIによる定石となっております。

 

みたいな言葉が出てくるのですよ。

これってどんな意味だと思ってます?

これまでの対戦をすべてAIに学習させて勝率計算により導き出したもの。

つまりは人が対戦したデータを読み込んだ結果?

違います。

それでは、人を超えられないし「AIの定石」なんて言えません。

じゃあ、どうやって新しい戦い方を発見したのか?

 

AI同士で対戦させた。

 

なんですよ。

AIが、「AI・A」と「AI・B」を対戦させてデータを取っていったのです。

チェスが例として出されていますが、なんと24時間前にはチェスを知らなかったAIが24時間後には4400万回の対戦を行い勝率の分析をしました。

はい、世界最高のチェスプレイヤー誕生です。

その勝率データをもとに現在の人間同士の対戦勝率を提出しています。

囲碁も将棋も同じです。

もう人間がAIと対戦して勝つ確率は極めて低いのです。

 

私が携わっていた通信SIですけど。

通信装置自体が勝手に通信のルートを設定していくという技術が開発されていました。

人が介在しなくてもいいのです。

故障時には、装置が勝手にルート変更などの措置を行ってくれます。

でもね。

故障の原因とかルート変更の理由とか「原因の追究」は人でした。

無制限にルートの変更をさせる訳には行きません。

つまり最終のルート管理は、人であるはずでした。

人間の管理限界が、ルート変更ロジックの限界であると思っていました。

 

でもAIがきました。

 

管理限界なんてありません。

どこまでも理論的に変更の原因を追いかけます。

人は、AIの指示のもと故障した装置を取り換えるだけ。

頭脳は必要ありません。

AIは、しゃべったり絵をかいたり音楽を作ったり・・・

いえいえ、そんな人の目につく影響など些細なものです。

普段は見えない仕事に恐ろしいほどの影響を与えています。

 

さて・・・

話をチェスに戻します。

どんな斬新なコマの打ち方であろうと盤面とルールは変わりません。

これが、「型」です。

AIの発見した「新手」は、いずれ人も気が付いたでしょう。

何十年先か、わかりませんけど。

でもAIは「今」発見しました。

これは、チェスにおける創造でしょうか?

 

熟練の仏師は、木の中に仏を見ています。

それを掘り出すだけ。

ミケランジェロも同じことを石を相手に行います。

AIの絵画は、無数のノイズから絵画を抽出します。

背後には、無数に増え続けるデータとエンコーダとデコーダの技術です。

いいのですよ、何言っているのか分からなくても。

それより、最後の決め手は貴方の指示です。

「シルクハットをかぶった猫、手書き風に。」

と言った指示です。

 

さて出てくる絵画は、貴方の癖や心情の偏りを加味した「絵」です。

これは、世界に一つの絵画になります。

これは、創造でしょうか。

 

仏師やミケランジェロと何処が違うのか・・・

作成時間が極端に短いだけです。

では、この場合の「型」は?

はい、猫とシルクハットです。

 

さて、AIの問題は、人間の定義に戻ってきます。

人間の定義する「型」は、重要なのです。

ではまた。

 

忙しいのですよ、この時期は。

でも忙しくないと「いいものが出来ない。」のも事実です。

次は「弁名」かな・・・

 

 

難しい言葉を好んで使う人達。

「その言葉って具体的にどんなことなんでしょうか?」

凄く嫌がられる元技術屋の質問です。

 

こんにちはBJです。

さて、前前回からの続き。

 

まずは、型を守れ。

 

から入ります。

前前回読んでいない人は読んでから戻ってねっと。

すごく大雑把なんですけど説明します。

型に込められた意味とか思想は、忘れられていくものだ。

ってね、分かっているのです。

でもね、型をぬきにして意味とか思想を伝えていくのは簡単ではありません。

何故でしょうか。

 

見えないしさわれないから。

 

なに子供みたいなことを言ってるんだ。

って、思ったでしょ。

思ってください。

大切な事の伝承には「見える触れる型」がとても役立つと言う事です。

だって、意味とか思想は個人の思いの中で変化するでしょ。

時代の中で変化していくでしょ。

でも型はね、忠実に真似をしていけば後世に伝えられます。

例えば、「能」「歌舞伎」「神楽」と言ったら分かり易いでしょ。

 

徂徠さんは、他の儒学者を型ではなく思想を伝えようとして失敗していると言っております。

だって、孔子さんが聖人なら「その思想を噛み砕いて教えられる思想家」はそれ以上の存在ではないですか。

 

お前らは、孔子以上の聖人か?

 

と糾弾しています。

なんと分かり易い。

 

理は形なし。故に準なし。

 

理とは、思想の事です。

思想とは、突き詰めれば「個人の見解」。

「個人の見解」なら人の数だけ思想が出来上がる。

そんなのをぶつけ合って正しいとか正しくないとか。

議論に勝っただの負けただの。

そんなものが、孔子さんが求めた「道」と言う定義にふさわしいか。

思想は言葉であって型がない。

見てすぐわかる基準が無い。

だから、百花繚乱の無駄花が咲く。

そう言ってます。

 

型が思想の原点となれば、間違えたり行き詰ったら「型」と言う原点に帰れる。

その原点が、礼楽刑政である。

原点があるから思想が、大きくぶれることは無い。

ってことです。

 

あれあれ、でも他の儒学の思想家たちも最初は型からも学んだのでは?

って、思いましたでしょ。

思ってください。

そうなんですが、時代が下るにつれて型の指導書における古字の解釈を間違っている、と徂徠さんは怒っています。

間違った解釈に立脚した思想に何の意味があるかと。

はい、徂徠さんが起こした「古文辞学」の核ですね。

 

この型を残すという考え方。

型から始めると言う考え方。

なんか繋がりませんか、あの最新技術に・・・・

 

すいません、まだ続きます。

ではまた。

 

無理やりかな・・・

多少は、無理があるかもな。

で、次回は「AI」に行きます。

 

 

ここまで強いとは・・・

言葉も無い。

歴史的な大勝利と言われてます。

これは記録に残しておかなければ。

 

私、今回の選挙。

「女性の勝利」だと考えています。

だらしのない男達をさんざん見てきた女性たちが、

 

ふざけるな!

 

と。

気概も意欲も感じられない男性政治屋を嫌と言うほど見てきた女性たちの怒りが。

なんかもう大爆発。

選挙は男のためにあるんじゃない。

っていう事実を突きつけたんじゃないかと。

女性票のほとんどは高市自民に入ったのではないかと思っております。

 

恐るべき女性の力。

 

私も期待しております。

はい。

ではまた。

今回は記録の為だけです。

316。

 

 

これを出す頃は、選挙中盤。

楽しいですね。

いろんな寒い話が多くて。

 

こんにちはBJです。

今回は、ちょっと真面目な話。

自分が考え抜いた説を世に問うとき。

筆者の気質が現れますよね。

例えば・・

デカルトさん、なんか妙にへりくだって書いてます。

パスカルさん、冷静そのもの。

プラトンさん、中期著作から豹変。(「ゴルギアス」あたりから)

結構、挑発的。

 

さて、我らが徂徠さん。

怒っています。

なんで怒ったように書くのか。

よくわからない。

もともと我の強い人で「私にひれ伏せ」みたいな気性だとは聞いています。

それにしても「弁道」の文章がね。

怒ったまま続くのです。

 

なんで分からないんだ!

 

って、感じで世の人達をバカ扱いしているように書いてます。

でもね。

なんか違うのですよ。(*この違和感、覚えておいてください。)

当たるを幸い手当たり次第に日本と中国の思想家をなぎ倒していきます。

それはもう気持ちいいほど。

でね。

ここが肝かと言う文章を見つけました。

 

道なるものは統名なり。

礼楽刑政およそ先王の建つる所のものを挙げて、あわせてこれに名づくるなり。

礼楽刑政を離れて別にいはゆる道なるものあるに非ざるなり。

 

なのですが、なんか訳わかんないでしょ。

よって私の超訳。

 

「道」ってのは国家を安定させるための方法が集まったものなのよ。

孔子さんが参考にした夏・殷・周とかの政治手段と言えばいいかな。

この手段って「礼儀を以て民衆に節度を教え、音楽と教育を以て民衆の心を整え、刑法を以て民衆の罪を防ぐ。これを政治の基礎とする。」(礼楽刑政)ということ。

これを全部合わせて「道」というのです。

この礼楽刑政を離れて「道」と言うのは無いのですよ。

 

ここが一番の肝なんですが、当然反論もありまして。

例えば国学者の本居宣長さんは、「一般人が国の安定とかの勉強をして何の役にたつの?」

なんて言っております。

でも、徂徠さんは見透かしていたように書いています。

 

「大なるものを立つれば、小なるものおのずから至る。」

 

国の安定と言う「道」を中心に置けば、生活の判断基準を持ったってことになる。

それが大事なのよねって感じ。

なんか名言の宝庫みたいな「弁道」なんですけど・・・・

けどね・・・・

礼楽刑政って「型(かた)」なんですよ。

そこに込められた意味とか思想は、時がたてば忘れられていくでしょ。

礼儀も音楽も刑罰も型を示しています。

思想とか意味はどう伝えていくのよ。

って、思いました。

思ってください。

ものすごく大雑把に言うと。

 

まずは、型を守れ。

 

なんですよ。

訳わかんないでしょ。

で、続く・・・

ウフフ。

ではまた。

 

模倣は創造に至るか?

これが架け橋になると思っています。

いや、こっちの話ですけど。

 

 

選挙か。

やっぱり選挙は面白い。

楽しんで参加しよう。

 

こんにちはBJです。

たわいもない話を書こうと思っています。

わが町には、有名な「回転焼き」があります。

*ただし他の街では有名ではありません。

○○饅頭というのですが。

この饅頭、白あんと黒あんしかありません。

たまに季節限定のあんこが出るようですが、それはそれ。

この黒白あんこのどちらが美味いかが良く論争になります。

 

あぁ平和だ。

 

新聞紙上いつも僅差で黒あんが勝ちます。

でね、私も食べてみようと買いに行きました。

よく人が並んでいるので場所は知っておりました。

と言っても饅頭をバクバク食う私ではないので、みんなが好きな黒あんでいいかと。

並んでおりましたら、私の前の若い女性が。

 

「白あん、2つ。」

 

と言うではないですか。

あれっ、黒は買わないのかしら・・・

並んで買っている人達の「たのみ方」を見ていると白黒両方を同じだけ買うか、もしくは黒を少し多めに買うかしておるのです。

 

白だけですか・・・・

 

黒だけ買おうとしていた私は、動揺してしまいました。

で、すぐ私の番です。

後ろには、まだ5人ほど並んでいまして。

熟考する時間はありません。

あたふたと

 

白一つ、黒一つ。

 

と言ってしまい、黒二つと言えなかったことを後悔するはめに。

一個120円(税込み)ですので白あんが美味しくなくてもビックリするような出費ではないと自分を慰めつつ店を後にしました。

で、まぁ白あんを先に食べて後悔を過去のものにしようと・・・・

歩きながら食べたのですけどね。

 

こりゃ美味いではないか!

 

塩味がね、抜群に白あんを引き立てているわけで。

白あんそのものも、あんまり甘くない。

なんか大人の味なんですよ。

饅頭で大人の味なんて言うのもおかしいのですが。

 

例えていうなら「ブラックコーヒー」。

 

黒あんは、思った通り甘いあんこで子供が喜ぶ味です。

これは「砂糖とミルクを入れたコーヒー」。

お子ちゃま味ですね。

ビールとコーラ。

簡単に言うと、そんな感じです。

ここから導き出される生活の戒めとは・・・・

 

試さないのは、人生の損だ!

 

と言う実にありきたりの教訓でありました。

時間稼ぎの白黒あん対比。

すいません。

ではまた。

 

なんですか、本を読むのが苦しくなってきました。

もう一冊、軽い本を読むことにします。

軽いと言っても重量ではありません。

 

 

ベネゼエラってそんなにひどくなってたの。

ぜんぜん知りませんでした。

知らないのも罪の一つでしょうね。

 

こんにちはBJです。

こいつは、年明けから縁起がいいわい。

なのですよ。

縁起がいいどころか、僥倖(ぎょうこう)であります。

なんと「荻生徂徠」を見付けてしまいました。

もちろん、古本屋です。(550円税込み)

去年の夏ごろから探し始めて古本屋巡りをしておりました。

どうしても本文を読みたかったのです。

 

「弁道」と「弁名」

 

原本は、漢文なので書き下し文の併用書ないかなって。

諦めておったのです。

そんな都合のいいものは身近に存在しないのではと。

概要は知っています。

弁道は、「道」についての総論です。

道と言っても道路ではありません。

いや・・・

ちょっと懐かしい。

 

すいません、弁道は道についての総論、弁名は各論と言えばいいでしょうか。

「道」と言う言葉の定義を知力を振り絞り文献を駆使して考える。

なんか凄いでしょ。

何のために?

根本の定義がはっきりしていないと思考がブレるからでしょう。

徂徠さんは、日本の儒学を起こした一人です。

「日本の」と言うところが大事なんですけど。

その頂点に行くために必要だったのでしょうね。

 

すでに弁道の前半を読みました。

それだけで知識の量に圧倒されています。

中国の古典が、これでもかと言うほど引用されています。

いや、本当に全部読んで理解したのかいと思うほど。

書き下し文でも私には古文ですので苦労しています。

が、楽しい。

 

おいおい、「考える機械たち」はどうした。

 

ですよね。

これがね、思った通り哲学的な話になっておりまして。

機械に意識はあるのかとか、機械に自己認識はもてるのかとか。

では、意識とは何?自己認識とは?

といった話です。

はい、思った通り面倒な話になっております。

こちらも楽しい。

 

しかし、私はうすうす予感しているのです。

この時代もテーマも違う2冊の本。

どこかで繋がってくるのではないかと。

単なる私の勘です。

 

はい、良くはずれる勘です。

 

まぁ、無理やり繋げることも可能かとは思いますが。

へへへ。

何しろ楽しい、時間が足りない。

この本達、数行読んでは「考え込む」の繰り返し。

これまた楽しい。

今年は良い年になりそうだ!!!

 

ではまた。

本を見つけた時の驚愕!

嬉しいではなくビックリでした。

この経験、諦めないことを肝に銘じましたよ。

 

 

おめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

いつもと変わらぬお日様ですが、今日は何となく神々しく思えます。

はい、単に気持ちの問題です。

 

今年も色々起るでしょうね。

 

気合入れて、かつ明るく乗り切りましょう。

憂いを秘めつつ明るさを失わない、そんな大人でいたい。

それも良いけど、さっさと本読め。

ですよね。

いや、ハードル高いのですよ。

まぁ、のんびりと急いで読みます。

 

では、今年もお付き合いのほどを!