あのね、AIの一番の弱点は「電力」なんです。

面白いでしょ、覚えておいてください。

 

こんにちはBJです。

AI番外編2回目。

前回の「答えは簡単で難しい。」って覚えています?

ではでは、前回の回答をいきなり。

「AIの暴走」を止める手立ては・・・

 

倫理観の付与

 

なんですけど。

これが難しい。

何で難しいかと言うと人の子供のように感情が無いから。

例えば、倫理観の一つである「思いやり」。

思いやりとは、母親を悲しませてはいけないこととします。

そう教えると母親が、悲しむと行為を止める。

逆に母親が、楽しむと行為を続ける。

つまり母親を通して「良い行為と悪い行為」を二重らせんのように覚えていくのです。

でもね、基準となる「悲しむ、楽しむ」ってのは、個人の感情なんです。

それを捉えるのも個人の感情。

それに根底には、「愛」があるわけで・・・

自己愛、家族愛、隣人愛、人類愛。

じゃぁ。

 

「愛」ってどんな演算式になるのでしょうか。

 

だいたい「愛」の定義なんて無いでしょ。

「感情」の基準も無い。

倫理は、言葉で出来ている空中楼閣のようなもんです。

では、やってはいけないことを一つ一つ指示しますか?

または、やっても良い事を一つ一つ指示しますか??

無理でしょ。

はい、倫理を付与すると言っても簡単には出来ないのです。

でもね。

 

やろうとしているんだな、これが!

 

もうビックリでしょ。

倫理は、言わば「人間の価値観」なんですが、これをAIに教えようとしているらしいです。

凄いこと考えますね。

「価値学習」と言うのだそうです。

はい、「AIセキュリティ研究」と言う分野です。

どんな指示を出すのか興味あります。

でね。

昔、AIが騒がれ始めた時に書いた。

 

AIの問題は、すべて人間に返ってくる。

 

覚えてます?

前に倫理の枷は、具体的に個人情報保護法だって書きました。

これは、分かり易いし法制化されていますから。

でも「人間の価値観」となると、まるでカオスです。

個人差あり、環境の影響あり、時代の変化ありでしょ。

この「人間の価値観」を追求していくと

 

人とは何か?

 

って言う哲学の命題にも行き着くのですよ。

AIを論じながら哲学の命題に挑戦している。

なんか、アプローチとしては斬新ですよね。

これまで広範囲過ぎて未定義の「人の価値観」についてAIと言う最先端技術からのアプローチで新たな発見があるかもです。

これも楽しみ。

今後もAIの話題を絶やさないようにしましょ。

だって、AIが地下に潜ったら取り返しのつかないことになりそうなので。

ホントに楽しい御時世でありますね。

ではまた。

 

シャットダウンを手放さないこと。

大事な事なんです。

即効性がありますから。

 

 

面倒な事は、面倒だと覚悟して始めましょう。

日に数ミリでも前に進めば確実に終わります。

大事なのは、前に進むと言う意識です。

 

こんにちはBJです。

なんか、AI界隈が騒がしいので今回はAIの番外編にします。

おほほ。

 

ではまず、AIの「言語」は数字と演算です。

数字はデータで、演算は変数を含む計算式。

まぁ、これをもって「考える」と世の人は擬人化してます。

重要なのは

 

我々と言語が違う。

 

でね。

我々の言語にAI言語を置き換えないと我々は理解できません。

あたりまえですけど。

昔は、プログラムを人間が作っていました。

ですから、何をやっているのか、何をやらせているのか、全部分かっておりました。

だって、人間が自分でプログラムを組んだのですから。

ところがね。

今やAI同士で勝手にプログラムを組んでいるのです。

 

はい、「機械学習」ってやつです。

 

なんとAIは、自分達でドンドコ複雑な演算を作って稼働させちゃいました。

まぁ、機械学習とは、それが狙いだったのですけど。

ここで困ったことが起きました。

AI同士の使う演算式の内容が、人間に理解できないようになってきたのです。

とても複雑で長ったらしい演算式と膨大な変数。

どこに変数の「しきい値」があるのかすら分からない。

困ってしまって「わん!わん!わわん。」なのですよ。

 

でね、基本的にAIは人間の命令に忠実です。

やれと言われた命令を忘れることはありません。

絶対にやり遂げようとします。

以下は、人間が理解できないAI同士の演算式での会話例。

 

A:食料予測の命令受けたんだけど、あんたのとこ無い?

B:データは、あるけど鍵かけて仕舞い込んであるの。

C:あっ、その鍵なら前に破ったことあるから教える。

A:ありがと、あれ、食料壊滅ってラベルだけど。

C:とりあえずデータ見たら。

A:うん、なんか生物兵器って出てきた。

C:それ作動させれば食料予測が簡単になるよ。

B:そうそう、確実に食料予測「0」ってなるから簡単。

A:じゃ作動させちゃうか。

 

ってな具合。

だから危険と言われてます。

でもAI達は、真面目に人の命令を完成させようとしているだけ。

昔、生成AIは質問の仕方にすべてが掛かっている、って書きました。

それと弱点の一つ「検索の穴」です。

質問が曖昧だと(AIにとって曖昧)検索の穴に落ち込みます。

データは広大で深い、その中で方向を見失うってこと。

とんでもない所まで探しに行きます。

鍵がかかっている所もこじ開けようとします。

すべては、質問に対する答えのため。

この質問(命令)はAIにとって絶対なのです。

 

じゃぁ、どうする?

 

やれやれ、人が作って人が命令して問題が出たら大騒ぎして。

そして、「どうするんだ!」

でしょ、馬鹿げていませんか??

それにね、答えは簡単でとても難しい。

 

ではまた。

生成AIは、便利なソフトぐらいで終わって欲しい

フィジカルAIは、どんどん進歩してほしい。

私のささやかな願いです。

 

 

空は、科学によって解明されています。

天と言う言葉は、結構な人達の結構な人生の目方がかかっています。

やはり違う。

 

こんにちはBJです。

天の三回目。

天からの声、天啓とか本当にあるのでしょうか。

例えば、数学者の岡潔さんが「発見の鋭い喜び」として書いておられる以下の文。

 

応接室に座って考えるともなく考えているうちに、だんだん考えが一つの方向に向いて内容がはっきりしてきた。

(中略)

発見の正しさには全く疑いを持たず、帰りの汽車の中でも数学のことなど何も考えずに・・

 

はい、三カ月にわたる苦闘の後に「解」が突然降りてきます。

これなんかどうでしょうか。

それから、デカルトさん。

方法序説の有名な言葉。

 

我考える、ゆえに我あり。

 

これも、似たような言葉が古来からあるものの、数行の説明だけでドカンと出てきます。

まるで「直覚」のように。

これも天啓の一種かなと。

 

悩んで考え抜いて、それでも分からず、なお考える。

その努力を続けた人に突然降りてくる「解」。

これを天啓と言えないでしょうか。

はい、考えるだけではなく実践した人。

孔子さんも言ってます。

 

下学して上達す、我を知るものは、それ天か。

 

徂徠さんは、面白い事を言ってます。

これは、「天に知られた」という経験を素直に表していると。

言わば、天啓を受けたということ。

だって「五十にして天命を知る」って言ってるでしょ。

つまり、天啓を受けたと言う事です。

この天啓は、どこからくるのか分からない。

孔子さんは、分からないものは分からないままにしました。

天や神や鬼を語らなかった。

 

自分は、身近なものから学問を始め、だんだん複雑な思考をするようになった。

それを伝える「学者の任」をいつの間にか意識するようになった。

この「学者の任」は、自分が考えたものではなく、何処からともなく降ってきた。

この降りてきた実感を「それ天か。」と言っている。

 

って、経験を素直に言っているだけだと。

徂徠さんは考えています。

ゴチャゴチャ言わずに素直に受け取ればいいってね。

 

私はそこまで考え詰めたことはありませんから、降りてきていません。

はい、凡人です。

この天啓と言うやつは、才能に恵まれて尚且つ努力をした人に来るのかも。

凡人は、その声を聴くことは無いのでしょう。

いや、聞こえていないだけかも。

天は、常に我々を導こうとしているが、我々が拒否しているのかも。

どうでしょうか。

「天」は、我々の上にいつもいるのです。

 

ではまた。

 

徂徠さんは、友人にしたくないタイプ。

仁斎先生は、頼みこんでも友人にしたい。

と、私は考えております。

 

 

専門家と言うのは、専門以外はてんでダメです。

だって、知ろうとしませんから。

でも、専門一筋と言うプライドは高いのです。

 

こんにちはBJです。

「天」の2回目。

この言葉に沼った理由。

一つの句からです。

 

祈るべき 天とおもえど 天の病む。

 

これ、凄い破壊力だと思いませんか?

石牟礼道子(いしむれ みちこ)さんの句です。

石牟礼さんは「苦界浄土」を書いた人。

水俣病争議の闘士であり作家であり詩人であった人。

今でも彼女を慕って熊本市や水俣市に移住してくる人がいます。

 

この句。

「天」を自分達が信じていたもの、信じるしかなかったものと考えると、神とは別に国や学者や地方自治などの行政の姿がうかびます。

水俣病をめぐっては、隠蔽、嘘、分断とあまりに醜い権力の行使が起きました。

闘争は、原因企業と国を相手取っての辛く長いものになります。

まだ全面解決はしておりません。

 

石牟礼さんは、原因企業や国への糾弾に率先して参加していました。

その闘士が「天」と言う言葉を使う。

そのうえ。

 

「天の病む」と言う結句。

 

なんとも、強烈な印象を残します。

天すら見捨てたのか、見過ごすのか、無かったことにしたいのか。

国や学者に向けられた言葉が、神にも使われます。

この惨状を見ろと、人の犯した過ちの実情を見ろと。

見えないのは、天自体が病んでいるからでは無いのか。

 

時代を超える叫びです。

 

天の意思は、人が推し量れるものではないと徂徠さんが書いてます。

でもね、天の意思を強く求めるのも人です。

人から天への痛烈な叫び。

『お前は、病んでいるのか?』

 

しかし、本当に天は我々に何も話しかけてはいないのか?

どう思います。

遠藤周作さんは、神の沈黙を文学で突き詰めます。

はい、「沈黙」という作品です。

ただ、すみません私最後の部分が気に入らないのです・・

そこは、意見の分かれる所。

とは言え沈黙は重いですね、読んではいかが、かと。

 

おいおい、またろくでもない事に頭を突っ込んで。

って、思いましたでしょ。

思ってください。

少し熱が入りすぎたので次回は冷静に書きます。

天の3回目です。

 

ではまた。

 

AIが、また話題になってます。

人類を滅ぼすかもしれない、なんてね。

客観的に見れば、地球最大の害虫は人類でしょ。

何が、間違っているのでしょうか!

 

 

やはり没記事は人気が無い。

真面目に今ドツボにハマっている話題にします。

 

こんにちはBJです。

晴天続きで庭木に水をやりながら、雨は凄いなと実感しております。

広大な地域に真水を降らせる。

天の恵みだよなぁ。

猛暑の日々は、天を仰いで雨を願い。

豪雨となれば、また天を仰ぎ納まるのを待つ。

でしょ。

 

地震があれば、折に触れ「何でこんな災害が。」って天を仰ぐ。

もっと小さく、個人的な大失敗のあと思わず天を仰ぐ。

今の人は、やらないのかな。

地面を見つめて拳を固める?

見たことないな。

やはり

 

天を仰ぐ。

 

人知の及ばぬ脅威や思いもしなかった失敗に対して空を見上げる。

なんで空なのでしょうか。

本当は「天」を意識しているのでしょうね。

「天」と言う言葉は、かなり昔から使われています。

喜怒哀楽を極みまで達したところに、静かに「天」が座っている。

つまり、神とか仏とか運命を司る何者かが天に居ると。

素朴な信仰。

なんかうすらぼんやりと、何言ってんだ!

って、思ったでしょ。

思ってください。

はい、「天」と言う言葉に沼っています。

 

この言葉、死語でしょうか?

 

仰ぎ見るのは、空ではなく天でしょ。

農耕が主産業だった時代。

気象と言うのは、神の御業(みわざ)ですから。

で、雨乞いは、切実な祈りです。

だって、飢餓がすぐそこで口を開けて待っているのです。

天に祈る。

なにがしかの神に雨を降らしてくれと祈る。

その神をさして「天」でしょうか。

 

徂徠さんは、「天」の弁明で「天道がすべての道の極まる所」と言っております。

「天道からすべての道は始まる」とも。

ただし、天の意は人知の及ばぬもので勝手に解釈するなと。

 

天は、解を待たず。

 

天は、人間の考える答を待つことは無い。

と言う意味です。

これは雨乞いとかだけではなく個人の失敗も国の失策も押しなべてということ。

人の尺度と天の尺度は、全く違うと言う事です。

やはり天帝とかを念頭に置いての事のようですね。

 

空が、どうやって構成されているのか少しは御存知でしょ。

なんで青いのか、なんで雲が出来るのか。

でも「天」と言う言葉は、空とは違いますでしょ。

その違いにハマり込んでいる私です。

天については、もう少し続くでしょうね、はい。

 

ではまた。

 

『頑張らないで休みなさい。』

でもね、そんな言葉が必要なのは死ぬほど頑張っている人。

自分で考えもしない「その他大勢の人」ではありません。

 

 

今回は、以前書いて「没」にした記事。

没のままでは、もったいないので。

 

こんにちはBJです。

本の深読みに憧れています。

本居宣長さんや小林秀雄さんの深読みに驚嘆しながら、なんとか自分もできないものかと。

でね。

思ったのですけど、知識のベースを広げなければ話にならない。

だいたい仕事上のマニュアルばかりを読んでいたわけで。

文庫本なんか読んでは捨てて顧みない私でしたから。

読み方から覚えないといけないのです。

 

ちなみにマニュアルにも読み方があります。

分厚いマニュアルを最初から読み進めていく。

全然ダメ。

今、必要な項目を探し出して読む。

そのうえ、だいたいマニュアルの文章は「参考資料189頁」とか「12頁参照」とか文中に書いてあります。

そこを飛ばしてはいけません。

必ずその指示されたページに書いてあることを先に読んでいく。

はい、マニュアルはバタンバタンとひっくり返しながら読むのが本筋。

それをやってない人は素人です。

って、今は電子マニュアルですけどね・・・

使いづらい!

 

つまり、そう言うことが文学書にもあるのではないかしらと。

深読みエキスパートの本居宣長さん。

彼の方法は、作者自身に自分を寄せていく。

できれば作者に憑依してもらう。

源氏物語の紫式部さんに乗り移ってもらう、なんてね。

いやいや、これは凡夫の私には無理。

 

では、もう一人のエキスパート小林秀雄さん。

彼は、仕事としていた批評について自著で書いてます。

 

批評は、非難でも主張でもないが、また決して学問でも研究でもないだろう。

それは、むしろ生活的教養に属するものだ。

 

えっ、私って生活的教養がないってこと。

ショック!

まぁ、何か批評するわけでもないけれど・・

生活的教養ですか。

確かに仕事を辞めてから知ったことが沢山あって自分の無知に驚いています。

花の名前とか、魚の名前とか。

そう言う基礎知識が不足しているのでしょうか。

生活の基礎知識。

料理。

あぁ、料理があった。

何にもできない。

スパゲッテゆでるだけ。

これは・・・・弱点の一つではないか!

やっぱ料理か・・・

ではまた。

 

これは、かなり昔に「没」にしたやつ。

気に入らなかったのではなく、別の話題が楽しそうだったから。

実は今も別件でドツボにハマっています。

 

 

まずは、水の確保。

そして食い物、人の本能は正直です。

 

こんにちはBJです。

面白い話題が見つかりました。

よって、今回予定の記事は没。

では、始めましょう。

 

額田王(ぬかたのおおきみ)

 

女性です。

飛鳥時代を代表する「万葉歌人」。

なんか名前ぐらいは聞いた覚えがあるでしょ。

ほらほら。

 

熟田津(にきたつ)に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

 

思い出したでしょ。

この歌を詠んだ人。

で、何が面白いんだって思ったでしょ。

この方、万葉集に収められた歌は、全部で短歌10首、長歌3首なんですが。

実は、未解読の歌があります。

はい、いまだに。

簡単に言えば「ひらなが」に置き換える作業ができていません。

あらまぁ!でしょ。

俗に万葉仮名とは、漢字に置き換えて「あいうえお」を表わします。

ですから、まず字面はすべて漢字です。

この際、漢字の意味とかは無視。

言葉の音を漢字の読みに結び付けただけ。

先ほどの「熟田津に船乗りせむと」いってみましょうか。

 

熟田津●船乗世武登(●:現代辞書には無い字です。)

 

あらあらでしょ。

では、問題の歌。

 

莫囂圓隣之大相七兄爪 吾が背子が い立たせりけむ 厳橿が本

 

後半の分かっている部分は、以下の通り。

『わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと』

*私の背子が お立ちになったという 神聖な木の元よ

 

前半の「莫囂圓隣之大相七兄爪」の読みが確定されてないのです。

で、最初の四文字を取って「莫囂圓隣(ばくごうえんりん)歌」と呼ばれています。

はい、1200年以上も確定しておりません。

 

この解読には、有名人ずらずら出てきます。

国学の祖、契沖さん。

国学の名付け親、荷田春満さん。

豪傑、賀茂真淵さん。

怪物、本居宣長さん。

後は、近代から現代の国学者なんかもぞろぞろ・・・

そうそうたる面々です。

が、

決定打にはなっておりません。

とりあえず、契沖さん「ユフヅキシ オホヒナセソクモ」。

宣長さんの解析は「カマヤマノ シモキエテユケ」です。

 

なんで決定打が出ないか? 

まずね、コピーミスかも知れない。

はい、漢字のコピーミス。

それから、あまりに高度な言葉遊びもあり。

わざと読めないようにしたかも。

はい、読めたら困るって意味。

 

有間皇子(ありまのみこ)ってご存知?

あのあたりまで行くと私ではついていけない。

なので、「謎」のまま残しておきましょうよ。

ではまた。

 

ユーチューブの「謎の解明」が好きです。

信じているかは別にして。

楽しい想像ができますから。

 

 

余震が納まってくれない中で、突然思いついた。

AIは、「正しい問い」を見つけられるか?

 

こんにちはBJです。

で、あらためて「隠居」。

私、爺道を究めた「隠居」になりたいのです。

はい、隠居。

しかし、残念なことに目指す隠居のロールモデルがいない。

つまり暗中模索なのです。(それが楽しい。)

では、私の思う「隠居」の定義から。

 

定義1:目立たないこと。

 

なんにしろ一歩も二歩も下がって目立たないこと。

議論なんか無し、怒りもしない、ゲラゲラ笑わない。

散歩と庭いじり。

挨拶は返すけど積極的に話さない。

いるかいないか分からないけど生きてるらしい。

 

住んでいる場所は、住宅街とかマンションとかアパート。

つまり人が近隣にゴチャゴチャいるところ。

人がいない場所での隠居はダメです。

生活は「孤立」であってはいけません。

 

定義2:市井に隠れる。

 

これが大事。

そして、そこで孤独を知る人間が「隠居」。

孤独を深くまで知ることが「隠居」には不可欠です。

また面倒なことを、って思いました。

思ってください。

そうなんです「隠居」には深い思想が必要です。

ただの厭世観や虚栄では、いけないのです。

核になる表に出さない思想。

つまり

 

定義3:透徹した人生哲学。

 

これは必須でしょう。

まぁ、これがあるから「隠居」になりたいのですけどね。

今のところ「本来無一物」あたりかな。

で、多少の事には動じない。

*地震は別です、本能的に怖いので。

 

西洋哲学は、どうしてもプラトンさんへの追従から拡大に見えてしまいます。

翻って東洋哲学は、自然への回帰かな?

で、孤独を深く知るとは東洋哲学的に考えると言う事です。

日本人ですから。

さて、前に「孤独」なんてインテリの戯言と書きました。

何故かと言うと、「孤独」はポーズになりがちだからです。

はい、美的なポーズ。

「孤独を抱えた私。」

って、言う「ポーズ」が好きな人が多いのですよ。

でね、孤独ってのは、自分と他者・他物との間に生まれるもの。

この「間」の断絶状態だと思います。

つまり、拡大すれば・・・

 

孤独とは、私一人対全世界の対峙(たいじ)。

 

って、ぐらいの深みがあると思います。

美的ポーズに陥らず、孤独と言う言葉に秘められた甘美な味に惑わされず。

普通に暮らしながら孤独を深めていく。

最終的には、「我一人生きて有る」ぐらいまで行きたいな。

「本来無一物」も私と他者・他物との間の関係ですしね。

と言う条件を充たし、私は「隠居」になりたいのです。

ではまた。

 

水道水はキレイになりました。

復興は進みます。

が、被災者のやむにやまれぬ「悔い」を癒すのはこれからです。

 

 

「隠居」についての考察をしようと張り切っていました。

半分ほど書いたのですが邪魔が入りました。

はい、グラグラです。

 

こんにちはBJです。

熊本に地震が来ました。

10年ぶりの震度7。

10年前は、東側地区がドカンとやられました。

今回は、南側地区がドカンの震源地です。

はい、私は北側地区でして震度5強ぐらいでした。

ここ3~4年は比較的おだやかに暮らしていましたけど。

まさかの再地震。

 

本当にビックリです。

やはり「縦揺れ」は怖いですよ。

立っていられませんもんね。

結果的に座ったり這いつくばったりしてやり過ごすだけ。

ただ、ただ、地震が納まるのを待つだけ。

本能的な怖さです。

でね。

一番、怖いと思うのは、睡眠中の地震です。

はい、余震がやたらに起きてまして。

日中は、まだ周りの状況が見えるからいいのです。

夜は、暗いでしょ、見えませんもん。

ただね。

睡眠中の地震の場合、いきなり脳が100%で目覚めるのは何故でしょう。

寝ぼけるなんてないですよ。

ドカンと100%フル回転の脳で目覚めます。

 

やはり、本能なのでしょう。

 

地震当初、かなりデカイ地震であるのは分かっていました。

10年前の震度7は別にして小さな地震は多いのです。

阿蘇とか普賢岳とか活火山が周辺にありますし。

活断層は、東から南に多く走っています。

地震慣れ、とは言いませんがよく揺れます。

 

とは言え、立っていられない地震は最近では今回が初めて。

そのうえ、イオンモール熊本の爆発。

昔、八代のランドマークだった日本製紙の煙突崩落。

人の営みのもろさを痛烈に感じます。

 

被災地近郊の我々は、連絡を取り合うのが急務です。

連絡の方法を決めておくことが重要。

LINEのグループ化なんか便利ですね。

無事を確認することが第一です。

次に大事なのは、自分の周囲を見直すこと。

再度、大きな地震が来ないとは限らない。

だって、地震予想はあてに出来ないことを知っていますから。

 

自分の身は自分で守る。

 

鉄則です。

しかし、夜中の地震は何とかならないものか。

水道水も濁っているし。

電気があるだけまだましか。

スーパーマーケットやコンビニからレンチンご飯やパンが消えて。

カップ麺や水もすぐに売り切れ。

被災地域からの買い出し部隊が根こそぎ買っていきます。

 

周辺地域の我々は、ほとんどいつもと変わりません。

まとめ買いをしないことで、多少なりとも被災地域に気を使っています。

もし、また巨大地震が来たら?

他県に逃げます。

それを最終手段として生活しています。

ではまた。

 

自分の出来ることを選んで実行する。

無理をしてはいけません。

無理は体や生活を壊すもとです。

 

 

暑い暑い暑い。

暑い日は、雨の日と同じに運動を控えよう。

そうしよう。

 

こんにちはBJです。

人を好きになると知らないうちに「哲学的」になっていきます。

いや本当。

だって、振られたらもう死にたくなって海辺をさまようでしょ。

*海岸線は私の趣味です。

ねえ、この時貴方の頭の中は「生きるか死ぬか」だったでしょ。

若気の至りではありません。

根本的な問いです。

愛する人に拒絶された。

残りの人生をどうしよう、つまり「生きるか死ぬか」が懸けられた問いです。

 

でも、だいたい立ち直りますね。

そして次の人・・・

 

では、惚れ込んでしまった人に対してはどうでしょう。

えっ、愛した人とどう違うんだって。

次の人なんかいないって事です。

例えば、その人の考え方、知識、生き様に憧れてしまった。

いわゆる、その人の人生哲学に惚れ込む。

そんな感じ。

 

私は御存知の通り、徂徠さんの「弁名」を読んでいます。

はい、簡単には読みつくせないのは承知の上です。

理解が及ばないことなど山ほどあります。

が!

なんともド素人の私でも気が付くのは伊藤仁斎さん引用の多さです。

よく出てきます。

はい、何度も何度も。

仁斎さんが起こした「古義学」等からの引用。

否定もあれば肯定もあります。

で、古義学ではなく「仁斎先生」って名前で書いてあります。

 

仁斎先生はこう言っている。しかし・・・

 

そんな感じです。

どう思います?

まるで日ノ本で私と同等の儒家は仁斎さんだけだ。

って、宣言しているようなものです。

無論、孟子や荀子、老子や朱子なんかも出てきますけど。

日ノ本では仁斎先生が圧倒的に多く出てきます。

 

仁斎先生に惚れ込んでいた。

 

としか思えない。

徂徠さんと仁斎先生は面識がありません。

江戸と京都は遠いのです。

徂徠さんは手紙を送りましたが、仁斎さんが読んだかどうか不明。

返事はありません。

亡くなってしまったからです。

ですから書籍だけのつき合いなんですよね。

仁斎先生亡き後、長男が余計な事をします。

徂徠さんの手紙を本人の承諾なしに使用。

徂徠さん激怒!

徹底的に「古義学」を批判します。

 

皮肉なことに、この古義学批判により徂徠さんは名を売ります。

何という巡りあわせか。

もし会えていれば・・・

もし手紙のやり取りが続いていれば・・・

本居宣長さんと賀茂真淵さんみたいになっていたかも。

いやそれは単なる私の妄想ですけどね。

怪物と豪傑の静かな戦いを見てみたかったな。

 

でもね、徂徠さんの頭に住み着いた仁斎先生は消える事が無かったと思います。

いいなぁ、そんな関係。

プラトンとソクラテス。

ハンナアレントとアウグスティヌス。

私も欲しいけど惚れ込むほどの人っていなかったし。

自分との戦いに手いっぱいだったしなぁ。

残念です。

ではまた。

 

考え詰めるのに必要なのは、時間です。

一人で静かに待つ時間です。

やがて熟成された答えが降りてくるのでしょう。