(臨時営業)改めてザ・ビートルズ商法(「ホワイト・アルバム」の巻)
2018年9月25日(火) この間の韓国最大のニュースと言えば、(現政権)2度目の南北首脳会談が北朝鮮の平壌で行われたことだと言っていいだろう。ちょうど今日は米韓大統領がNYで会談を行い、韓国の大統領はまるで北朝鮮から送られた「特使」であるかのように(★)、米朝の更なる歩み寄りや朝鮮戦争の終戦宣言へ向けた動きを求めるなど、北朝鮮にとって(?)重要な役割を果たしたばかりである。しかし実態としては、シンガポールでの米朝首脳会談や2度にわたる南北首脳会談が開催されはしたものの、北朝鮮による非核化の実質的かつ具体的な動きは為されていない状況であり、韓国政府が北朝鮮への制裁解除等に向けて積極的に動く姿勢のみが突出して目立っていると言っていい。 これは両親が北朝鮮出身者であり、側近に親北朝鮮を標榜する「元」運動家などを擁する現政権の動きとしては当初から予想されていたことで、加えて法定最低賃金アップなど大統領主導の経済政策の不調で支持率の低下を招くなか、いわゆる「北風」(民族統一など北朝鮮との宥和ムードなどによって支持率が上がること)に乗って国民からの支持を回復しようという意図が透けて見える。 一方の米国大統領にしても、いわゆるロシア疑惑や元側近の相次ぐ背信などで政権運営に翳がさすなか、11月の中間選挙を睨んでなんとしても北朝鮮問題での成果を誇示しなければならず、目先の利益のためには北朝鮮にある程度妥協・迎合せざるをえない台所事情がある。 本来は北朝鮮側による非核化に向けた具体的な行動こそが各種制裁解除の前提条件であるはずだが、是が非でも現在の苦境から脱したい米韓両首脳が、具体的な成果なしでも制裁解除などの実質的支援に踏み切り、(これまで何度も騙されて来たように)改めて北朝鮮の手玉に取られる蓋然性は決して小さくない。朝鮮戦争の当事者であり、過度な米朝接近を危惧する中国や、東アジアにおける覇権を目指すロシアにしても、制裁解除を進めて北朝鮮との関係を深め、周辺地域での主導権を確保・強化したいところだろう。 そうしたなか、国内向けにも拉致問題解決という課題を抱える日本にとって、米国が直接被害を受けるICBMの廃棄のみで米朝が手打ちをし、実質的な非核化が為されないまま北朝鮮が野放しになるような事態は避けたいところだろうが、上記の通り自らの足元固めのためには選択の余地がない米韓両首脳と、その背後で最大限の利益をあげようと虎視眈々としている北朝鮮の利害が一致すれば、どのような結果になるか予断を許さないところである(こうした流れに押されてか、日本の首相は国連演説で北朝鮮首脳との会談への意欲を示した)。 それにしても歴史は繰り返すというか、人間というのはつくづく過去の教訓に学ぶことなく、目先の損得に足をすくわれてしまう場当たり的な存在であることを改めて痛感させつつある日々である(その後、この間の米韓首脳による北朝鮮を巡る様々な言動は、当初の危惧通り、結局単なる「茶番」に過ぎなかったことがあらわになった)。* さて、今回はこれまで何度も採り上げてきたいわゆる「ザ・ビートルズ商法」の続報である。 《過去の記事は→https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041066.html https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041814.html https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041889.html》 内容は昨年の時点で既に予告されていたもので、今年発売50周年を迎える2枚組アルバム「The Beatles」(通称「ホワイト・アルバム」)のリミックス盤というものである。詳細は以下のアドレスを参照いただきたいが(https://www.universal-music.co.jp/the-beatles/news/2018-09-24-release/)、やはり昨年発売50周年を記念してリリースされた「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」50周年記念盤(ちなみに今年の6月からGEO等で一部がレンタル開始された)と同じく、1968年発売のオリジナル・アルバムをリミックスした上、デモ音源や録音時のセッション音源などを追加したもので、今回は4種類のフォーマットで発売される。 フォーマット別に概要を記しておくと(上の写真は以下の順)、①スーパー・デラックス・エディション<6CD +1ブルーレイ(音源のみ)+豪華本> 国内盤¥21,060(税込) ◇CD 1&2 ホワイト・アルバムの2018年版ステレオ・ミックス ◇CD 3 イーシャー・デモ(ジョージ・ハリスンの自宅で収録されたアコースティック・デモ)全27曲収録 ◇CD 4 & 5 & 6: スタジオでのセッションを全50曲収録。 ◇ブルーレイ(音源のみ) 1.アルバム・ミックス(ハイレゾ・ステレオ) 2.DTS-HDマスター・オーディオ 5.1アルバム・ミックス 3.18ドルビーTrue HD 5.1 アルバム・ミックス 4.モノ(オリジナル・モノ・ミックスからのダイレクト・トランスファー) 他にブックレットや写真、ポスター等②3CDデラックス・エディション 国内盤¥3,888(税込) ◇CD 1&2 ホワイト・アルバムの2018年版ステレオ・ミックス ◇CD 3 イーシャー・デモ③4LPデラックス・エディション 国内盤¥15,444(税込) ◇LP 1&2 ホワイト・アルバムの2018年版ステレオ・ミックス ◇LP 3&4 イーシャー・デモ④2LPエディション 国内盤¥6,943(税込) ◇LP 1&2 ホワイト・アルバムの2018年版ステレオ・ミックス また今回の商品「ホワイト・アルバム」リミックス盤に関しては、以下で動画が公開されている。 https://www.youtube.com/watch?time_continue=17&v=1dhy26KIOEI https://www.youtube.com/watch?v=Ve1vaEIXhV0 (上の動画の日本語字幕付き→https://www.youtube.com/watch?v=k56IOyv0AzM) さらに「ホワイト・アルバム」1曲目である「Back In The U.S.S.R.」の新ミックスが以下で公開されている。 https://www.youtube.com/watch?v=nS5_EQgbuLc ついでに同曲のイーシャー・デモ版なども。 https://www.youtube.com/watch?v=wqx6qP92QSQ イーシャー・デモ https://www.youtube.com/watch?v=zAV-vc5FtUI インストゥルメンタル・デモ (後日追記) やはりアルバムの1曲ジョージ・ハリソンの「While My Guitar Gently Weeps」も新ミックスやイーシャー・デモ版等が公開された。 https://www.youtube.com/watch?v=zOKGcEfSwnY 新ミックス https://www.youtube.com/watch?v=qV-VSV0Utig イーシャー・デモ https://www.youtube.com/watch?v=xyZIanQ_Pmc 初期アコースティック・デモ さらに「Glass Onion」も追加された。 https://www.youtube.com/watch?v=aBQIAWh3YBs 新ミックス https://www.youtube.com/watch?v=XFqMjR0JWAI イーシャー・デモ https://www.youtube.com/watch?v=Pcn2ryA9rgM テーク10 その後、全ての曲がYoutubeで公開された。 https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_mMcxAy3_NLEnsuSq9I_qWIONOpdRfWlWw 細かく聴いた訳ではないが、これらの新リミックスを聴くかぎり、今回は全体に細部がきれいに聴こえるようにした上、ヴォーカルは音を大きめ、楽器は抑えめにしているという印象を受ける。昨年の「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」50周年記念盤もそうだったのだが、細部がよく聴こえるというのは一見良いことのように思えるが、実際は余りに情報量が多すぎて曲がガチャガチャとうるさくなった印象を抱いてしまいがちで、むしろ以前のヴァージョンの方がすっきりしていて聴いていてストレスが少ない。 またYoutubeでのコメントを読むと、左右に偏りがちだった楽器やヴォーカルの配置を中央に持って来ることを良しとする意見が多いのだが、個人的には必ずしもそれがいつも望ましいとは思えないでいる。音のバランスが中央に集中してしまうことで、全体の印象がのっぺり平板に思えてしまう傾向が強いのである。むしろ適度に左右に音を分配している方が音楽的な広がりが感じられる場合も少なくない。 まだ2曲をざっくり聴いただけなので明確なことは言えないが、新ミックスで曲の新たな側面を見ることが出来ることは確かなのだが、果たして比較的完成度の高い後期のアルバムについて新たなミックスを増やすことが望ましいのかどうか、依然として疑問の方が大きい。(追記ここまで) 上の宣伝サイトにおける謳い文句を2つほど挙げておくと、《2017年に発表され、全世界で高い評価を受けた"Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band"の一連のアニヴァーサリー・エディションと同様、"The White Album"も、今回のアニヴァーサリー・エディションで、まったく新しい作品に生まれ変わっている。》《「"The White Album"をリミックスする際、僕たちが心がけたのは、ザ・ビートルズがスタジオで奏でていたそのままのサウンドを届けることだ。」これは、ジャイルズ・マーティンが今回のパッケージに寄せた序文の一節だ。》 あえて難癖をつけるなら、アルバムをリミックスしたくらいで「まったく新しい作品に生まれ変わ」ることなどありえないし、所詮は音の大小やクリア加減、バランスなどが異なるだけで、言うまでもなく「同じ作品」でしかない。だから余程のマニアでもない限り、従来のヴァージョンとリミックス盤の違いをはっきり聞き分けることなど出来ないだろうし、そもそもそんな比較をする必要すら全く感じないに違いない。 つまり今回もまた一部の「マニア」から金をむしり取るだけの「同じ作品の使い回し」であることは確かで、しかしそうと分かっていながらもついつい財布の紐を緩めてしまうのが(愚かな)マニアのマニアたる所以である(私が危惧するのはむしろジョージ・マーティンの息子ジャイルズによる一連のリミックス盤が、表面的な音質の良さなどから、将来的にオリジナル盤を駆逐してしまうことである。むろんこの人が父親の才能を引き継いで類稀な能力を有しているのであればいいのだが、「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」50周年記念盤を繰り返して聴いてみた限りでは、必ずしもそう思えないというのが率直な感想だからである。今回の「ホワイト・アルバム」のリミックスによって、その感想を是非とも覆して欲しいものである)。 2番目の文章について言及すれば、やはり「ザ・ビートルズがスタジオで奏でていたそのままのサウンド」などというものを「再現」することなども不可能でしかない。CDやレコード(Vinyl盤)に焼き付ける音源を確定する際にどの音を強調し、全体のバランスを考えて配分し、音の大小を決めるかはあくまでエンジニアの手によって「決定」されることであり、たとえ今ザ・ビートルズのメンバー全員が生きていて今回の作業に加わっていたとしても、当時の音そのままを再現することなどまず不可能である。 無数に存在する選択肢から「ただひとつ」の音やバランス、音の大きさなどを選択し、それをCDやレコードに刻印することが音楽製作という作業であり、言うまでもなくそれは恣意的で、言ってしまえば場当たり的な選択でしかない。 実際にはどの機械や素材を用いて物理的にCDやレコードを「焼くか」という製作過程によっても音は変化してしまうのであり(特にレコードの場合そうである)、言わばそれは生き物であり、「ただひとつだけ」の選択から生まれたはずの音盤の音は、聞く環境や再生装置などによっても千差万別である。 こんな誰もが分かっている当たり前のことを改めて書くのは、上に挙げたような宣伝文句が如何に虚しく無意味なものであるかということを言いたいがためである。散々批判してきた「ザ・ビートルズ商法」であることを重々承知しているくせに、やはり幾ばくかの金をはたいて購入してしまう自分の愚かさをあざ笑うためにも、こうした謳い文句がどれだけ嘘っぱちであるかということを、ひとこと書いておきたかっただけである。要は「敗者」のつまらぬ弁解でありたわ言でしかない。 今回は前回までのように虚しい抵抗をすることなく、私は「素直」に購入することを決めて既にインターネットで注文を済ませてしまった。 しかしいつもと同様に高価な日本盤を買うつもりはさらさらなく、また最も高い①スーパー・デラックス・エディションを買いたいのはやまやまなのだが、現在の家計事情等をかんがみて、②3CDデラックス・エディションを買うことに決めた。英国アマゾンでは送料込みで16.08ポンド、1ポンド=148円で換算して2,380円となる。 参考までに英国アマゾンで上記の各フォーマットの価格は以下のようになる(ただし以下は英国内で購入した場合の価格である。海外から購入する際には20%の付加価値税が免除され、代わりに送料がかかる)。①スーパー・デラックス・エディション 国内盤¥21,060(税込)→英国アマゾン 140ポンド=20,720円②3CDデラックス・エディション 国内盤¥3,888(税込)→英国アマゾン 15ポンド=2,220円③4LPデラックス・エディション 国内盤¥15,444(税込)→英国アマゾン 90ポンド=13,320円④2LPエディション 国内盤¥6,943(税込)→英国アマゾン→英国アマゾン 40ポンド=5,920円 不思議なのは、私が購入予定の②以外は英日間で大して価格差がないということで、ブックレットの日本語訳がついたり、CDの仕様が異なる(日本盤はSHM-CD)ことなどを考慮するなら、②以外のフォーマットであれば日本盤を購入する方がお得かも知れない。★追記 ゴリゴリの「進歩」派(すなわち親北朝鮮で反米)である現政権に対して批判的な保守系メディア「朝鮮日報」は、9月28日付の社説で「海外メディアに『金正恩氏の首席報道官』と皮肉られる文大統領」という題名をつけて自国大統領の北朝鮮への過度な傾斜を牽制している(以下は同紙日本語版より。原文は「外信"文大統領、金正恩主席のスポークスマンになった"」→http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2018/09/27/2018092703586.html)。《ブルームバーグ通信は26日「文在寅(ムン・ジェイン)大統領は国連で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の首席報道官になった」という見出しの記事を掲載した。記事には「金正恩氏は国連総会には出席しなかったが、彼を称賛する事実上の報道官を送った。それが文大統領だ」と記載されていた。実際に文大統領が韓国、米国、国際社会に向け金正恩氏の善意を伝える窓口のような役割を果たしていたのは確かだ。 文大統領は米国と北朝鮮による核廃棄に向けた交渉を仲裁するという立場から、やむなく北朝鮮の立場に立って説明するケースも決して考えられないことではない。とりわけ米朝のように不信や誤解が根深い関係であればなおさらだろう。しかしそれも度が過ぎればその言葉の信頼性が失われ、そうなると仲裁者の役割を果たすことなど到底できないはずだ。 文大統領は北朝鮮による核・ミサイル実験場の閉鎖について説明する際「北朝鮮の核ミサイルが米国の脅威になることは完全になくなった」と発言した。しかし北朝鮮は今なお数十発の核弾頭を保有しており、また移動式の発射台や大陸間弾道ミサイル(ICBM)もそのまま残っている。一国で安全保障政策に責任を持つ人間は相手の言葉をたやすく信じるべきではない。文大統領が金正恩氏の業績や人間性を高く評価しているのは確かだ。しかし金正恩氏は北朝鮮の3代続く独裁者であり、海外の空港で腹違いの兄を化学兵器を使って殺害し、その叔父を高射砲を使って跡形もなく粛正した。平壌の一部市民を除く北朝鮮住民は「人権」や「愛」などの言葉さえ知らないまま今なお悲惨な生活を送っている。 韓国の大統領が海外メディアから「金正恩氏の報道官」などと呼ばれる一方で、新たに在韓米軍司令官に指名されたロバート・エイブラムス陸軍大将は「(監視哨所の撤収を含む)非武装地帯における全ての活動は国連軍司令官の所管だ」と発言した。韓国と北朝鮮の軍事合意に反する見方を堂々と表明したのだ。韓国国防部(省に相当)は南北間の軍事合意について「米国と52回合意した」と説明しているが「同意を得た」とは言っていない。また北朝鮮との合意によって韓国軍の対応能力が顕著に低下したとの懸念も根強い。仲裁外交も確かに必要だが、少なくとも一方的に北朝鮮の肩を持たないよう細心の注意も同時に必要だ。》================================================ この間に読んだ本は、 引き続き東野圭吾の作品を幾つかまとめて。・東野圭吾「夢幻花」(PHP文芸文庫) 先日読んだ「麒麟の翼」同様、大山鳴動して鼠一匹といった感を拭いきれない作品で、かなり綿密にそつなく描かれる途中経過に比べて解決パートが余りに弱すぎる。主人公が若者であることもあってか会話なども変にぎこちなく、全体的に幼稚な印象を抱いてしまうのも難点である。・東野圭吾「禁断の魔術」(文春文庫) いわゆる「ガリレオ・シリーズ」の1つで、もともと短編だったものを長編(実際は中編程度の長さだが)にした作品である。 これまた謎解き部分は弱いのだが、最後に込められた科学に対するメッセージなどは、その当否は別として、如何にもこの作家らしい倫理観に貫かれていると言っていい(それが前回も書いたように、この作家が韓国でも広く読まれている理由のひとつだと言えるだろう)。「ガリレオ・シリーズ」の主人公(狂言まわし?)である物理学者の湯川学なる人物は、自らが罪に問われかねない状況ですら頑なまでに警察の捜査に非協力的であり、その極度な頑固さはリアリティを欠くほどであるが、しかし(矛盾するようではあるものの)それこそが今シリーズの人気の理由でもあるのだろう(私自身はそこにはさほど魅力を覚えないが)。・東野圭吾「聖女の救済」(文春文庫) これまた「ガリレオ・シリーズ」中の長編で、刑事コロンボなどと同じく最初に犯人が提示され、その犯行やアリバイが徐々に論証されていくいわゆる「倒叙物」であり、推理過程はなかなか楽しめはするものの、結果的に提示される犯罪にはリアリティがなく、実現性に乏しい点はある意味で致命的だとすら言える(それでも読んでいる間はそこそこ楽しめる)。・東野圭吾「パラドックス13」(講談社文庫) これまでの東野作品とは全くジャンルの異なる近未来SF的作品で、一種のパラレル・ワールド物と言えるもので、発想も大胆かつ独創的で、それを不自然さを余り感じさせることなく引っ張っていく描写や叙述には説得力があり、最後まで飽きさせない。傑作とまでは言えないものの、この種の傾向の作品としては(作者の元々の得意分野でないことも考慮して)かなり健闘していると言っていいだろう。 此処まで(以前読んだ「ナミヤ雑貨店の奇蹟」と最後の「パラドックス13」を除いて)推理物を中心に東野圭吾作品を読んできた訳だが、読んでいる間はそれなりに面白く読み進められはするものの、しかし恐らく2度と読み返すことがないだろうと思ってしまう点はこの作家の限界でもあるだろう。 例えば江戸川乱歩や横溝正史の作品のように、犯人や謎解きの内容が分かっていても、日を置いて再三読み返すに値するような作品こそを私としては読みたいところなのだが、やはり海外でも広く人気を得ている村上春樹の(ほとんどの)作品のように、この作家もまた再読に耐えるほどの深みや広がりを持っているとは言えないようである。・角野栄子「魔女の宅急便」(福音館書店)再読 たまたま本棚にあるのを見つけて再読してみたのだが、一個の児童文学として極めて優れた作品であることを再認識させられた。ありきたりな恋愛や冒険活劇の要素を取り入れた宮崎駿によるアニメーション版は、よりエンターテインメントに徹しており、原作では濃厚な主人公キキの将来に対する不安や期待、家族との微妙な交流など繊細な感情表現が希薄になってしまっていて、初めて見た時から違和感を覚えていたのだが、改めて原作を読み直してみると両者の根本的な違いがより明確になり、原作の卓越さがかえって際立つように思える(もっともアニメーション版は初見以来見直していないので記憶も曖昧なのだが)。・角野 栄子「魔女の宅急便〈その2〉キキと新しい魔法」(福音館書店)初読 「魔法」なるものは魔女をもってしても常に威力を持つ訳ではなく、絶妙なタイミングとたゆまざる鍛錬、そして奇蹟にも近い偶然とが積み重なってこそ可能なものなのかも知れない。本作も前作の素晴らしさには到底及ばない平凡な出来で、変に説教臭く互いに有機的関連のないエピソードの積み重ねが続き、読み進めるのが苦痛に感じられるほどである(時折出てくる詩や歌らしきものにも少しも魅力を感じられなかった)。なによりも続編を読みたいと思わせる魅力に乏しく、手持ちのものでは最後となる「〈その3〉キキともうひとりの魔女」を読むかどうか迷っているところである(おそらく読まずに終わりそうである)。 ついでなので久々にアニメーション版も見返してみることにした。・「魔女の宅急便 (1989年)」(宮崎駿監督) 3.0点(IMDb 7.9) 日本版DVDで再見 初見以来初めての再視聴だが、やはり結末が決定的に弱い。原作を踏襲していないこと自体は決して悪いことではないが、本作では原作の出来が優れているだけに、映画版の改変が少しも改善につながっていないのが難点である。特にトンボという少年がらみの場面はどれも凡庸で(トンボのイメージも原作よりかなり軽薄である)、冒頭で主人公のキキが魔女修行のために飛び立って空を飛ぶ場面の素晴らしさや、黒猫ジジの小憎らしい可愛さなど、50過ぎのおっさんをも動かしうる傑出した場面が多いだけに、取ってつけたような幼稚極まりない結末などはとりわけ惜しまれてならない(おそらく製作過程で脚本や監督が急遽変更になって時間が足りなくなるなど、最終的には「やっつけ」で作り上げたものと思われる)。 より「少女=魔女」の成長物語に焦点を絞り、あえて分かりやすい結末をつけることなく原作に沿って作品化していれば、他の宮崎作品に劣らない傑作たりえていただろう(宮崎作品のうち「崖の上のポニョ」だけは未だに見る気が起きないでいるのだが、私が見た作品のなかで、今作は結果的に最も弱い作品になってしまっていると言うしかない←その後「崖の上のポニョ」を見たが、これこそ宮崎駿作品の中でも突出した失敗作で、「魔女の宅急便」の方が遙かにマシだった)。 映画では他に、松本清張原作の「黒い画集」3部作をまとめて再見(原作は既読。ただし詳細はすっかり忘れてしまっている)。・「黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年)」(堀川弘通監督) 3.5点(IMDb 7.5) 日本版DVDで再見 脚本は7月に亡くなった橋本忍。 先に見た同じ堀川監督の「白と黒」に比肩するに足る、松本清張原作の映画化作品の中でも屈指の佳作と呼んでいいものである。 ちょっとした嘘から窮地に追い込まれていく主人公を演じている小林桂樹のうまさはもとより、その愛人を演ずる原知佐子の可愛らしさ、そしてようやくささやかな成功を収めつつある中間管理職の男が呆気なく転落していく有り様を描きつつ、日本のサラリーマンの哀しき生態を巧みに描き出した点においても秀逸である。・「黒い画集 ある遭難(1961年)」(杉江敏男監督) 3.0点(IMDb 7.8) 日本版DVDで再見 脚本は石井輝男。 (個人的には記憶がほとんどないものの)原作とは異なる結末になっているらしいのだが、疑問を覚えたのは、自分の従弟を登山中に計画的に殺した犯人の犯罪を暴いた後、その男とあえて一緒に危険な下山を試みようとするだろうかという点で、そうした疑問が払拭できない以上、今作の結末に納得することも出来ないままである。・「黒い画集 第二話 寒流(1961年)」(鈴木英夫監督) 3.5点(IMDb 7.5) 日本版DVDで再見 言わば「悪い奴ほどよく眠る」の清張版。 丹波哲郎演ずるヤクザが出てくるあたりなどはブラック・ユーモアが効き過ぎて却ってリアリティを欠いているものの、そこから一気に主人公が「堕ちて」いくさまは圧巻である。 「堕ちた」主人公が映画の最後に川べりに立ち、吹きすさぶ風のなかで立ち尽くす場面は、「寒流」ならぬ「寒風」である。その主人公を演じている池部良の不安に満ちた表情も見物だが、最後まで少しも悪びれることのない「悪い奴」を演ずる平田昭彦のふてぶてしさは憎らしいほどにうまい。また、私は今作において、それまでは「おばさん」女優としか思っていなかった新珠三千代という人の蠱惑的な魅力を新たに見出したものだが、再見してもその魅力は少しも褪せてはいない。 これはどうでも良いことだが、古い日本映画のDVD特典に付いている予告編を見るたび、「こんなに映画の核心となる内容を見せてしまっていいのだろうか」と思うことが多く、今作も予告編を見ればおおよその内容が予想できてしまうことに驚かされたものである。 また、アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクの共演作を何本かまとめて視聴。・「拳銃貸します(1942年)原題:This Gun for Hire」(フランク・タトル監督) 3.0点(IMDb 7.5) 英国版DVDで視聴 グレアム・グリーン原作(ただし原作のタイトルは「拳銃売ります(A Gun for Sale)」)。 ハリウッド映画にありがちなご都合主義と取ってつけたエンディングではあるものの、わずか80分でサスペンスに満ちた小品を過不足なく作り上げる手腕はなかなかのものである。製作年度が1942年(真珠湾攻撃の翌年)ということから、当時の日米両国間の関係がよく分かる内容になっており、日本人としてはいささか心苦しさを禁じ得ない映画でもある。 主演の2人も悪くないものの、何よりも臆病なヤクザ(?)を演じているレアード・クリーガーの人間味ある滑稽な演技が見ものである(残念ながら彼はわずか31歳で病死したようだが、今作で共演したヴェロニカ・レイクもアラン・ラッドも50歳で死んでおり、いずれも若死にしているのは皮肉である)。 どこまで映画的脚色がなされているのかを知るためにグリーンによる原作を読んでみたくなった。・「ガラスの鍵(1942年)」(スチュアート・ハイスラー監督) 2.5点(IMDb 7.1) 英国版DVDで視聴 ダシール・ハメット原作(未読)。 正直なところ、原作をどれだけ忠実に映画化したのか疑問に駆られざるをえないような平凡な内容と、やはり取ってつけたような結末(当然ハッピー・エンディング)には失笑するしかなく、アラン・ラッドが最後に見せる、それまでのニヒルな演技とは対照的な間の抜けた笑顔にはただ失笑するしかない(原作をぱらぱらめくってみたところ、どうやら原作も映画同様におバカなハッピー・エンディングで終わるようである)。 唯一の収穫は不敵なチンピラを演じたウィリアム・ベンディックスの狂気すれすれの演技だろう。・「青い戦慄(1946年)」(ジョージ・マーシャル監督) 2.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴 レイモンド・チャンドラー脚本というだけで大いに期待してしまったのだが、実際のところは、物語の発端部や途中までの展開は悪くないものの、いざ映画が終わってみると、それまで撒かれた数々の種が最も凡庸かつ退屈な仕方で成長し、結局花を咲かせることなく枯れ落ちてしまったような空疎な内容になってしまっている。 戦争で肉体的にも精神的にも傷を負った軍人を「ガラスの鍵」でも印象的だったウィリアム・ベンディックスが演じており、やはり今作でも極めて危なっかしい役柄で「見せる」のだが、結局それも単なる飾りに過ぎず、結末は最も平凡でアンチ・ドラマチックなものに落ち着いてしまっている。アラン・ラッドとヴェロニカ・レイクの出会いなどもかなり強引で、他の共演作同様、2人の間のロマンスが見え見えな展開にもただ脱力させられるだけである。