(臨時営業)「ロックンロールの先駆者」リトル・リチャード死す
2020年5月13日(水) ここ韓国では、日本より1日早く「黄金連休」が明けた今月6日から、それまでの「社会的距離置き」という防疫態勢から、「生活防疫」(生活の中での距離置き。下の写真はその垂れ幕や生活指針を書いた絵)と称する新たな防疫態勢に移行し、これまで自粛を求めて来た外出や集会、各種イヴェントなどを許可し、国立公園や博物館・美術館、屋外スポーツ施設なども再開することになった。 さらに順次、スポーツ観覧施設や国公立の劇場・公演場、福祉施設なども再開される見通しで、一時爆発的感染の温床となった宗教施設をはじめ、スポーツ・遊興施設、塾や予備校なども防疫対策の徹底を条件に再開が可能になった。 個人レヴェルでは手洗いの徹底や咳をする際のエチケット遵守、体調不良時は3、4日間自宅に留まること、他者との距離を十分(両腕を広げたくらい)取ること、屋内の換気や消毒の徹底といった対策の継続を要請している(他にも細かい方針があれこれ定められているらしいが、ここではいちいち紹介しない。以下に紹介する「事態」もあって、今日13日からラッシュ時にマスクを着用していない乗客は地下鉄に乗車出来ないようになったそうである)。 「心はそばに。生活の中での距離置き」 「新しい日常。生活の中での距離置き。コロナ19に勝つ新しい日常、私たちが共に作って行きます」 距離は離れていても心はそばに しかしまさにこの「生活防疫」態勢が始動する直前、かつて米軍基地が近くにあり、今も外国人向けの飲食店や遊興施設が数多いソウル梨泰院(イテウォン)などの複数のクラブに新型コロナウイルス感染者が出入りしていたことが発覚、ろくにマスクもしていない客が「三密」状態で1500人以上も密集していたことで集団感染が起きてしまった。さらにこのクラブでの感染者からの2次感染、3次感染が次々発生し、既に100人を超える感染者が出たとのことである。 しかも上記クラブの中に同性愛者向けの施設が含まれており、自身の性的指向を家族などに知られたくないためか、感染者と濃厚接触していた可能性がありながら連絡が取れない人が3,000人以上いるとされ、感染が更に広がるおそれがあるらしい。 ちょうど5月10日に就任3周年を迎え、その時の演説で「すでにわれわれは防疫において世界をリードする国となりました。K防疫(韓国式防疫システム)は世界の標準になりました」と自らの防疫政策を自画自賛してみせた○○大統領だったのだが、まさにその足元でそうした発言を甚だしく毀損しかねない事態が生じていた訳である。 数週間前からこのブログに何度も書いて来たように、近所の飲食店や公園などに溢れかえる人々の様子を見ているだけでも、市民レヴェルで新型コロナウイルスに対する緊張感がすっかり緩んでいる印象を抱いて来たので、今回の集団感染のニュースを聞いた時も私は少しも驚きはしなかったし、むしろ今のところ100人程度の感染に留まっていることは僥倖だとすら思っている。 今回の感染がどこまで拡大するかまだ分からないが、しかし何もこれは韓国だから起きた特殊なケースではなく、ロックダウンや自粛活動による経済的打撃の拡大防止を防ぐため、拙速とも思える規制緩和に向かいつつある欧米諸国や、近々緊急事態宣言を一部解除するらしい日本にとっても決して他人事ではない(これまた何度も書いて来たように、むしろ「明日は我が身」と覚悟した方が良いだろう)。 今回の韓国の事態を受けて、「それ見たことか」などと蒙昧愚劣な見方や態度を取るのではなく、間違いなく自分たちも早晩直面するだろう「ごくごく近未来の自画像」として眺め、規制を緩めるにはどれだけの「結果」(=犠牲)を覚悟しなければならないかをしっかり見据えた上で決断することが求められるだろう。 当たり前なことしか書いていない「閑話」はこれくらいにして本題に入るとするなら、最初に掲げた写真は、私の偏愛するザ・ビートルズの4人のメンバーと、アメリカ人歌手のリトル・リチャードが一緒に写ったものである。この9日に、写真の真ん中で微笑を浮かべているリトル・リチャードが、テネシー州ナッシュヴィルにある自宅で亡くなったそうである(享年満87歳)。 リトル・リチャードは「ロックンロール」という音楽ジャンルの創始者の一人とみなされ、ザ・ビートルズだけでなく、ザ・ローリング・ストーンズやボブ・ディラン、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、デイヴィッド・ボウイ、Queen、エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、キンクス、エリック・クラプトンなど錚々たる歌手やグループに多大な影響を与え、今回の訃報に際しては、ブライアン・ウィルソンやキャロル・キング、パティ・スミス、クインシー・ジョーンズ、ジョン・ボン・ジョヴィ、シンディ・ローパー、イギー・ポップ、レニー・クラヴィッツなどの歌手や音楽家たちも深い哀悼の意を表明しているそうである。 ロックの「創始者」や「先駆者」と言えば、他にも2017年に亡くなったチャック・ベリーやファッツ・ドミノという2人の「レジェンド」を始め、エルヴィス・プレスリー、ビル・ヘイリー、カール・パーキンス、エディ・コクラン、ジェリー・リー・ルイスなどの名が挙がることがあり、私もザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズがカヴァーした曲などを通じて、チャック・ベリーやカール・パーキンスなどとともにリトル・リチャードという名を知ってはいた。 しかし私自身はこれら「先駆者」たちの音楽まで深く追究していくことはなく(昔は今のように簡単=安価に様々な音楽に接することが出来なかったこともあるが)、せいぜい映画「アメリカン・グラフィティ」のサウンド・トラック盤や、ジョン・レノンのカヴァー・アルバム「Rock 'n' Roll」などを買ったり、テレビやラジオの特集番組で彼らの音楽を一種の「懐メロ」として耳にして来たに過ぎない。 従ってこのリトル・リチャードにしても、ザ・ビートルズが(公式録音のみならず非公式のライヴなどでも)カヴァーした「Long Tall Sally」や「Lucille」、「Kansas City」(これはリチャードのオリジナルではないが)、「Ooh! My Soul」、「Miss Ann」などの曲や、ジョン・レノンによる「Slippin' and Slidin'」や「Rip It Up/Ready Teddy」などのカヴァー・ヴァージョンに接して来ただけで(★)、むしろ今回の訃報を知って遅ればせながら彼の代表曲をざっと聴いてみたという、誠にお恥ずかしい無知ぶりなのである。 改めて本人の演奏をじっくり聴いてみると、当然ながらその音(作り)には「時代」の痕跡(要は古めかしさ)を少なからず感じさせられはするものの、そのパワフルなヴォーカルにまず圧倒され、彼の音楽が上に挙げた歌手やグループに与えた影響をも実感することも出来、非常に感慨深かった。★ザ・ビートルズのカヴァー曲(一部)は以下の通り Long Tall Sally https://www.youtube.com/watch?v=w-iA9-D_Mbw Kansas City/Hey-Hey-Hey-Hey (Medley) https://www.youtube.com/watch?v=4xvW-Nf9VAw Lucille (Live At The BBC) https://www.youtube.com/watch?v=aLN0csLUEqo Ooh! My Soul (Live At The BBC) https://www.youtube.com/watch?v=Phn2Fowl-Pg Miss Ann/Kansas City(非公式音源) https://www.youtube.com/watch?v=Go04lWjWQnk ジョン・レノンによるカヴァー曲(一部) Slippin' and Slidin' https://www.youtube.com/watch?v=72D3dPnjtcI Rip It Up/Ready Teddy https://www.youtube.com/watch?v=qjobBx2P6C0 リトル・リチャードの主要曲(★★)を聴くには、以下の公式Youtubeサイトが便利である。 https://www.youtube.com/channel/UCnoCTfSxdjpgc6p8_KTNgQw/videos?view=0&sort=dd&shelf_id=0 ★★リトル・リチャードのオリジナル曲(一部) Long Tall Sally https://www.youtube.com/watch?v=fzDJOyZjTVg Lucille https://www.youtube.com/watch?v=K4fNqoHzeO4 Kansas City https://www.youtube.com/watch?v=n84WLM8N8Fw Tutti Frutti https://www.youtube.com/watch?v=fi0XSxspfvI Good Golly Miss Molly https://www.youtube.com/watch?v=ZVQV-1Fzl3w Shake A Hand https://www.youtube.com/watch?v=zH2JDCaLXKk The Girl Can't Help It https://www.youtube.com/watch?v=G57cFcDt3zk Miss Ann https://www.youtube.com/watch?v=SPMjub9AAYQ Rip It Up https://www.youtube.com/watch?v=TPBGZ42WaqU Slippin' and Slidin' https://www.youtube.com/watch?v=Vd8C9YOnLhs Ready Teddy https://www.youtube.com/watch?v=M5joOz0OOt4 Jenny Jenny https://www.youtube.com/watch?v=HLIlRvEa3Ls また、後進の歌手やグループがカヴァーしたリトル・リチャードの曲をまとめて紹介してくれている以下の記事(20 Little Richard covers by The Beatles, Elton John, Clapton, Kinks, CCR, Queen & more)も役に立った。 http://www.brooklynvegan.com/20-little-richard-covers-by-the-beatles-elton-john-clapton-kinks-ccr-queen-more/ 故人の死を悼み、心から冥福を祈りたい。* 音楽関連の訃報をもう1つ。 日本のバンド「ゴダイゴ(Godiego)」のメンバーとして知られたギタリストの浅野孝已氏である(12日死去、享年満68歳)。 「ゴダイゴ」の前身である「ミッキー吉野グループ」に参加するなど、最初期からのメンバーのひとりであり、「ギター・シンセサイザーを日本で最初にレコーディングに使用するなど、ゴダイゴの楽曲に欠かせない存在だった」(スポニチアネックス)とのことである。 私も御多分に洩れずドラマ「西遊記」における「ガンダーラ」や「Monkey Magic」によって彼らの音楽に初めて接したひとりなのだが、その後も映画のサウンドトラックやCM等で長く親しんで来たし(前にも書いたが、長谷川和彦の「青春の殺人者」や大林宣彦の「HOUSE ハウス」、佐藤純彌の「遥かなる走路」、アニメ「銀河鉄道999」や「キタキツネ物語」、そしてこれはテレビドラマだが「男たちの旅路」など、数は決して多くないものの、日本映画における彼らの音楽的貢献は再評価されるべきである)、またどういう訳かこのグループはメンバーそれぞれも個性的で、どの顔も未だに記憶にしっかり刻まれていて、その一員の死の報には粛然とならざるをえない。 故人の死を悼み、心より冥福を祈りたい。 一番左が浅野氏 左下が浅野氏========================================================================== この間に見た映画は、・「美しさと哀しみと(1965年)」(篠田正浩監督) 3.0点(IMDb 6.9) 日本版DVDで視聴 原作は川端康成(未読)。 未読なのでどこまで原作を忠実に再現しているのか分からないのだが、50過ぎの中年作家(山村聰)と20歳そこそこの若い女「けい子」(加賀まりこ)との間の以下のようなやり取りなどは(特に山村聰が実に真面目に若い女をくどこうとする老錬かつ滑稽な中年男を演じているだけに)まさに爆笑モノである(本来は爆笑するような箇所ではないのだろうが・・・・・・)。《「いや、いやよ、堪忍して。左(胸)はダメなの」 「えっ? どうして左はダメなの?」 「左は出ないの」 「出ない?」(ひどく困惑する山村聡。笑) 「良くないの。ヤなの」 「左の方は、誰かひとりの人にしか触らせないの? そんな人があるの?」 「そんなんじゃありません。そんな人ありません」》 さらにこの後、ベッドから落ちそうな姿勢で加賀まりこが横になり、「ああ」と悶えた後、「先生! 上野先生!」と、同性愛関係にある師匠(八千草薫)の名を呼ぶと、山村聰はまさに「ギョッ」とした表情を浮かべ、「え、なんだって? 上野先生?」と言って呆然とするのだが、そこでこのラブシーン(?)は唐突に終了してしまうのである(その後2人の間に「関係」があったかどうかははっきりしないのだが、おそらく「あった」のだろう)。 この後、けい子は山村聰の息子(山本圭)までをも臆面もなく誘惑し(それは16歳の時に30過ぎの山村聰に処女を奪われて子供が出来たものの、赤ん坊は早産で死亡、その後精神的に不安定になり山村とも別れさせられた暗く辛い過去を持つ「上野先生」の「復讐」を「代行」するためである)、今度はなぜか「右の胸はダメ」だと主張して拒むのだが、これまた笑いなしには見られない。もっとも映画の最後は陰惨な悲劇に急転回するのだが・・・・・・。 どうでも良いことだが、この映画のおかげで、恥ずかしながら「おみおつけ」(味噌汁)が漢字で「御御御付」と書くことを初めて知った。・「バンデットQ(1981年) 原題:Time Bandits」(テリー・ギリアム監督) 1.0点(IMDb 7.0) インターネットで再見 公開当時、映画館で鑑賞したのだが、日本上映の際にはカットされていたという最後の場面は当然のこと、映画の内容自体もほとんど記憶していなかった(英国滞在時によくテレビで放映されていたのだが、言葉の問題もあって一度も見たことはなかった)。 今回見直してみて、内容を覚えていなくても当然と思えるような、どうしようもなく不毛なタイム・トラヴェルもので、正直時間の無駄としか思えない出来だった。ジョージ・ハリスンによる主題歌「オ・ラ・イ・ナ・エ」(原題:Dream Away。https://www.youtube.com/watch?v=tKvwb6ld7B4)だけは懐かしかったが・・・・・・(マーラーの交響曲6番をパクったような音楽も頂けなかった)。・「Dr.パルナサスの鏡(2009年)」(テリー・ギリアム監督) 2.0点(IMDb 6.8) 英国版DVDで視聴 「バンデットQ」よりは多少マシなものの、これまた笑いがただ空回りするだけで見るに堪えない作品である。結局テリー・ギリアムは映画監督としては「未来世紀ブラジル」(原題は素っ気ないBrazilで、邦題はなんだか意味がよく分からないものの秀逸である)だけが傑作で(ただし「モンキー・パイソン」シリーズは一切見たことがなく、「12モンキーズ」や「フィッシャー・キング」の記憶もかなり曖昧である)、その他はとりたてて注目するような人ではないのかも知れない。・「セザンヌと過ごした時間(2016年)」(ダニエル・トンプソン監督) 2.5点(IMDb 6.0) 日本版DVDで視聴 幼時から友人同士で、後に画家の赤裸々な生態を描き出した小説「制作」(原題「作品」)が原因で決裂したと言われている画家セザンヌと作家ゾラとの交流(及びその決裂)を描いた作品だが、些末なエピソードの羅列が続くだけで映画としては凡作でしかない。 これまたどうでも良いことだが、日本語字幕でゾラの小説「ジェルミナル」が初めのうち「芽月」と訳されており(むろんこの題名はフランス革命暦の月名「Germinal」から来ており、意味としては正しいのだが)、それが小説の題名だと分かったのはかなり後になってからだった。・「華麗なる賭け(1968年) 原題:The ThomasCrown Affair」(ノーマン・ジュイソン監督) 3.0点(IMDb 7.0) 英国版DVDで視聴 先ごろ読み終えた村上春樹の「1Q84」に登場するので見てみることにした(小説の感想は別途)。 内容的にはどうということのない銀行強盗モノだが、作中で多用される画面割り(幾つものシーンをひとつの画面に同時進行で写している)やスティーヴ・マックイーンとフェイ・ダナウェイのエロティック(?)なチェスのシーンなど、見どころがないでもない。 アカデミー主題歌賞を受賞したミシェル・ルグランの「風のささやき」(The Windmills of Your Mind)は有名だが、映画に使われているNoel Harrisonによる歌は正直今ひとつで(https://www.youtube.com/watch?v=7W6Kyvm9fuc)、歌のないインストゥルメンタルの方が遙かに良い(例えば→https://www.youtube.com/watch?v=w-00gGM3V0Q)。・「津軽じょんがら節(1973年)」(斎藤耕一監督) 3.5点(IMDb 7.2) 日本版DVDで視聴 先日見た「祭りの準備」と同じ中島丈博による脚本(監督と共同)で、陰鬱な雰囲気もよく似ている。作品的には決して悪い出来ではないものの、冒頭で男の「不在」をあらかじめ示してしまっているのは失敗としか思えず、作品の結末が最初から分かってしまい、「悲劇」であるはずの最後のシーンに何の意外性も感じられなかった。・「怪異談 生きてゐる小平次(1982年)」(中川信夫監督) 4.0点(IMDb 7.1) テレビ放映を録画したもので視聴 中川信夫の遺作(ついでながら、これは傑作である)。 わずか3人の登場人物による歌舞伎や浄瑠璃風のシンプルな構成で、密室劇のような緊張感と、テンポの良い台詞回し、奇をてらわない抑えぎみの演出とがうまく噛み合って、一瞬も目を離せない濃密な物語に仕上がっている。藤間文彦、宮下順子、石橋正次の3人は、個々人の演技はとりたてて優れているとも思えないのだが、隙きのない展開や演出のおかげか、この世のものともあの世のものとも知れない幻想的な雰囲気を醸し出していて見せる。・「千と千尋の神隠し(2001年)」(宮崎駿監督) 3.0点(IMDb 8.6) 日本版DVDで再見 何年か前に見直した時には作画的にも内容的にも傑作だと思ったのだが、今回見直してみるとどういう訳かいずれの点でも物足りず、特に空を飛ぶ時の湯婆婆やおしら様、カオナシなどのキャラクター(下の画像)は「画」としても未熟(幼稚)なものとしか思えなかった。少女千尋の成長物語であることは分かるものの、取ってつけたような結末にも説得力がなく、湯婆婆の双子の姉妹「銭婆」などのキャラクターの掘り下げも浅く、「失われた名前」を再発見することによって少女千尋がアイデンティティを取り戻すという物語自体は魅力的なものの、映画作品としては消化不良だという印象を払拭できなかった。