2020年5月24日(日)

 また凝りもせず亡き愛犬の話になるが、1年前の今頃、愛犬は約10日後に訪れる死を前に、苦痛の日々を送っていた。

 

 その少し前から、抱きかかえると胸が圧迫されて息苦しいのか、口をパクパクさせるようになっていたのだが、持病の心臓肥大が徐々に悪化して肺の機能が急激に衰えて来たらしかった。慌てて動物病院に連れて行くと、医師はレントゲン写真を見ながら眉間に皺を寄せ、状態が非常に思わしくない旨を告げた。

 

 それから我々は医師の処方してくれた薬を飲ませ、息苦しそうになると病院に連れて行って酸素呼吸をしてもらい、常に愛犬のそばを離れず様子を伺い続けた。15歳という高齢もあり、私たちは愛犬との別れが遠からず訪れることを覚悟し始めた。

 あれから1年近い時が巡り、夜眠る前などにふと横を見やると、まさに愛犬の死を腕の中で看取った場所が目に入り(当時と同じ居間の床に布団を敷いて寝ているのである)、ちょうど昨年の今頃と同じような気候を肌で直接感じることもあって、1年前の記憶がまざまざと甦り来るのを抑えようがない。

 

  大して苦痛を和らげてやることも、不安や孤独を慰めてやることも出来ぬまま、程なく愛犬の命に最期の時が訪れた。その後で幾度となく思い返すのは、死の1週間程前、ひどく息苦しそうなので酸素吸入をさせようと愛犬が大嫌いだった(中に入っただけで全身をぶるぶる震わせて怖がった)動物病院に預けに行き、しばらくして様子を見に訪れた時のことである。ガラス張りのケージに入れられた愛犬は我々と目が合った瞬間、今すぐ家に連れて返って欲しいと言うように、もはや余り残されていなかったはずの体力を振り絞って大きく吠えたのだ。

 

 その日はこれまで以上に体調が思わしくないからと、結局夜まで病院に預けっぱなしになったのだが、我々に向かって吠えた時には酸素吸入のおかげか少し元気になったように見えた愛犬も、夜に迎えに行った際にはグッタリとして、もはや吠えるだけの力もなくなっていた。

 それが純粋に肉体的な衰弱のためだったのか、それともありったけの力を振り絞って必死に助けを求めたにもかかわらず、信じていたはずの我々飼い主に見放された(と思った)絶望と悲嘆によるものなのか、私たちにも知りようがない。

 しかし私は、様子を見に行った時に吠えて訴えた愛犬を無理にでも家に連れ帰って、親しい自分たちのそばで見守ってやるべきだったのではないかという後悔に駆られもしている。そしてあの時懸命に助けを求めていた愛犬の表情やその声を思い出すと、今でも心がざわざわと落ち着きをなくし、もうそれ以上眠れなくなってしまうのだ。

 

 しかし私がこうしてイジイジと極私的感慨にふけっている間も、外界では新型コロナウイルスのみならず、あれやこれや様々な出来事が出来(しゅったい)しているようで、例えばここ韓国では、従軍慰安婦支援団体の元代表(程なく与党選出の国会議員になることが決まっている)による不明郎会計等のスキャンダルで連日かまびすしい。

 

 また海の向こうの日本でも、暫く前から物議を醸していた東京高検検事長の定年延長問題が、当の検事長が大手新聞社の社員たちと(よりによって緊急事態宣言下にもかかわらず)賭け麻雀をしていたことが発覚して辞職に追い込まれるという、呆れ返ると同時に滑稽極まりない急転回を見せ、メディアが当面ネタに困らないだろう恰好の話題を提供したようである(それにしてもどうして今の政権のまわりには、こうも絵に描いたようなろくでもない人間が集まるのか、誠に不思議でならない→このこともあってか、現政権支持率も急落したようである)。

 

 新型コロナウイルス関連では、緊急事態宣言が奏功してか日本各地で新規感染者数が減少していることから、21日までに首都圏や北海道を除く地域では緊急事態が解除され、週明けには残る地域も含め全面解除となりそうな状況である。しかしこの前も書いた通り、緊張や警戒が緩めばすぐにまた感染がぶり返すのが今回のウイルスの特徴かつ剣呑な点で、特にPCR検査の実施件数が他国に比べ極端に少ない日本では、どこにどれだけの無症状感染者が潜んでいるか全く分からないこともあり、より慎重な対応が必要なのではないかと私は考えているのだが、もはやそんなことを言ってはいられない「待ったなし」の自営業者や個人事業主がいることも認識しており、国や自治体による更なる支援や補償が求められるだろう。

 

 さらにこれまでこのブログで、私は韓国政府や韓国メディアによる自国の新型コロナウイルス対策に対する自画自賛について何度も言及して来たのだが、上記の通り緊急事態宣言によって感染者が減少したことで、日本政府や一部メディアも自国の対策や対応を自画自賛し始めているようで、前にも書いた通り(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502041747.html)、日本の「韓国化」は着々と進行しているようである。

 もっともこうした自画自賛はもはや韓国の専売特許ではなく、トランプ政権以降のアメリカなどはよりあからさまな自画自賛や他国批判を繰り返しており、今となっては「アメリカ化」と称すべきかも知れないのだが・・・・・・)。

 

 

 さて、すっかりブログのネタが尽きてしまい、このところだらだらと似たような音楽ネタを採り上げているのだが、今回も引き続きつまらない音楽ネタでお茶を濁すことにしたい。

 

 毎夕近所の川べりを散歩する際、私はずっとスマートフォンに入れた音楽を聴き続けているのだが、昨年末あたりから70~80年代のロックやポップスを改めて聴き返す機会があった。もっとも数多ある歌手やグループの中で今回聴いたのは、1曲しか聴かなかった歌手やグループを含めてもせいぜい数十人(グループ)でしかなく、特にアルバムを何作かまとめて聴き返しまでした歌手は十指にも満たないだろう。

 

 詳細についてはいずれ別の記事で書こうとも思っているが、今回は手短に書けるということもあり、1985年にアフリカの飢餓救済のために企画された「USA for Africa」なるプロジェクトによる「We Are the World」という曲について触れたいと思う(歌の方は以下のアドレスでご視聴ください)。←そう言えば、新型コロナウイルスによるロックダウンや自粛生活の中、有志の音楽家などがオンライン上で集って、この「We Are the World」を完成させてYoutubeにアップしたりもしているようである。その意味で、この歌を選んだことは決して「今」と全く関係がない訳でもなさそうである。

 

 ①2015年の30周年記念の際にリマスターされた(?)ものらしく、参加している歌手や著名人の名前が表記されていて便利なのでこれを推奨しておく
 https://www.youtube.com/watch?v=wUPocq4l47w
 ②Live AID版(上の公式版とは歌い手のメンツが異なっている)
 https://www.youtube.com/watch?v=00OeznNG4hM


 7分以上にも及ぶこの曲は、私など(の世代?)にとってはまずテレビ・ドラマ「ルーツ」のテーマ曲(https://www.youtube.com/watch?v=QrPrTRRG9uU)が思い浮かぶ、ジャズ・ミュージシャンで作曲家、音楽プロデューサーでもあるクインシー・ジョーンズがプロデュースし、当時数々のヒット曲を飛ばしていたマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞・作曲を担当している(下の写真)。

 


 当時18歳だった私は今以上にひねくれており、当のマイケル・ジャクソンやライオネル・リッチーの「薄っぺらな」音楽など端から馬鹿にしてろくに聴きもしなかったのだが(それでもさすがに前者の

 「Thriller」(https://www.youtube.com/watch?v=sOnqjkJTMaA)や

 「Beat It」(https://www.youtube.com/watch?v=oRdxUFDoQe0)、

 「Billie Jean」(https://www.youtube.com/watch?v=Zi_XLOBDo_Y)、

 後者の「Hello」(https://www.youtube.com/watch?v=mHONNcZbwDY)や

 「Say You Say Me」(https://www.youtube.com/watch?v=ZfbOg3uWalw)、

 「Endless Love」(https://www.youtube.com/watch?v=7Bwwo7ctG10)

 などは、テレビやラジオなどでMVや曲がしょっちゅう流されていたので、何度も目(耳)にしてすっかり脳に刷り込まれてしまった。

 

 「We Are the World」にしても同様で、当時の私は、即席の「善意」によってわざとらしく作られた偽善的な曲だと決めつけて顧みず、冷笑していたものである。

 ところが上記の通り、昨年末から70~80年代の音楽をあれこれ聴き直していた中、この曲を30年以上たった今改めて聴いてみると、困ったことに「感動」のようなものすら覚えて何度も繰り返し見直してしまったのである。もっとも音楽的には全員のコーラス部分など今でも「如何にも」というあざとさと凡庸さを感じてしまうのだが、それでも個性的な歌手たちによる巧みな歌唱には思わず惹き込まれた。

 

 上の動画を見て頂ければ分かるが、一部の歌手を除けば、それぞれの歌い手たちが歌う時間はせいぜい数秒でしかないのだが、にもかかわらず多彩で迫力に富んだ歌声にすっかり魅了され、何度も聴き返さずにはいられなかったのである。

 むろん中にはボブ・ディランやウィリー・ネルソンのように、「この人はわざと下手くそに歌っているのだろうか、それともこれが実力なのだろうか」と疑ってしまうような歌い手もなくはないし(その「上手いのか下手なのか分からない」歌唱法は、少なくともボブ・ディランの初期の自作曲においては独特な「味」として機能していたのだが、この「We Are the World」に関して言えば、どれだけ贔屓目に見てもただの「音痴」としか思えない)、この「感動」なるものに自分がかつて聴いて馴染みのある歌手や失われた過去に対するノスタルジアが手伝っていることも否定出来ないだろう。

 

 若手歌手のビリー・アイリッシュを採り上げた際にも書いたように(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12594305998.html)、私は最近(と言うより1990年代以降)の歌手についてほとんど何も知らないと言って良いくらい無知無関心になってしまっていて、最近の歌手の歌唱力を云々する資格はないのだが、それでもこの「We Are the World」に登場するかつての歌手たちの、わずか数秒で私のようなひねくれた聴き手を魅了してしまう歌唱力と歌声のユニークさは、やはり30年以上の時の流れを忘れさせる力を持っていると言って良いのではないだろうか。

 

 ヴェテランとしての「貫禄」で圧倒するレイ・チャールズやスティーヴィー・ワンダーは言うまでもないが、ケニー・ロジャースやジェイムズ・イングラム、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、アル・ジャロウ、ケニー・ロギンズ、「ジャーニー」のスティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズなどなど、いちいち名前を挙げる必要がない程、ほとんど全員の歌唱力と歌声に私は改めて唸らされたものである(ただし上記の「音痴」組とは別に、ライオネル・リッチーやポール・サイモン、ティナ・ターナーなどの歌唱もこの曲では余り目立っていない)。


 


 そんな中で私の一番のお気に入りは何と言ってもシンディ・ローパーで(上の写真)、彼女とヒューイ・ルイス、キム・カーンズ(そしてその前に「大御所」のマイケル・ジャクソン)がリハーサルを繰り返す場面も Youtubeにはアップされていて(https://www.youtube.com/watch?v=HpReqNFVL-0)、何度歌い直しても常にその歌唱が機械のように安定しているマイケル・ジャクソンと、毎回歌に加わるタイミングが遅く、歌い方もタイミングもふらふら安定せずにいる(それでいながら実に個性的で魅力ある)シンディ・ローパーとの対比が実に可笑しい(コメント欄にマイケル・ジャクソンをクラスでとびきり優秀な高校生に喩えるものが幾つかあって、妙に納得させられてしまったものである。後にこの時とは全く別人のような容貌になり、様々な噂が絶えなかった人ではあるものの、この動画を見る限り、クソがつくほど真面目な人だったのだろうと思えてならない。RIP)。


 もともと私はこの奇矯な声と格好をしたシンディ・ローパーという歌手が昔から大好きで、特に「Time After Time」(https://www.youtube.com/watch?v=VdQY7BusJNU)や「True Colors」(https://www.youtube.com/watch?v=LPn0KFlbqX8)などしっとり聴かせる曲は傑作だと思っているし、思わず一緒に踊り出したくなるような「Girls Just Want To Have Fun」(https://www.youtube.com/watch?v=PIb6AZdTr-A)や「She Bop」(https://www.youtube.com/watch?v=KFq4E9XTueY)、映画「グーニーズ」(1985年)の主題歌「The Goonies 'r' Good Enough」(https://www.youtube.com/watch?v=LxLhytQ67fs)なども彼女の個性的な歌(声)が生かされた名曲だと思っている。変てこな見た目や甲高い声(による変わった話し方)から一般に「変わり者」扱いされて来たものの、80年代を代表する歌手のひとりだと言っても決して過言ではないだろう。

 

 ちなみに彼女の他の代表曲も以下のYoutube公式サイトで視聴可能である。

 https://www.youtube.com/user/cyndilauperTV/videos?view=0&sort=dd&shelf_id=0

 

  (後日追記)ついでに日本の武道館と横浜でのライヴ動画も紹介しておきたい。ライヴでの彼女の歌唱力の高さも特筆すべきだろう。

 https://www.youtube.com/watch?v=u_hVfHn_bZE  武道館 1986年

 https://www.youtube.com/watch?v=qmxqHenaFhA  横浜 1991年


 ともあれ、他にも最近散歩しながらたまに聴いている70~80年代の音楽が色々とあるので、今後も少しずつ紹介していきたいと思っている(その前に私が最も愛しているザ・ビートルズの音楽について書きたいと思っているのだが、なかなか重い腰が上がらず自分でも呆れているところである)。


 ヒッチコック「トパーズ」より

 

 ついでながらまた訃報を2件(敬称略)。

 

 まずはフランスの俳優ミシェル・ピコリ(日本の新聞などでは「ピッコリ」と表記しているケースも見られるが、何とも締まりがなく違和感しか覚えない)である(12日死去、享年満94歳。上の写真)。

 ルノー=バロー劇団など主に演劇界で活躍していたピコリは、1945年に銀幕デビューを飾った後、1954年のジャン・ルノワール監督作「フレンチ・カンカン」で映画俳優としても注目されるようになった。

 以来約70年にわたり、ルイス・ブニュエルやジャン・リュック・ゴダールをはじめ、アルフレッド・ヒッチコック、ルイ・マル、アラン・レネ、クロード・シャブロル、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジャック・リヴェット、マノエル・ド・オリヴェイラ、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、テオ・アンゲロプロス、オタール・イオセリアーニ、ルネ・クレマン、コスタ・ガヴラス、マルコ・フェレーリ、クロード・ルルーシュ、クロード・ソーテ、レオス・カラックスなど、錚々たる巨匠・名匠たちの作品に出演して来た、フランス映画界を代表する俳優だと断言しても構わない。

 中でもブニュエルの「昼顔」(1967年)や「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(1972年)、ゴダールの「軽蔑」(1963年)や「パッション」、バルザックの「知られざる傑作」を映画化したリヴェットの「美しき諍い女」(1991年)、5月革命を題材にしたルイ・マルの「五月のミル」(1990年)などは特にピコリという男優の存在感を如実に示す作品群と言えるだろう。


 ゴダールの「軽蔑」より。左はジャック・パランス、真ん中はジョルジア・モル。

 ブニュエルの「昼顔」より。左はカトリーヌ・ドゥヌーヴ

 

 以下はいつもながら英ガーディアン紙のRonald Berganによる訃報記事である。

 https://www.theguardian.com/film/2020/may/18/michel-piccoli-obituary

 

 

 もうひとりは中国文学者の井波律子(13日死去、享年満76歳。上の写真)。

 こちらは私自身、決してよく知っているとは言えない人なのだが、特に「三国志演義」や「水滸伝」の翻訳で知られる中国文学者である。私は岩波新書の「中国の五大小説」(上・下)を斜め読みしたことしかないのだが、いずれこの人の訳で「三国志演義」や「水滸伝」に挑戦してみたいと考えて来たし、他にも古今の中国の歴史や文学に通暁したこの人ならでは著作にも触れてみたいと思っていたところである。

 

 この2人の死を悼み、哀悼の意を表したい。

 

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 この間に読んだ本は、

 

・志賀直哉「暗夜行路」(講談社文庫Kindle版)再読

 細かい事だがこのKindle版には誤植や抜けと見られる文章が幾つもあり、どういう意味なのか理解するのに度々苦労させられた(あるいは元の志賀直哉の文章がおかしいのかも知れないし、更に言えば私の理解力不足なだけで実際には少しも変ではないのかも知れないが)。

 昔読んだ時にはなぜこのような作品が日本文学の名作と見做されて来たのか理解できなかったのだが(ただし同じ作者の「大津順吉」や「和解」、「ある男、その姉の死」などの一連の作品は愛読していたし、短編には優れた作品が幾つもあると思っている)、今回も初めのうちは我が儘でひとりよがりな主人公・時任謙作の言動を嫌々ながら読んでいたものの(おかげで読み通すのに半年近くかかってしまった)、主人公が次々と悲劇に見舞われるあたりから徐々に面白くなって来て、後半は一気呵成に読み終えることになりもした。

 しかし全体を通読した後も依然これが果たして「名作」なのかどうかは疑問で、主人公の忌まわしい出生の秘密や妻の不貞、生まれて間もない幼な子の死などを、作者の志賀直哉に関連づけて好奇心に駆られたことが今回の読書の一助となったことも否めず、一種の覗き見趣味によって面白く感じられたと言ってもあながち間違いではないだろう。

 今作は厳密な意味で「私小説」ではないものの、しかし極めて私小説的な書き方による心境小説もしくは写生文学とでも呼ぶべきもので、良くも悪くも日本(あるいはその影響を受けた韓国など一部アジア地域)のみで書かれ、読まれて来た類のミニマリズム作的品と言って良いだろう。むろん私小説=ダメだと断定するつもりはなく、開高健が芥川賞の選考会のたびに繰り返した「鮮烈の一言半句」でもあればいいのだが、「小説の神様」と称された志賀直哉にしては文章にも視点(観察眼)にも「鮮烈に光る」ようなものはほとんど見られないと言って良く、評価を躊躇うしかない作品である。

 

・フランツ・カフカ「失踪者」(白水社カフカ小説全集版、池内紀訳)
 かつて「アメリカ」という題名で知られ、その冒頭部は「火夫」として独立した短編として読まれても来たカフカの長編小説で、他の長編同様未完である。全体にユーモアすら感じさせるドタバタ劇と言っても良く、「変身」や「審判」などカフカの他の作品とはかなり趣も印象も異なる軽快な作品である。主人公のカールは「審判」と同じく結末で惨殺される構想だったらしいのだが、現存している部分を読む限り、そうした悲劇的結末を想像させるものは一切なく(せいぜいカールという若者が経験も知識もないくせに、やけにプライドが高く頑固者で、周囲と諍いを起こしやすい性格だということが挙げられるくらいだろう)、カフカがこの後どういう展開を目論んでいたのか興味深い。
 

 この間に見た映画は、


・「ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式(2007年) 原題:Death at a Funeral」(フランク・オズ監督) 3.0点(IMDb 7.4) インターネットで視聴

 葬式を舞台にした英国のブラック(?)コメディー。「スター・ウォーズ」のヨーダの声で知られ、「ダーククリスタル」(1982年)などマペットが出て来る作品を何作も撮ったフランク・オズの監督作だと言うから、もっとファンタジー色の濃い内容かと想像していたのだが、ところどころ如何にも英国のコメディーらしい悪趣味でエロティックな場面を含みながら、最後は「感動的」(もっともひねくれ者の私は感動などは全くせず、ただ白けただけだが)な結末を持ってくる「普通」の作品だった。

 以前英国の知人からDVDを頂戴して楽しんだ英国ドラマ「リッパー・ストリート」で主役を演じていたマシュー・マクファディンや、「トレインスポッティング」(1996年)のユエン・ブレムナー、ポール・マッカートニーのかつてのフィアンセ(という言い方を未だにされ続けるのは本人にとっては不本意なだけだろうが)だったジェーン・アッシャーなど、お馴染みの顔ぶれが揃っていて、英国映画やドラマに関心のある人であればそれなりに楽しめる作品に仕上がっている。

・「青春群像(1953年)原題: I Vitelloni(仔牛たち)」(フェデリコ・フェリーニ監督) 3.5点(IMDb 7.9) 日本版DVDで視聴
 監督フェリーニの故郷リミニ地方を舞台に、まだ人生の進路を決めかねてフラフラ落ち着かない5人の若者たちを描いた自伝的作品で(ただし邦題にあるような「群像」を描き出しているとまでは言えないのだが)、やはり故郷リミニを舞台とする傑作「アマルコルド」(1973年)でも印象的で耳に残った風の吹く音が、今作にも絶えず聞こえている。マーティン・スコセッシやスタンリー・キューブリックが高く評価した作品だとのことで、翌年の「道」で国際的な評価を決定づけるフェリーニがものした最初の傑作である。