わたしの自分史から、自分軸へと変化した過程を書いてます。

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現地フランス人と新しく出会う


離婚したて、
フランスで初めて会社員をやってみて
会社と家の往復、

異国で知り合いも少なく、
精神的に心細く、弱い時期、
マッチングアプリで少し出会いを求めたりしました。

パリはとても移民が多い。
色んな外国人がいて


TV番組制作会社を起ちあげているパリ在住アメリカ人、
カメラマンのフランス人、
わたしの住んでいたノルマンディーの家の

近くに別荘を持っていて頻繁に訪れている

銀行員など
縁があった人と少しデートしてみたり、

仕事で知り合った、本業は別の、

年下のDJのライブに行ってみたり
少しずつ、

自分ひとりのパリ生活を築きつつあった時、

マッチングアプリで、とても優しい

フランス人と出会いました。
元夫とは正反対の、
家庭的なタイプのフランス人。



この彼と知り合って、間もないころ、
日本で東日本大震災が起こりました。

わたしは両親は亡くしていたけれど、
実妹が茨城県に住んでおり、

かなり揺れて被災地だったので、
とても心配しました。

毎日毎日テレビに釘づけ、心配するわたしを
彼は支えてくれました。

彼は友だちが多く、彼の家にいると
次から次へと友だち=同僚がやってきて、
いつもにぎわっていた感じ

わたしはそこに紛れて、みんなが喜ぶ
和食などをつくって、

ワイワイやってました。

 



その頃のわたしは自信を失くし、頼りなく
ラテン気質のフランス人たちに囲まれ
何かを心配したり、

気に病んだりするよりも


毎日を、ただその日その日を、楽しんで
ラクに生きる。

彼と、彼の周りの友だちたちみんなと、
まるで、大きな一つの家族のような、

そのような環境に

わたしはとても救われました。

わたしは自分の猫を連れて、

この彼の家にいる猫二匹と
彼の毎日のように訪れる友人や、家族と


これがフランス、というような生活を
自分にできること、

周りの人にあげられること

ーその多くは料理や話を聞くこと
をして過ごしました。


その彼は、肉体労働で、金銭的には

そんなに豊かではなかったけれど、
横のつながりが強く、

どこからかいつも手が差し伸べられて、
困ることはなかった。

「お金はあまりないのに、

こんなに豊かって、あるんだな〜」


元夫は、独立心が強く、

仕事が趣味みたいな人で、
給与は高かったけれど

この彼のほうが豊かに見えました。



その彼の両親は離婚していて、

再婚している母は、
現夫である彼の継父との間に

二人子供を産んでおり、


彼の妹と弟は父違いでしたが、

家族みんなが仲いいのです。


フランスは離婚率が約半数で、

こんな兄弟たちがたくさんいます。


元夫は、わたしと出会った時には、

日本で働いていて、
母国語のフランス語のみならず、

英語と日本語も話し、国際的な人。


どちらかと言うと、

わたしと境遇が似ていたかもしれない。

この新しい彼は、全く違う。


この彼と出会ったことで、現地の、

フランスで生まれ

ずっとフランスに住んでいる
普通のフランス人の生活、いわば、

 

フランスに根付いた人たち、

その習慣などを知ることができました。


それは、また、全く新しい体験でした。


外見も元夫とは異なり、
元夫はスイス国境付近のアルプス出身の人で
長身で栗色の髪、目の色は深い緑でしたが、


この彼は、肌の色がマットで、

黒い髪に黒い太い眉をもつ、
瞳の色も黒いスペイン系の人。


実は、このタイプのフランス人が、

フランス女性からは一番人気が高い。


この彼は、外国に旅行に行ったり

短期滞在したことはあったけど、
英語はカタコトでフランス語しか話さなかった。


わたし自身がフランス語を話さないと、

彼や彼の友だちと会話についていけません。

元夫とのコミュニケーションは、

はじめは英語でしたが、
日本にいた彼が、わたしといっしょに

いることで日本語をどんどん飛躍させ
途中から、わたしたちの家庭での言語は

日本語でした。

そのため、使い切れてなかったわたしの

フランス語能力がめきめき伸びて、

しっかりとフランス語を理解し話すことが

板についたのは、


このフランス語しか話せない、

現地のフランス人彼とつき合ってからだったと思います。

 

 

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