流れの早い川の轟音が響き、すこし先にあるもうひとつの湖に注がれていくのが見えた。
日本百名山の一つ、阿寒岳は雌阿寒岳(阿寒富士も含まれるだろう)と雄阿寒岳という全く違う場所にある二つの山のことを同時に指す。
雌阿寒岳は、いつも大勢の人たちで賑わうが、雄阿寒岳はそこよりも傾斜がキツく、距離が長いということで、ついつい避けていた。
けれども自宅から日帰りできる距離にある山としては、ここが最後の山となる。
活火山として今も噴煙を上げ続ける雌阿寒岳の感情豊かな山の表情とここはどう違うのか。
好奇心と不安と恐怖が、入り交じる。
駐車場には車が一台しかなく、登山口から迷いそうになり、もう怖いから帰ろうと車へ戻ったところで、ソロ登山を始めようと到着したばかりのお姉さんにこの山の様子を尋ねる。
迷いそうだと伝えたら、道はしっかりついているし、ピンクテープも頂上までしっかり貼られているから、迷うことはほぼない。と教えてもらい、もう一度、登山口へ向かったのだった。
とにかく、五合目までは地獄である。
特に四合目から五合目までは、急勾配が続き、しかも一合づつの距離が半端なく長い。
しかしそれまでは視界の開けない松林の中、しかも霧に包まれていた景色も、四合目を超えると急に視界が開け、雲海に包まれた阿寒湖の奥には、雌阿寒岳と阿寒富士が鎮座しているのを臨むことができた。
五合目なのに、八割クリア。とは如何に??
"合目"の基準はその山によって酷く曖昧である。
四合目のあまりの長さとキツさに何度引き返したい気持ちになったか。
けれども私には去年の羅臼岳という経験的財産がある。
あれに比べれば、まだ体力的にはその時のレベルに戻っていないにしろ、山としての難易度は距離も傾斜もアスレチック要素も低い。
ひたすら下を見続け、時間のことなど気にしない。ただ、たった今。この一歩だけを確実に進めんとする。急激にやってくる喉の乾きを一口だけ水で潤し、その甘露に意識を委ねる。それをきっかけに鳴きそうになるお腹を一瞬満たす一粒のチーズ、ナッツ、キャラメル、等。
そして、その一粒の力といったら!
五合目に着いたら、もう頂上に着いたも同然だった。
距離はそれなりにあるが、辛さがまるで違う。
忘却が私の最大の武器である。
あんなに死にそうだったさっきまでの自分のことは一瞬で忘れる。
緩やかな傾斜、繰り返すアップダウン。
見上げる頂上も見下ろす景色も存分に楽しめる余裕が出てくる。
さっきまでは、もうここには来ない。と思っていた。
なのに、結構楽しいなあ、と饒舌にすらなる。
確かにここは、雄の名にふさわしい。
山らしい円錐型の形、一筋縄ではいかない急登、道を塞ぐいくつもの倒木。
雌阿寒岳のような緩やかな道と感情の起伏の激しさとはまた違った男らしい山!
本当は明日が登山開きのはずだった。
しかし、天候が悪いらしく急遽、日程変更をしたのだが良かった。
帰りも行きと違わず長い道のりだったが、下ってみたら予定通り、6時間強の行程だった。
今日も熊に出会うことなく、生きて帰って来ることができました。
ありがとうございます。