形 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

  登山のあとに寄ったカフェでコーヒーフロートを頼んだ。

 みーちゃんは、持ち帰り用にサンドイッチを購入する。

 

  疲れ果てているのに、何でもいいわけでもなく、あれこれと迷い続けた私たちをちょっぴりイケメンのお兄さんは、ニコニコと微笑みながら待ってくれている。


  化粧が剥がれ落ち、服や靴が埃だらけで全身ドロドロの私たちなのに、このオサレカフェに入って良かったのかと多少、居心地の悪い私を差し置いて、みーちゃんは、お兄さんに冷たい態度を取った。


  コーヒーを飲んでいる間、持ち帰りのサンドイッチを冷蔵庫で保管しましょうか?と、少しオドオドした態度で話しかけるお兄さんに、すぐ飲み終わるので、結構です。と、スマホから目を逸らすことなく言い放ったのだ。


  私は、目で、すみません。と訴えかけるようにして、お兄さんに軽くお辞儀をする。


  イケメンで、よく気がつく、いいお兄さんだなあ、と私は同意を得られることがないとわかっていながら言ってみた。


  案の定みーちゃんは、そお?キモいじゃん。指先見た?ネイルしてたぞ。と言った。


  私はキモいとはまったく思わなかったが、ネイルまでは見ていなかったので、それを聞くと多少、気持ち悪い気がしてこなくもない。


  それからみーちゃんは、昨今の若い男の子がネイルを施していること自体は、特に不快なわけではないと付け加えた。札幌のオサレカフェとかショップの店員の男の子でも、真っ赤なネイルをしている人も見かけた。でもその子は、本当にオシャレで態度も堂々としているから、逆にカッコよかったらしい。しかしここの店員のお兄さんは、なんか違う。


  私が推察するには、私にはニコニコしているように見えたことも、みーちゃんにはそれが媚びに映ったのだろうということだ。

  いちいち言い淀む話し方も、見ようによっては優柔不断に見える。

  それでいて、そこにネイル。

  それは彼の主張ではなく、媚びる道具にみーちゃんには感じたのだろう。


  私は、客を差別しなさそうなこのお兄さんことを好ましく感じた。しかし、みーちゃんは男なのになよなよしているだけで不快に思っているところで、さらにネイルが追い打ちをかけたのだろう。


  逆に前に行った違うオサレカフェで、オシャレだけれど無愛想で、私が質問したことにも面倒くさそうに答え、ついでに値段が高いにも関わらず煮詰まったコーヒーを出しやがったにいちゃん店員に私はブチ切れたのだが、みーちゃんはそうでもなかった。


  みーちゃんは、そのにいちゃん店員が不遜な態度でも、センスが良くて媚びないから不快とまでは感じなかったのだろう。


  こんなふうに私たちは、不快に思う場所がまるで違う。


  今度来た上司は、優しいのだが、ヘラヘラしていて、女のようにおしゃべりだ。私は好ましいのだが、みーちゃんは早くも気に入らない態度を見せ始めている。


  みーちゃんは嫌いになると無視するので、嫌いにならないように私はいちいちフォローしてしまうのだ。


  みーちゃんが、人を嫌いになるとやっかいなのだ。私がいくらいいところを言ってもまるで聞き耳を持たなくなる。

  なので、こう言った。

  

  今回は勘弁してくれよ。頼むから嫌いになるなよ。嫌いになる前に私に毒吐けよ。いいか。長い間組織にいる男なんてそんなもんだ。上にヘコヘコして、下に威張って、自分に面倒が振りかからないように無意識にスルーするんだ。


  今の上司は、下に威張らないだけマシだ。

  お菓子で私たちの機嫌を取ろうとしているのが、浅はかだと感じるだろうが(そうではないかもだが、みーちゃんはそう感じておるに違いない)、それぐらい喜んで受け取ってくれ。甘えられることで、やる気が出る男もいるんだ。媚びぐらい、許してくれ。


  みーちゃんは、ふーん。と納得がいかない態度を示したが、次の日には上司がくれたお菓子を機嫌よく受け取っていたので、とりあえず安心する。


  確かにみーちゃんは頼もしい。その辺にいる男たちよりもずっと男らしい。だからお眼鏡に叶わう男が今までいなかったのもよくわかる。

  

  でもさ。今度の上司は女好きらしいよ。とみーちゃんは言い、私は吹き出しそうになった。


  女好き?最高じゃないか!と私は思わず叫ぶ。女好きでも、私のようなおばさんにも優しいのなら、それは最高ではないですか!

  だって別に自分の旦那でも彼氏でもないんだから、そんなの関係ない。しかも、女の前でいい格好しようともしない男のどこがいいんだ??と思う。


  男は最低限、女子供、老人には優しくあるべきだろうというのが、私の持論だ。息子にも常々、そう言ってきた。権力に媚びるのは人間として最低だ。しかし、女子供、老人に優しくできないのは男として最低だ、と。









  気付けば畑には、育てたつもりもない作物たちが、耕していない部分で大繁殖している。


  いつのまにか野生化したこの子達は、私が手をかける作物たちよりも、ずっと逞しく命を繋いでいるのだった。


  変だよな。

  私は野性的な男が好きなのだが、その場にそぐわない態度を取る男が不快で、みーちゃんは男の本能を求めつつも、それをどこかで不快に思う。


  私たちはお互いに勝手なのだろう。

  

  認識することとは、それがそう見えるように無意識に部品を選んで形成している作業だと思う。


  私たちは頭の中で、秩序を持たない粘土を捏ねくり回して無理やり形を作り、それをそれだと思い込んでいる。


  あのお兄さんは、私たちにとっての粘土だ。

  目に見える姿は同じでも、頭の中で捏ねくり回してできた形は全然違う。


  だったら捏ねくり回すためのイメージは、自分で作れるのだろうか。

  優しいと優柔不断が表裏一体のように、それは解釈の仕方でどうとでも思えることなんじゃないか。


  粘土を捏ねられるのは、自分だけだ。

  私たちは、捏ねてできた形を互いに見せあって、気持ち悪いだのかっこいいだのと勝手に言い合い、笑い合えるぐらい、信頼し合っているのだろう。