結局、わがままおばさまは、辞めることを選択した。
最終的な会議において、私が示した改善点におばさま以外の人達は同意した。おばさまは意義があるかの質問の際に無言を通したので、納得はできなかったとしても、納得したのだと捉えられざるを得ない。
おばさんが辞めることを選択したということは、その改善点に対して、自身は同意できなかったということだろうと私は思う。
おばさんの同僚二人が、彼女の独裁的なやり方を受け入れられなかったことから単を発したこの騒動。私が内部に潜入して実際に体験してみて、このやり方を上司や他の人達が受け入れていたということにまずは驚いた。
事なかれ主義とでもいうのか。
とりあえず仕事が回っていれば、他に犠牲になるものがあっても仕方ないと考える。ましてやその犠牲が自分ではないのなら、なおさら見て見ぬふりだ。
相容れない両者がいたとして、どちらも譲れない部分があり、どちらか一方が職場を辞めざるを得ないと判断したときに、あなたはどういう基準で双方のどちらかを引き止めるんですか。と私は上司に尋ねた。
私はどちらも辞める選択をしないように対話をし、公共の利益に基づいて改善点を示したいと思っていました。彼女たちみんなと一緒に仕事をしてみましたが、両者が合間見えることはないと私は思います。ならば私としては、彼女(わがままおばさん)を選びません。だから何があっても私は彼女(わがままおばさんじゃない方)を選びます。なぜなら、私自身が彼女(わがままおばさん)のやり方は、彼女の恣意的な判断に基づいていると思ったからです。
しかし、どちらも辞めない選択をしたならば、この職場に移動を申し出、根気よく仕事のやり方、コミユニケーションの改善に勤めたいと思います。
結果は、わがままおばさまが身を引いた形になったが、同僚の彼女はそれから罪悪感で眠れなくなったと言った。
毎日、今までどうしてこうだったのか、なぜいちいち相談してくれなかったのか、等、責め続けられるらしいのだ。
彼女はもうおばさんは辞めるのだから、いちいち言い訳もせず、とりあえず謝っている。と言った。でもそれは心から誤っているわけではない。でも、自分がもう少しなんとかうまくできたんじゃないか、と考えるというのだ。
でも、おばさんと彼女の仕事に対する意識の前提がそもそも違っているし、相談しようにも、自分の都合で決めるから、対話も成り立たないのは私も感じている。
だいたい、これはおかしいということを指摘すると記憶にないとか、わからないとか言われれば、全ておばさんの言う通りに行動しなければならなくなる。これは、支配だ。協力ではない。
彼女は言った。おばさんが辞めたら、閉ざされた環境を改善して、もっと周りの意見を聞きながら仕事を進めて行きたい、と。
おばさんの勝手で失ってしまったものたちを私たちは取り戻したかった。
しかし、こうなってもじわじわと彼女を精神的に追い詰めるおばさんの支配技術にはある意味、戦慄する。
彼女は、元ヤンの元レディース総長だが、本当は優しく弱い心を持っている。
人を思うがあまり、自己犠牲的になるのだ。
だから時に自分を差し置いてしまう。
おばさんがあらゆる職場を転々として、やっと自分の思い通りになる城を築きあげたというのに、それが崩れていく。
その城を崩したのは、彼女ではなく、私だ。
ならばその罪悪感を背負うべきは私であるし、その覚悟を持つことだ。それを背負い続けるということは、自分が恣意的な判断の元に他人をコントロールしないという決意を常に持ち続けるということなんだろう。
新しい人が入ったとして、また新たな問題が出てくるかもしれない。でもその時に悩んだら、また一緒に考えて行こうね。もし私が自分勝手に物事を進めようとしていたら、はっきりと教えて欲しい。と彼女に告げた。
罪悪感が沸き起こって、夜も眠れなくなるような彼女だから私は信頼しているのだ。
そこには、人の気持ちを慮り、自分を振り返るという才能がある。
わがままおばさんを救うことが、私たちには出来なかった。
でも、おばさんが必要のない存在だったとは、微塵も思わない。
自分が何ために仕事をするのか、そのために何を選択していけばいいのか。考え直す機会を与えてくれたのだから。
