光の子 | 想像と創造の毎日

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写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。


  貝をたくさんもらった。



  左から、ホッキ、オオミゾガイ、バカガイ、白貝(たぶん)。



  ホッキとオオミゾガイとバカガイ(一個だけ)の脚(?)は刺身に、その他の部位は冷凍保存。


  バカガイと白貝は、小さくて捌くのが面倒なので、飼うことにする(つまり、砂抜き)。



  バカガイは、塩水に入れられてしばらくすると、オレンジ色の舌(脚)をべローンと出していた。

  舌を出す割には、アサリやシジミのように水管からピューっ!と水を吹き出さない。


  そして、近付いて、写真を撮ろうとするとすぐに舌を引っ込める。

  

  またしばらく離れると、舌を出している。  

  また近づくと、引っ込める。


  ホタテは、貝殻の間からわずかにはみ出しているヒモ(と呼ぼれる部分)にたくさんの目があるというが、この子にもあるんだろう。


  そして私のことを外敵だと認識しているのだ。


  そんなことを繰り返していると、面白いのだけれど、同時に気持ち悪くなってくる。


  普段考えないようにしている、あまりにも自分とかけ離れていると思える身体を持つ生物が、自分と似た外界を認識する機能を持っていることに改めて気付かされるからだ。


  貝たちは、自分とさほど変わらない生きたい!という本能を持っていて、私はそれにも関わらず彼らの命を奪って生きているという残酷な事実に直面する。


  彼らは、二枚の殻を持っている。

  

  例えばツブやサザエのような巻貝は、螺旋状の殻を持っているのに、彼らは対称的な二枚の貝殻の中に内臓をしまいこんでいる。

 

  二枚の殻を閉じたり開いたりすることで、彼らは巻貝よりもずっと速く移動することができるのではないか。


  だとすると、二枚貝よりも巻貝の方が原始的かもしれない。


  二枚貝に進化することで、彼らは海底から自身を引き離すことになる。

  逃げる。という技術を習得する。

  つまり、逃げるという行為は、自分を守るという認知の発生である。


  進化が進むほど、認知の機能は明確になる。

  認知するということは、物事を分けることで認識するということだ。

  認知は、異なる両者を比較することである。

  その二元的解釈の始まりは、この二枚貝からなのかもしれない。


  あ!だから、ビーナスはホタテから生まれたの??

  うーん。違うのかなあ。



  今朝見ると、水は砂や彼らの排出物などで汚れていた。


  なんで、白貝は白いのか。

  バカガイは、放射状に模様が入るのか。

  考えれば、考えるほど、興味が尽きない。




  

  貝たちの中に紛れ込んでいたこの子。

  貝の仲間の中でも、最も古い種類と思われる。

  星の模様を持っている。

  閃光の形を模して、彼はまるで光の子どもみたいだ。

  命は光から生まれたんだなあ。


  原始的な命を観察して、自分が造られた過程に思いを馳せる。


  生まれるって、すごいな。

  本当に奇跡だ。

  だから自分はそのままで、奇跡的な存在なのだ。