感情という可燃物 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

太陽って、なんなのか知らなかった。
私はそれを知らないことを知ったとき。
自分の無知さにとても驚いたと同時に
羞恥さえも感じた。

いつも私の頭上で、
眩しい昼間をもたらすそれは、
私に温かさを感じさせ、
自分ではないものの存在を目で見せる
視覚という感覚を教えてくれていた。
そんなとても身近な存在だったというのに。


太陽の下にいると、とても温かい。
それは太陽自身が熱を発して、
地球上にいる全てのものたちに
伝えてくれているんだと
思っていたからだ。

だけど、山の麓よりも、
頂上の方が寒いという事実を
知ったときから、
その考えはどうにも怪しくなる。
太陽は熱を地球に届けてはいないのだという。
熱を伝えるためには、そこに伝えるための
なんらかのものがなくてはならないのだが、
太陽と地球の間は真空と呼ばれる空間で、
熱を伝える術を持たない。
なので、太陽が地球に届けているものは、
熱ではなく、光だった。

しかも太陽は燃えているのではなく、
核融合という現象により、
熱と光を放っているのだという。
そもそも燃える(燃焼)ということは、
どういうことなのかというと、
可燃物と呼ばれる燃やせる物質が、
光や熱を伴いながら、
激しく酸素(広義には酸素だけとは限らない)
と反応する現象なのだそうだ。


山や川や海を歩くと、
不思議なものがたくさん見つかる。
それは、綺麗だなと感じるだけでなく、
気持ち悪くて、怖いと感じることでもある。


風や生き物の音、
泥や砂の感触、
水や氷の冷たさ。

自分の生身の身体は
なんて頼りなく、脆弱なのだろうと
思う反面で、
ヒトの感覚というものは、
とても繊細で深淵で、神秘的だなと
自分の感じる部分のことを思い、
自然の中の一部でありながら、
感じる。考える。という遊びができるのは、
自身がヒトであるからなのだと、
愛おしく、誇らしく、思うことも
できるのだった。



生き物のすべてが、
美しさと醜さを同時に持っている。


人は知りたい賢くなりたい
という欲のことを
とても素晴らしいことのように
思うことが多いけど、
人は知った。
と思ってしまったときから、
傲慢で浅はかになるような気がした。

きっと本当に知るべきことは、
自分に感情というものが
あることの素晴らしさだ。

感情も物質であるかもしれない。
なぜなら、物質は目に見えるものだけの
ことを表しているわけじゃないから。
目に見えるものと目に見えないものを
分けないで考えてみる。
そうすると心も身体も同じなんだと
思うことだって可能なのだ。
だとしたら、感情は可燃物であると
私は思いたい。

心は燃える。
何に助けられて?
自分以外の誰かや何かと
触れ合いたい。
そんな欲望という名の物質に
反応させることで。