放射と対流 | 想像と創造の毎日

想像と創造の毎日

写真は注釈がない限り、
自分で撮影しております。

朝の真ん中には、昨日の温度がまだ残っていた。
山の中腹に差し掛かると、辺りの植物が霜で覆われているのが見えた。
ふと不思議に思う。
山頂に近くなるほどに太陽との距離も縮まるはずなのにどうして気温は低くなるのだろうかと。


昨晩、娘が実技の試験に落ちたと思う。前日の晩に自分の部屋にクラスの友達が教えに来てくれたにも関わらず、本番になるとテンパったんだと落ち込んでいた。今は、他にも落ちた課目があって、その再試のための勉強してるんだと与えられた課題のレポート用紙のようなものの写メを送ってきた。
去年の推薦試験のための勉強で、文章が上手く書けないからと毎日、LINEで私に日記を書いて送ってきたあのたどたどしい文章とはもう全然違っていた。並べられた医療の専門用語をググりながら、意味を考えて読み進める。私には書けない文章だった。娘は遠くに行ったんだと思う。もう私のことを必要とする娘はいないのかもしれない。





すごいね!と送ると、
こんなの全然、すごくない!留年したら、学校辞めるからね!
とキッパリ返されて、呆気に取られた。
辞めたあと、どうするんだ?とは、聞かなかった。それは、そのときに娘が考えることだと思った。不安なのは私じゃなくて、娘だ。そして同じような不安を抱えた仲間たちが今は彼女の周りにいる。最近は土日も忙しい。と言っていたけれど、その内容が勉強だけじゃなくて、友達と遊びに出かけるからでもあった。友達と遊ぶから毎週忙しい。自分が若い時はそれがあたりまえだった。なのに娘にとってはあたりまえではないことがずっと心配で同時に憐れだと思っていた。
誰かと何かを共感することの楽しさよりも、誰かといることで、自分と他人の違いを思い知らされて、余計に孤独を募らせてしまうことが嫌だったんだと今は思う。

娘の行った学校の子たちは、みな家庭や自分の性質のようなものにいろんな事情を抱えているんだと娘は教えてくれた。そのことは娘の心を他人に開かせるきっかけになったのだと思う。
普通という言葉に傷ついてきた人たち。
その子達のことをそう娘は言い表した。


太陽と地球の間には、空気がない。
というよりも、宇宙空間があるのだけれど、それは何もないのだという。
いや。あるのかもしれないけれど、それはなにせ、宇宙そのものなものだから、地球しか知らない私たちには到底理解出来そうもない何かであるのだろう。

ストーブの近くに行くと温かいのは、私とストーブの間に熱を伝える空気があるからだ。けれども、太陽と地球の間には、太陽が放つ熱を伝えるものがないのです。だから私たちは、太陽から直接、熱を浴びていたわけじゃない。そこから放たれる光に伝えられて熱をもらっていた。光は空気を直接温めるわけではなくて、まずは地面に熱を伝える。温められた地面から近い空気から先に熱が伝わる。山は気圧が低いから、低い地面よりも温度が上がりにくいのだそうだ。



知り合いが自分の子供は、遠足などの何かの行事の前の日に必ず熱を出すんだと嘆いていた。その知り合いは、常日頃、自分の子供を心配しつつ、プレッシャーをかけているように私には見える。
その子は、いつもオドオドしていた。
自分がしたいことと、親がさせたいことの間でずっと戸惑ってるみたいに見えた。
かわいそうだな。と思う言葉を飲み込む。
代わりに、戦えよ。と心で呟いてみた。
世の中は理不尽だ。
たけど、考えられる脳みそがあるのなら、いつだって平等になれる。そう信じることで、私は自分自身を救っている。


帰り道はすっかり霜は溶けていて、代わりに足元は水分を多量に含んだ泥でぬかるんでいたから、何度も足を滑らせた。
下り坂の方がずっと楽で、ずっと危険だった。
重力に甘えるように身体を委ねていると、ほんの少しの不注意で道を逸れて堕ちる。
でも、危険だからと山に登らない道を選ばない。
準備と計画と覚悟。
それを持って、好奇心を満たす。

斜めに差した太陽は柔らかく山の木々を照らした。木漏れ日が汗で冷え始めた背中をやさしく温める。

温かい場所から、冷たい場所に温度は流れる。

その言葉だけをいつも抱きしめている。
自分が温かければ、いつでもその熱を周りに伝えられる。
私はいつも熱を出しているんだな。
そう思うとなんだかひどく笑えた。