退屈を感じたくない!と誤魔化すのをやめてみる | ☆日々是好日☆

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自分を受け入れ、今いる世界を楽しむために

 

この体感をしっかり感じよう

 

昨日から、退屈だぁ~・・・つまらない~・・・という想いにちょくちょく囚われ

 

そのたびに、スマホを手に取りGoogleで気になることを検索し

 

電子漫画を読み、Amazonセールが近いから欲しいものを検索したり

 

まぁ~~~~~本当に感じたくない

 

退屈だ

 

という体感

 

 

特に仕事をしようとすると、この思いが沸き上がってくる

 

毎日同じことの繰り返しで飽きている

 

だから新しいことをしよう!と思うけど、エネルギーがでない

 

もっと人に頼ったり、自分以外の力を借りて時間を作って・・・と思って

 

しばらく一緒に仕事をしてもらっていたこともあるけど

 

雇ってる人分も稼ぎ続けることが苦しく感じて、今は一時的に辞めて貰ってる

 

 

根本的な原因はなんだろう・・・

 

ずっとそう思っているだけで、全然解決しない

 

やる気とか根性とか努力とかもっと頑張るとか

 

そうやって仕事をしてみても一時的に出来てもまた元に戻る

 

もっと根本のところに何か抱えているみたい

 

 

この『つまらない』という感覚は、何かを隠すためのダミーなんだろうな

 

それもネガラボに入ってから知れた

 

 

無価値感

 

自分は何かをしていないと価値がないという想い

 

誰かに必要とされて初めてここに居て良い

 

極端なことを言えば、生きている意味すら他人に必要とされているかどうかで決まる

 

 

そんな気持ちを抱えて生きている

 

元夫はDVと暴言のあるひとだったけど、妻として仕事をするパートナーとして求めてくれた

 

それゆえに過緊張状態だったけど頑張れた

 

常にいつ捨てられるか不安だったし、安心感は無かったけど

 

頑張れば必要とされた

 

ここに居て良いという許可がもらえた

 

その感覚は、幼少期にヒステリックな母親に必要とされていた感覚に酷似していた

 

 

私のこの『誰かに必要とされて初めて生きていていいと思える感覚』を昇華しなければ

 

いつまでも安心して生きることができないと知った

 

 

ただ、この無価値感

 

多くの人が抱えている感覚ではあるなぁと思う

 

凄く特別な感覚ではない

 

大なり小なり皆抱いている

 

誰かに必要とされたい。という感覚

 

 

今朝、元AKB48の板野友美さんが娘3歳からシッターさんより嫌われているという記事を見た

 

娘さんに直接、ママもパパも嫌いだと言われたことで泣いてしまったと書いてあった

 

そして板野さんは、シッターさんを雇うほど仕事を忙しくしているらしい

 

これを読んで、無価値感だろうな・・・って思った

 

板野さん自身は無自覚だろうけど、旦那さんもスポーツマンで収入に不安はないだろうし

 

お子さんが3歳でまだまだ手がかかるし、1番良い時期(可愛い時期)に仕事にまい進するって

 

『誰かに必要とされたい、忘れられたくない』という感覚がそうさせているんだろうなって思った

 

体は無価値感を感じたくて娘さんの口から『ママ嫌い』が出てきたと思う

 

板野さんは色々な気持ちになったと思う

 

あんたを養うためにこっちは仕事してんだよ!という怒り

嫌いだなんて・・・悲しい

こんなことを言わせる私は母親失格という罪悪感

 

でも何よりも根底にあるのは、無価値感

 

必要とされたい

頑張って努力しないと必要とされない

何もしない私は価値がない

そのままの私なんて生きている意味はない

 

 

たぶんそこの体感を感じないと、娘に嫌われたり夫が離れていく現象が起こる

 

はたまた仕事が上手くいかなくなったり、必ず無価値感を感じさせる案件が現れる

 

 

しかし、この無価値感は難敵ですよ

 

感じようとするとスルーっと消えるし

 

いよいよ気持ちが膨らんできて何もせず座ろうとしても私の場合歩き回ってしまう

 

じっと出来ない

 

なんか怖いんでしょうね

 

で、冷蔵庫開けて何か食べようとする

 

気を紛らわそうとする

 

 

その度に、ジッと波が過ぎるのを待つ感じ

 

冷蔵庫を開けて何も取らずに閉め、少し家の中を歩き回り良いところで座る

 

そしてやっと体感を感じようと内側に意識を向けると眠くなる

 

最終奥義、眠って意識を逸らす

 

眠くなっても少し姿勢を整え深呼吸して自分に大丈夫、感じて大丈夫って声をかけます

 

さっきそれでやっと体感を感じられました

 

 

無価値感を感じさせられた時の体の感覚をもう1度感じにいくという行為は

 

私にとって凄く怖いみたいです

 

でも思考では「つまらない」が上がってくるから

 

その「つまらない」が合図だと思って、日々体感を感じに自分の中に潜るを繰り返しています

 

 

私は体感メソッドを知る前までは、この「つまらない」という感覚を消そうと

 

常に新しいことをして、気を紛らわせて過ごしていました

 

行ったことがない場所へ旅行をし、読んだことない本を読み

 

常に新しい刺激を求め、情報を求め、お金を求めていました

 

でもその方法では絶対に消えない

 

いつまでもいつまでも、体にある

 

いつまでも、何をしても、すぐ「つまらなく」なる

 

充足感も、安心感も、一向に得られない

 

 

私は充足感と安心感が欲しいです

 

その感覚の中でする旅行は年に1度だけだったとしても本当に満足するでしょうね

 

その感覚の中でする選択は、どんなことがあっても楽しいでしょうね

 

そして関わってくれる人を本当に大切にすることができるでしょうね

 

 

現代人の多くは既に色々な物ごとに恵まれているのに、充足感も安心感もないのは

 

自分の中にある『無価値感』にしっかり向き合ってないからだろうと思います

 

誰に必要とされなくても、ここに居て良いという安心感を自分の中から作り出せる力

 

その力が圧倒的に足りない、無いのだと思います