不登校、ひきこもり、ニートなど
停滞している子どもは、
自分の将来について何も考えていない
わけではありません。
これからどうしたらいいのだろう。
何ができるのだろう。
どうやって社会と関わっていけばいいのだろう。
子どもなりに考えています。
小さい頃から当たり前だと思っていた
レールから外れたことで、
どうやって前に進めばいいのかわからなくなり、
途方に暮れているのです。
さらに、
学校から忘れられたらどうしよう。
友達に置いていかれたらどうしよう。
社会から取り残されたらどうしよう。
親に見限られたらどうしよう。
そんな不安を抱えていることも少なくありません。
本来、学校に行っていないことと
能力の有無は関係ありません。
社会と距離を置いていることと
協調性の有無も関係ありません。
子ども自身は、
「学校に行けない自分はダメなんだ」
「みんなと同じようにできない
自分には価値がないんだ」
と思い込み、自信も自己肯定感も
失ってしまうのです。
家庭での関わりが大切になります。
自己肯定感は、何かができるようになったから
高まるものではありません。
何かを達成したから生まれるものでもありません。
「学校に行っていなくても大丈夫」
「今は動けなくても大丈夫」
「あなたはあなたのままで大切な存在だよ」
そんなメッセージを受け取り続けることで、
「自分はこのままでいいんだ」
「自分は大丈夫なんだ」
と思えるようになるのです。
ところが親が、
何もする氣がない。
スマホばかり見ている。
このままではダメだ。
と否定的な目で見ていると、
子どもは安心できません。
どれだけ励ましても、
どれだけ成功体験を積ませようとしても、
「今の自分は認められていない」
と感じてしまいます。
親がやることは、
子どもを変えようとすることではなく、
何もする氣がないと思うと、
私は何が不安なのだろう。
スマホばかり見ていると、
どうなりそうで心配なのだろう。
と、自分の不安や心配と向き合うことです。
そして、その奥にある
「自分は大丈夫と思ってほしい」
「やりたいことをやっていいんだと
思ってほしい」
という我が子への想いに氣づくことです。
方向が明らかになれば、
「食べたいものを言ってくれてありがとう」
「食器をシンクに運んでくれてありがとう」
「お水を持ってきてくれて助かったわ」
そんな日常のやり取りの中で、
子どもの存在そのものを認めていけます。
自信をつけさせようとして、
何かをやらせたり、
小さな成功体験を
積ませたりしようとする方は少なくありません。
自信や自己肯定感は、
何かができたから
生まれるものではありません。
「何もできていない自分でも大丈夫」
「そのままの自分を受け止めてもらえている」
そんな安心感の中で、
少しずつ育っていくものです。
家庭は会社ではありません。
成果や生産性を求める場ではありません。
社会や学校で疲れた心を休め、
安心してくつろぎ、
そのままの自分でいられる場所です。
その安心感があるからこそ、
「よし、やってみようかな」
という氣持ちが自然と湧いてきます。
我が子の心が、ふわふわと柔らかく
安心できる状態でいられるよう、
心掛けられますように![]()
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